自己牧会プログラム
今回は、「全てのことに時がある」です。
☆
(女性 40代)
父母の皆さまがお子さんのことで悩み苦しみ、子供も親の信仰で悩み苦しんでいる──。
自己牧会プログラム事務局に寄せられる
こんなお便りをたくさん聞き、
希望になるかどうかは分かりませんが、
少しでも皆さまの心が軽くなればと思い、
証しさせていただきます。
☆
私は信仰二世です。
1986年、私が中学の時に母が伝道され、
以来、母は信仰の道にまっしぐらでした。
当時マスコミが騒ぐ“そこ”に
「まさかお母さんが行っているなんて」と、
少しショックを受けました。
でも母がしていることだからと、静観していました。
しかし父が教会に大反対していたため、
一人娘の私は、身が裂かれる思いをたくさんしてきました。
真の父母様に対しては憎しみさえ抱きました。
家の中が荒れるのがあまりにもつらくて、
20歳頃からの約2年間の記憶がないほどです。
大好きな父が大好きな母を迫害する姿は地獄でした。
何度布団をかぶり、涙したことか。
誰にも相談できず、心の中で
「神様なんていない。でもいたら助けて」
と何度助けを求めたことか──。
☆
このようにして過ごした私は、24歳の時、恋愛結婚をしました。
父は夫をかわいがってくれて、夫も私の両親を大切にしてくれました。
母は内心では私に「祝福結婚」を願っていたようですが、
私と夫の仲を引き裂くことはしませんでした。
結婚して半年ほどたった時、
私がなんとなく好感を持っていた教会の婦人から、
「ご主人と祝福を受けない?
教会に連れておいでよ」と言われて、
なぜかふらっと2人で訪ねました。
今思うとすごいことですが、そこで
原理講義などをひととおり学んだ後、
祝福の儀式がなされました。
その過程で夫はだんだん機嫌が悪くなり、
「もう二度と来ないし、お前も来るな!!」
と言って帰りました。
でもしばらくして夫が、「三日儀式をしないでよいのか?」
と聞いてきました。
夫は反対はしていましたが、
「教会で言われたから」と言って、従ってくれたのです。
☆
あれから22年。
3人の息子に恵まれました。
私は教会で奉仕をしたり伝道をしたりと、
ほそぼそですが活動しています。
夫は相変わらず反対の立場で、
子供たちも教会に行けていません。
子供たちに祝福を受けてほしいなあとは思いますが、
まずは私がたくさんの囚(とら)われを
下ろしてからだと思っています。
☆
あれだけ大反対していた父ですが、数年前から
少し認知症気味になり、性格も丸くなってきました。
そして2019年11月11日、教会で
奇跡的に既成祝福を受けることができたのです。
若い時は「教会に火をつけてやる!」と暴れていた父でしたが、
祝福式の時、教会長が
「霊界に行っても、奥さまと永遠に一緒にいたいですか?」
と聞いたとき、父はニッコリ笑い、
両手を上げて、「はぁい\(^^)/」と
幼子のように返事をしていました。
そんな父も昨年、亡くなりました。
父が迫害していたのは、ただ母を教会に取られた
気持ちになっていただけだったのだと思います。
今はきっと霊界で喜んでくれていると思います。
☆
振り返って思うことは、神様は全ての人に
祝福を準備されているということです。
ただ時があるのだと思うのです。
無理強いしないで、いつも見守り、
信仰をやめないでいてくれた母に感謝します。
きっと希望はあります。
過剰に求めず委ねて、感謝できなくても、つらくても、
「自己牧会」をしながら、自分の心の中に
天国を築いていっていただきたいと思います。
私も頑張ります。
私の心の中にいる神様 92
全てのことに時がある
(blessed lifeより)
全てのことに時がある
(blessed lifeより)
☆
教会が迫害を受けていたころ、
(先日紹介した記事で、日本はぺしゃんこだと
お父様が言われたといいますが
http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/484025788.html)
その頃でしょうか。
当時、み旨を歩まれた婦人たちで、ご主人から反対された方は、
本当に多かったと思います。
それでも、今回証しをしてくださった方のお母さんのように、
あまりにもご主人から迫害を受けたにも関わらず
乗り越えてこられました。
まさに、「烈女」というべき立場だと思います。
また、そこには、証しをされた方と同じく、
夫婦喧嘩をしているところで犠牲を受けている、
子供たちの姿もありました。
しかし、そんな中、ご本人も祝福を受けられ、
さらには、ご両親も祝福を受けられたのです。
お母さんの不屈の信仰を通して、
神様が「時」を与えて下さいましたが、
反対する人にも、全ての人に
神様は働かれ、準備されていると
希望を感じました。
素晴らしい証し、ありがとうございます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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