2021年11月18日

牧師はサタンだというけれど… 西川先生は偽物か祈ってみると 《松本ママ奮戦記》



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(西川勝宣教師)


松本ママの自叙伝「信仰は火と燃えて」

西川先生に出会った松本ママですが、
牧師から彼は「サタン」だと言われ、
家族からも反対を受けます。

その後、どうなっていくのでしょうか。。。
『伝道に生きる生活の始まり』の前編をお送りします。

伝道に生きる生活の始まり

自分がイエス様を十字架につけた人間の一人だという
自責の念が脳裏から離れず、翌日さっそく
牧師のところに行って、その話をしてみました。

すると牧師は、「それはサタンです。
世の終わりには、天使のごとく装って悪魔がやって来ます。
絶対にそんな話を聴いてはいけません」
と真剣な顔をして止め始めるのです。

私は、ああサタンなのかと思いましたが、
西川宣教師の真剣なまなざしや熱心な話しぶりに
心を動かされたことを思うと、
それがサタンだと言われても、
とても信じる気にはなりませんでした。

 
牧師の話と西川宣教師の話と、どちらが本当なのだろうか。
もし西川宣教師が正しければ、信じなければ大変だし、
また牧師の話が正しければ、私は神の前に罪を犯すことになる。

どちらを信じてよいか分からず、私の心は動揺し、
その精神的重荷のために食事が全くとれなくなってしまいました。

そうして悩み苦しんだ結果、本当にその宣教師が
サタンかどうか最後まで聴いてみよう、
サタンならやっつけてやる、という気持ちになったのです。

西川宣教師に直接会い、聖書原理の話を聴くたびに、
涙ながらに神様の話をし、義憤に燃えて語る
西川宣教師の姿やまなざしに感動を覚え、
どうしてこの人が悪魔であろうか、と思えるのです。

私には、天に対して忠誠を尽くす
神の子に見えるのでした。

 
そこで神様にお祈りしました。

「天の神様、西川宣教師の話が本当でしょうか、
牧師の話が本当でしょうか。
私は苦しくてたまりません。どうか私を救ってください。
イエス様、教えてください。神様、教えてください」
と言って、大地をたたいて泣きました。

そんなある日、一人で泣きながら祈っていると、
突然右の耳の上の方から
「信ぜよ、信ぜよ、信ぜよ」と言う
男の人の声が聞こえてくるのです。

私は立ち上がって周りを見回しましたが、
誰も人影はありませんでした。

 
また、ある時不思議な夢を見ました。
電柱のような太い大きな二匹の蛇がからみついて
けんかをしているかと思ったら、
あとからあとから小さい蛇が生まれてきて、
至る所蛇だらけになってしまったのです。

私は恐ろしくなり、
「この蛇を焼いてしまえ!」と叫びました。
すると、韓国の白い服を着た男の人が現れて、
パーッと火で焼いてしまいました。

私は、きれいになった道を、ああ、あの人が
焼いてくれたんだなと感謝の思いで見ながら
歩いていくところで目が覚めました。

私は非常に興奮し、この不思議な夢の話を
隣の部屋に寝ていた兄に語ったところ、
「それは縁起のいい夢を見た、宝くじを買え、
きっと当たる」と喜ぶのでした。

私は、いやこれはそんな夢じゃないと思い、
急いで西川宣教師に話しに行きました。


西川宣教師は「その夢には深い意味があります。
これから堕落論を聴けばそれは分かります」と言って、
すぐ堕落論の講義を始めました。

すると、「あなたがたは自分の父、すなわち、
悪魔から出てきた者であって、その父の
欲望どおりを行おうと思っている」
という聖句が出てくるではありませんか。

そして、堕落性本性というものについて聴いていくうちに、
まさしくこの自分がまむしのすえであることが
分かってきたのです。
私は身の毛がよだつほど驚き、絶叫して泣きました。

私の体の中には罪の血が流れている、まむしの血が流れている。
だから私には嫉妬(しっと)心があり、
猜疑(さいぎ)心があるのか。
人を押しのけて自分だけよくなろうとする思いがあるのか。

 
未亡人なのに、子供がいるのに他の男が目にちらつく。
その人が微妙な目つきをすると、こちらも微妙な目つきで合わそうとする。
その人に恋人があり、奥さんがいてもそんなことはおかまいなく、
その人を奪おうとしてしまう自分。

