小山田秀生の自叙伝「真の父母様の御跡を慕って」より
『草創期の清平でのお父様との出会い』
☆
清平での真のお父様との出会いの話をしましょう。
草創期に私は原理研究会(カープ)の責任者として、
三回、訪韓させてもらいました。
1968年6月12日から一カ月、
69年、70年も年に一回、韓国を訪問しました。
ソウルから始まり、釜山(プサン)、大邱(テグ)、
光州(クァンヂュ)、水原(スウォン)等々、韓国全土を巡回したのです。
また毎年、韓国では夏季にカープの七日修練会が開かれていました。
そのときにお父様の 願いを受けて、
他のカープの責任者たちと一緒に訪韓しました。
☆
1969年に清平を訪問しました。
当時の清平には何もありませんでした。
お父様が使われる米軍のグリーンの三角テントと、
私たちの四角テントだけです。
お父様は「おまえ、釣りは好きか?」と言われ、
初めて釣りの仕方を教えてくださいました。
このときは、竹竿(たけざお)を伸ばして小魚を釣り、
獲れた小魚を天ぷらにして食べさせてくださいました。
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お父様には特別の仕掛けがあります。
船に割り箸を二十本ぐらい立て、その割り箸の間に
糸を入れ、糸を垂らして鈴をつけます。
魚がかかって糸を引くと鈴が鳴り、釣れていることが分かります。
このように、お父様の釣りは独特なものばかりです。
釣りについて私は、お父様から直接学ぶことができました。
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のちに米国でも
「ミミズはどこにいるか知っているか?」から始まりました。
そしてハドソン川では、
「大きい川のどこに魚がいるか?」とお尋ねになりました。
そして、「流れのある草陰に魚がいるんだよ」とおっしゃるのです。
まずは「流れを読む」こと、
そしてポイントにリール竿を使って「仕掛けを投入する」。
すると「魚信」(あたり)があり、魚がかかったことが分かります。
このようにしてハドソン川での釣りが始まり、
滝がある所などを回りました。
それからニューヨークに近いニューポートで、
一年物や三年物といった小さなマグロや、
ストライプトバス、ブルーフィッシュなどを釣りました。
そのようにして十五年間、夏季には一カ月以上、
お父様の直接のご指導を受けながら釣りをしたのです。
☆
話を戻しましょう。
清平では湖畔にビーチパラソルを立てて夜を過ごしました。
辺りは真っ暗ですから缶詰のあき缶に
灯油を入れて火を灯すと、その明かりに蛾が集まってきます。
するとガマガエルが出てきて蛾を食べるのです。
真のお父様のそばにガマガエルが来て、
あたかもお父様に侍っているかのようです。
お父様も、「おまえ、来たか」という顔をなさいます。
ですから、清平での第一号の“弟子”が、
このガマガエルです。
☆
そして、私たちはお父様とたくさんの話をしました。
清平に仙人峰(ソンニンボン)があり、
お父様はその山を指して、
「おまえ、この山を見てどう思うか?
老人が瞑想している姿に見えないか?」とおっしゃるのです。
お父様は「清平は最高の修練の場所だ」と語られました。
その理由の一つは、流れる川があることです。
どこから流れてきて、どこに行くのか分からない。
上から見ると、その流域は龍の形をしています。
そして、なだらかな平野があり、
それは平安を意味します。
そして 遠くに雪を頂いた山が見えるのです。
これは将来の希望、理想を表します。
周辺の景色が美しいと、望郷の念に駆られるということがありません。
豊かな自然の中、 故郷にいるように感じられます。
ですから修練所としては最高の場所だと言えます。
お父様は、将来、清平が人類の故郷になるという話をされています。
小山田秀生 自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」より
第五章 真の父母様の御指導を受けて
草創期の清平でのお父様との出会い
「真の父母様の御跡を慕って」より
第五章 真の父母様の御指導を受けて
草創期の清平でのお父様との出会い
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自然を愛され、万物を愛されたお父様は、
魚釣りに対しても、徹底していかれたがゆえに、
様々な方法を編み出されたのかな、と思います。
お父様とガマガエルの出会い、
その場面も写真など残っていたら、
なんともほのぼのとした物が
撮れただろうな、と思ってしまいます。
清平に関しては、『人類の故郷になる』
というお父様の予言をお母様が成し遂げる
今の摂理であるな、と感じます。
釣りのエピソード、清平に関してのお父様のみ言。
どちらも貴重なものでした。。。
小山田先生、ありがとうございます。
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あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
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過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
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