以前、史吉子(サ キルジャ)先生の
「原理によるみ言の証」という書籍を
何度か紹介したことがありました。
み言を学ぶにあたって、お父様の証しもあったり、
改めて貴重なものであると思ったので、
冒頭から順を追って紹介したいと思います。
今回は、「第1章総序論」より、
『韓国に再臨主がお生まれになった理由』です。
日本語も流暢な先生でしたが、
これは、韓国で語られたみ言の翻訳です。
☆
私も韓国人で皆さんも韓国人ですが、
何とも不思議で、かつ感謝するのは、
この世界に大きな国はたくさんあるのに、
どうしてこの小さい国に主が来られたかということです。
私が小学校に通っていた8歳の時、第2次世界大戦が起こりました。
その前にも日本人が私たちを苦しめましたが、
戦争が始まるとそれがひどくなりました。
日本人たちが女性は慰安婦として連れていき、
青年は軍人や労務者として引っ張って行きました。
そして解放されてからも、共産主義者たちが人々をたくさん殺し、
米軍も韓国に入って来て、色々干渉しました。
韓国人は多くの国の干渉を受け苦しめられ、
心穏やかに暮した日が無かったと思います。
☆
人はいくら自分が優れていると言っても、
自国がどのような状況に置かれているかによって、
自分の運命が大きく左右されます。
それで私は考えました。
「ああ、私たち朝鮮人はどうしてこんなふうに愚かなんだろう?
何の罪が多いんだろうか?
朝鮮人は先祖が誤りをたくさん犯したから、
こんなふうに日本人より劣って、
アメリカ人より劣っているんだろうか?」
と言う思いが浮かんだのです。
本当に恨めしかったです。
☆
ところが原理を聞いてから、
「そうじゃない。
私たち民族の5千年の長い苦難の歴史は、
主をこの地にご生誕させるための蕩減の歴史だったんだなあ」
と言うことがわかるようになりました。
主がどうして、 この苦しみを受ける国に
お生まれにならなければならないかと言えば、
神様が苦しみを受ける方だからです。
その神様の最も深い心情と事情を感じることができ、
その神様が願われる全てのことを成し遂げて差し上げることのできる
長子・長女になるためには、
私も韓国人で皆さんも韓国人ですが、
何とも不思議で、かつ感謝するのは、
この世界に大きな国はたくさんあるのに、
どうしてこの小さい(韓国にお生まれになったのか。)
豊かな国にお生まれになるわけにはいかなかったのです。
私は「主が豊かな国にお生まれになったら、
神様の悲しみを感じる ことが難しいために、
多くの困難を受けたこの民族にお生まれになったんだなあ。
そうだとしたら、私たちの先祖たちは、あの苦しかった歴史、
あの恥ずかしかった歴史がかえって誇らしく、
甲斐性のある歴史であったなあ」
と感じました。
史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第1章総序論
韓国に再臨主がお生まれになった理由
第1章総序論
韓国に再臨主がお生まれになった理由
☆
一部編集 文責:ten1ko2
イエス様の時代には、ローマという大国がありましたが、
その属国の小さなイスラエル、
その小さな田舎町、ナザレで
イエス様は誕生しました。
「ナザレから何の良きものが出ようか?」と
言われたような地から、
後に西暦を塗り替えるような大きな人物、
イエス・キリストが出たのです。
☆
歴史というのは、繰り返すといいます。
統一原理では、歴史は、
復帰歴史であり、
蕩減(とうげん)復帰摂理歴史であると言っています。
「蕩減」とは、穴埋めの清算、
あやまちを、帳消しにするためのものです。
あやまちと失敗ばかり、不幸続きの人類歴史でしたが、
そのような過去を清算し、
もう一度やり直すために、
同じようなことが繰り返されてきたのだということです。
☆
特に、再臨の主、真の父母様を誕生させた韓国は、
とても重要な国ですので、
国家的、民族的な蕩減を受ける立場にありました。
そういった意味で考えた時、
目の前に起こる苦痛も、
平面的に見れば、恨みに思うようなことであっても、
過去を清算するためのものであるのです。
未来を思えば、蕩減も
苦労も、ただの苦痛ではなく、
貴いものである・・・そういう捉え方は、
とても重要なのだな、と思わされます。
今後も不定期で紹介しますので、
ぜひ、お楽しみにしてくださればと思います。
よろしくお願いいたします。
史吉子(サ キルジャ)先生:
韓国本部教区天福宮教会所属、36家庭(3双)。
天一国7年天暦7月20日(1919陽.8.20)午前7時50分に聖和。
享年87歳。「開門安着孝誠家庭」を下賜される。
1954年入教、1955年5月11日いわゆる梨花女子大事件で強制退学。
1960年4月16日、劉孝元先生と3双の祝福を受ける。
(増補版)原理に関するみ言の証
史吉子 / 著発行日:2013年5月28日 発行
出版社: 世界平和統一堂
本書は史吉子先生が真のお父様から直接受けたみ言や、侍る中で感じられた内容に原理的解釈を交え整理されたものです。
原理講論の章構成に沿う形でまとめられており、原理の深い理解とともに原理的信仰が学べ、さらにエピソードを通して真の父母様の心情の世界に触れられて、私たちに様々な恵みをもたらす一冊です。
第1章 総序論
第2章 創造原理
第3章 堕落論
第4章 人類歴史の終末論、メシヤ降臨論
第5章 復活論
第6章 予定論、キリスト論
第7章 復帰原理 緒論
第8章 アダムの家庭、ノアの家庭
第9章 アブラハムの家庭、モーセの家庭
第10章 同時性の時代と真の父母様の摂理
第11章 指導者と精誠
第12章 原理と私たちの家庭光言社ポータルサイトより
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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