そうか、私の血統の中にまむしの血が流れているのか。
前の聖句の意味がよく分かったのです。

私は結婚したにもかかわらず夫を一度も愛したことがありませんでした。
そして、自分の夫以外の男性を心に描いているのです。

映画を見て、あるいは小説を読んで、
一度あんな恋をしてみたいなどと思っていました。

聖書に「だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、
心の中ですでに姦淫をしたのである」とありますが、
夫以外の男性を心に描いているのですから、それ自体罪なのです。

 
私は、まさしく自分が、堕落した人間始祖アダムとエバの
子孫であるということをはっきりと知り、
あまりにも悔しく嘆かわしくて、大地をたたいて泣きました。

庭の丘の上に座って、胸をたたき、大地をたたき、
腕をかみながら悔い改め祈ったのです。

「天の神様、私は天のお父様と呼ぶこともできない者です。
けれども、私はあなたの娘になりたいのです」と。

三日後には入院しなければならない体でしたが、
もうその時から、どんなことがあっても
最後まで聴かなければならないと思ったので、
毎日出掛けて行って講義を受けました。

繰り返し三回聴いたら、あまりの感動と驚きで
息もできないほどでした。

 
兄は怒って「お前は入院しなければいけない体なのに、
昼ごろ出掛けた女が夜中遅くに帰ってくるなんて。
お前の顔には死相が表れているぞ!」と言うのです。

娘も西川宣教師のことを
「なに、お母ちゃん、あんな変なシスターボーイ
みたいな男に、いやね」とけいべつするのです。

兄が、西川宣教師は密航した男だから警察に訴えるというので、
私は「あの義人を警察に訴えるですって、
そんなことしたら、私はもう兄さんとの縁を切ります。
兄さんを殺します」などと言ってしまいました。

すると兄は「なに、今まで親代わりになって育てて、
嫁にいくまでにしたのに、それが兄に向かって言う言葉か」
と言って殴るのです。

私は、兄を殴るわけにいかないので、兄のたんすをけ飛ばしたり、
揚げ句の果てには取っ組み合いのけんかをしてしまいました。

そして「無礼者、出ていけ」と言うので、
「出ていくわ」と言って、布団とちゃぶ台を包んで
頭の上に載せ、家を出てしまったのです。

 
西川先生のところへ行くと、
先生は事情を聴いて私を慰めてくださいました。

そして「先生、本当のことを言ってください。
偽者じゃないでしょう」と聞くと、

「松本さん、よく考えてごらんなさい。
ただ信ぜよというのでは神様を信じられない人に
神様を科学的、論理的に証(あかし)して神様を教え、
堕落論を通じて、まことの清い私になったという人を
たくさんつくったからといって、
神様がお前、地獄に行けと言ったら、喜んで行こうじゃありませんか。
そこがすなわち天国ですよ」と言うのです。

私は、それはそうだ、本当にそうだ、と思いました。
「西川先生のあとに従って私も伝道しよう」。
その一言で、私の心はピシッと決まりました。

松本 道子・著
(光言社・刊『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
アプリで読む光言社書籍シリーズ
blessed life


松本ママは、牧師から
西川先生のところに行かないように言われましたが、
「最後まで聴いてみよう、
サタンならやっつけてやる」と結論づけました。

牧師から言われたことを鵜吞みにするのでなく、
良心の声に従っていったのでした。

昔、教会に伝道された人たちは、
多くの反対、迫害を受けながらも、
夢や啓示で教えられたり、良心の声を聴きました。

この道に来るためには、
もちろん霊界の助けもありましたが、
簡単には来れない、犠牲が必要だし、
切実な心情がなければ来れなかったでしょう。

以前、松本ママが初めて伝道した時のことをきいて
なんだか変わった伝道だな、と思った記憶があります。

こうやって事情を知ってみると、
み言を学びたてで、堕落論までしか聞いていないのに、
しかも真の父母様も証されていない
そんな状態で、40日の開拓伝道に出発していったんですね。

本当なら入院することになっていた
「死ぬんではないか」と思ったくらいだったというのに、
やはり、日本の信仰の祖だな、
と、心から感謝します。





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2021年11月17日

周藤先生が、礼拝説教の途中で逃げ出した証し・・・そこから説教のカリスマに?! 



