幼少の頃から、守護霊に鍛錬された北谷先生。
霊界の専門家といえるでしょうか。
著書「死んだらわかるけど、それでは遅い」より
『既存(きそん)の供養には限界がある』の続きです。
☆
(既存の神道や仏教などで)供養された霊は、
果たして霊界のどこに行くのでしょうか?
天国に行けるのでしょうか?
そうではありません。
その人が地上で生きていたのと
同じような霊界に行くのです。
つまり、その人の心霊基準に
ふさわしい霊界に行くのです。
☆
霊界には地獄界、中間霊界、そして天国があります。
地獄界は、特に人を殺したり、自殺したりした人、
また自己中心に生きて人から恨みを買った人が行く所です。
中間霊界は、 善良に生きた人、
他のために生きた人たちが行く所です。
家族のために、氏族のために、 地域のために、国のためにと、
ために生きた人たちは、中間霊界に行きます。
天国は、国や世界を越えて、
神様のために生きた人が行くのです。
☆
ところで、天国は一人では行けません。
「天国」は、「二」「人」「国」と書きます。
「二人で行く国」というわけです。
神様は人間始祖アダムとエバを祝福して
「生めよ、ふえよ...」と言われたと聖書に書かれています。
男性と女性が神様を中心として結婚をし、
家庭を築くことが神様の願いであり、祝福なのです。
つまり、天国は家庭で行く所なのです。
その家庭で、父母の愛、夫婦の愛、
子女の愛、兄弟姉妹の愛などの
愛の心情(四大心情圏という)を完成するのです。
そして、その愛が家庭にとどまるのではなく、
氏族、民族、 国家、世界と拡大してできるのが天国です。
地上生活で天国生活をした人が行くのが
天上天国なのです。
☆
誰でもみな、天国に行きたいと願っているのですが、
人を天国に導くことができる宗教とは、
どんな宗教なのでしょうか?
もちろん、神道や仏教など他の宗教で
修行や供養をすることによって幾分かは
高い霊界に行けるかもしれません。
しかし、それはほんのわずかです。
限界があるのです。
☆
家庭連合では、神様の願い、心情を教え、
神様のために生きることを教えています。
そして、人間始祖アダムとエバから始まった
過ち(原罪)を清算する祝福結婚を受けることによって、
堕落前の立場、すなわち本来の立場に戻ることができるのです。
つまり、人間を天国に導くことができる
唯一の宗教なのです。
☆
私が家庭連合に入って間もない頃のことです。
父方の祖母が、霊界から母を通して伝えてきたことがありました。
私の父と母が結婚したのは、
戦争がちょうど終わる頃で、とても大変な時でした。
「結婚したとき、十分なことをしてあげられなくて
申し訳なかった。そう言っておいてくれ」と、
母を通して言ってきました。
そして、祖母は、
「マサユキがよ、マサユキがよ」と
自分の息子の名前をしきりに言ったのです。
マサユキというのは、祖母の末の息子、
父にとっては一番下の弟、私には叔父に当たる人です。
この叔父は薬剤師だったのですが、若い頃、
恋愛をしたけれどもうまくいかなくて、
薬を飲んで自殺していたのです。
霊界というのは不思議な所です。
下の層から上の層は見えないのです。
でも、上の層からは下の層が見えるようなのです。
自殺した人は最下層にいるのです。
ですから、祖母からは息子が
地獄で苦しんでいるのが見えるというのです。
それで「マサユキを何とか助けてやってくれ。
何とかしてあげてくれ」と頼んできたのです。
霊界の祖母には、地上の私たちが家庭連合につながることで、
霊界に大きな恩恵が行くことが分かっていたので、
そのように頼んできたのだと思います。
既存の供養には限界がある
光言社刊 北谷真雄 / 著
「死んだらわかるけど、それでは遅い」より
光言社刊 北谷真雄 / 著
「死んだらわかるけど、それでは遅い」より
☆
北谷先生のように、
常に霊界にいる霊人たちと交流している方は、
霊界の存在を当たり前のように
感じておられることでしょう。
そういう方たちが多ければ、
もっと霊界のことも正しく伝わるのかもしれません。
私たちは、み言を聞いて、霊界を
「信じている」立場であり、やはり
どちらかと言えば、少数派だと思われます。
当然、学校で習うはずもないし、
知らなくても、日常生活には支障がない
一般には、このように考えられていることでしょう。。。
しかし、本当はそうではないのです。
霊界は永遠の世界であり、だれもが行くところですが、
その行先は、地上の今の人生で、
決まってしまうのです。
だから「死んだらわかるけど、
それでは遅い」ということになります。
正しい人生を送りながら、
天国に向かっていく者になっていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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