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周藤先生の誌上説教
「天の父母様が働かれる清い器」を紹介します。

説教の途中で逃げ出してしまった…

私が日曜日の礼拝を担当していた頃のことです。
当時、私は「このような話をすれば参加者は感動するだろう」
と思い、十分に準備して説教に臨んでいました。

ところがその礼拝において、
話せば話すほど苦しくなってきたのです。
大きな声を出しても冗談を混ぜても、何の反応もありません。

いたたまれず、私は途中で説教をやめてしまい、
まともに挨拶もせずにそのまま礼拝堂を抜け出したのです。

それから聖地に行きました。
そして、「きょうはどうして食口(シック)たちを
復興させることができなかったのでしょうか?」と、
天の父母様(神様)に尋ね求めました。

必死で祈る私に、一つのみ言が与えられたのです。

「カインがカインだけのときは、自分がカインであることを知らなかった。
自分とは違うアベルが来て初めて、
カインはカインであることを知った」と。

己の醜さに気づいたとき

それは、「自分が汚れているときには
自分が汚れているということが分からず、
アベルという清い者が来たときに初めて
自分が汚れていることに気がつく」ということでした。

参加者を感動させようと思って説教に立った私には、
自分の栄光のことしかなかったのです。

清い神は、汚れた私の“我”意識に相対することができず、
私という汚いパイプを通じてでは、神様の生命が
食口たちに流れることができなかったのです。


私は聖地で祈りながら、自分自身を振り返りました。
そして、私が、自分の栄光だけを求め、
「認められたい。賛美されたい。褒められたい」
という動機で説教していたことが分かったのです。

さらに自分の位置を離れるといった堕落性などの
問題がたくさんあることにも気がつきました。

それから一週間、自分自身の醜さとの
血みどろの闘いが繰り広げられました。

静かに淡々と、ありのままを語る

やがて翌日の朝を迎えました。
絶叫するような気持ちで祈りました。

すると、ふと一つの思いが湧いてきました。
「何も立派なことを語らなくてもいい。
ありのままを語ればいいのではないか」

説教の時間がやってきました。
私は説教壇に立ち、口を切りました。

「先週は本当に失礼しました。
説教を失敗してしまい、私は皆さんの所から逃げました。
皆さんと顔を合わせることができなかったからです」

その後、一週間の自分の心の葛藤を話しました。

「私は今まで、皆さんが感動する立派な話をしようと思って、
一所懸命準備してきました。
しかし、立派な話をしようと思えば思うほど、
うまく語れなくなりました。

結局、それが自分という『我』だったのです。
自分の栄光のため、自分が認められたい、
自分が賛美されたいという我の塊だということにやっと気がつきました」

すると、あちらこちらからすすり泣く声が聞こえ始めました。
ありのままを話しているのに、みんなが涙を流して聞いています。

前は声を張り上げて話したのですが、
今回はむしろ小さな声で、淡々とありのままを話しただけなのです。

清い器となったとき、神が働く

礼拝が終わりました。

ある女性がそばに来て、涙を流しながら
「感動しました。ありがとうございました」
と声を掛けてきました。
その人はいつも私の説教に対して批判的な人でした。

その後、その説教の内容が印刷され全国に配布されました。
この説教に関する多くの(感謝と感動の)手紙が届きました。


自らの醜さに打ちのめされた私は、
「我」に振り回されていた自分の姿をありのまま語るだけでした。

しかし、そこに神様が働いてくださり、
聴く者の耳に、心に、命の息を吹き込んでくださいました。
神様が臨んでくださったのです。

私たちの使命は、いかに私心のない純粋な心で
神様のみ言を伝え、神様の生命が通過できる通過体、
神様の清い器になれるかということだったのです。

どんな活動においても、自分を通して
神様が働かれるかどうかだったのです。
自分が私心のない、清い神様の器になっていれば、
清くなったぶんだけ、神様が働いてくださるのです。

生命は“私”から来るのではなく、
清い神の器を通じて、神ご自身が与えてくださるのです。

周藤健(43双)
『祝福家庭』77号(2015年 夏季号)
誌上説教「天の父母様が働かれる清い器」より
一部割愛しています。


あの周藤先生が礼拝説教で逃げ出されるなんて・・・
とても率直な証しでした。
み旨を歩む動機、心情の重要性を感じさせていただきました。

かつて、済州島での周藤先生の修錬会に
参加したことがありました。

その時に聞いた周藤先生のお祈りは、
心に響く祈りでした。

幼子の祈りのように、
とても純粋で率直なお祈りでした。

証しのような体験を踏まえて、
さまざまな曲折を経て、
清い器になられたのだな、と思います。

私自身も比較的、人前で話すことが多い立場ですが、
本当に口下手で、嫌になることがあります。

しかし、周藤先生の証しに励まされました。
清い器になることを努力していきたい、と思うのです。




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2021年11月16日

教会を離れていた夫と、一緒に訓読できるようになりました! 《自己牧会プログラム》



211116.jpg


自己牧会プログラムの海外からの証し。
今回は、「必ず道は開かれる」です。

(ヨーロッパ在住 日本人女性 60代)

20年前の夫の離教とともに、私の心は
かたくなになり、ゆとりもなく、
ただ家庭生活を守るだけの日々になりました。

伝道前線にも臨んでいましたが、
夫との心情的距離を持ったままでした。
何か公的に歩むことで、自分の立ち位置を
保ってきたように思います。

やがて次男が引きこもりになり、
今10年が過ぎようとしています。

 
「自己牧会プログラム」に出合ってからは、
自分は正しいという固定観念で人を見ていること、
知らず知らずのうちに
他を否定していることに気付くようになりました。

ワークを実践しながら、全てを下ろして
無になることで、多くの天の知恵に触れ、
再創造されていく恩恵を感じるとともに、
本然の自分は神様に侍る生活の喜びを
感じ取れるのだと理解するようになったのです。

こうして、自分が否定してきたことを
一つ一つ下ろしていくと、それまで夫に対して、
「こんなことを言っても理解してくれないだろう」
「これを言ったら傷つくだろう」など、
自分勝手な思考の中で距離を置いてきたことが、
まさに固定観念そのものだと分かりました。

 

そして、その囚(とら)われがなくなると、
夫との関係に変化が出てきたのです。

まず、ありがたいことに、
夫が一緒に訓読をしてくれるようになりました。
以前は夫が拒絶して読むことができなかった
真のお父様の自叙伝の訓読も終え、
今は天一国経典『天聖経』に入っています。

その途上においては夫が願う本も訓読するなど、
私の心に壁をつくらないように努めました。

8月に入り、祝福家庭なら当然のことながら、
安侍日を夫婦で共にできるようになったのは夢のようでした。

さらに、天寶(てんぽう)家庭にも挑戦することができました。

その道のりは簡単ではなかったですが、
夫に相談しながら、一つ、また一つ、
共に越えていきました。

天寶家庭の摂理に真のお母様が
生命と愛を注ぎ込まれるが故に、
私たち祝福家庭が生かされていると実感しています。


今は夕食後に夫と卓球をしていますが、
ある日、夫が完敗したことがありました。

「もうやりたくない」と言うかと思ったら、
「私はあなたの最高のコーチだ」という言葉で
私を感動させてくれました。

時に夫婦でダンスをすることがありますが、
ちぐはぐなダンスに笑い合いながら、
喜んでくださる神様に思いをはせています。

夫婦が互いに満たしてあげる心、
分かち合う心を持つ喜びを味わいつつあります。

このように、自己牧会プログラムは、
私に具体的な進展と希望を与えてくれました。


自己牧会プログラムはヨーロッパでも
静かに浸透しつつあり、オンラインで
週1回のセッション(体験共有)の場が持たれています。

南東京教区渋谷家庭教会の壮年が座長になって、
温かく見守りながら、一人一人に
適切な導きをしてくださっています。

その場で共有される、姉妹たちの
良心との対話の証しは、私にとって大きな喜びと刺激です。

そして毎日、自己牧会プログラム事務局から、
YouTubeで配信されるセッションと、
LINEで配信されるワーク実践のエクササイズ
「天一国道場」は、私の強力な支えとなっています。

「引きこもりの息子にも必ず道が開かれる。
大丈夫、しっかり進みなさい」
という良心の励ましを受けながら、
生かされていることに感謝する日々です。

私の心の中にいる神様 93
必ず道は開かれる
(blessed lifeより)


素晴らしい証しです。

以前、お伝えしたと思いますが、
自己牧会プログラムは、日本だけでなく、
海外にも広がっています。

さらに言えば、日本人だけではなく、
外国人にも良い影響を与えているのです。
良心は誰もが持っているものであり、
その影響は人類共通だと思うのです。

私も、証しを読ませていただきながら、
「私」に与えられた人間関係、環境において、
今、マイナス的だと思われることがあっても、
絶対にマイナスなことは一つもないのだ、
そんな風に励まされています。




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