小山田先生の自叙伝より
「狭山公園での真のお父様のみ言」です。
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第六章 日本の行くべき道とは
狭山公園での真のお父様のみ言
狭山公園での真のお父様のみ言
一九七〇年代に入ってからも、天の摂理の推進のために、
真の父母様は何度も日本を訪ね てくださいました。
真の父母様は、一九七一年十二月五日に
第三次世界巡回路程の出発の際も来日され、
一週間滞在されたあと、渡米されました。
世界を救うためには、アメリカでのキリスト教の
精神復興が重要なみ旨だからです。
そのようにして真の父母様は、
アメリカでの摂理を中心に投入されるようになりますが、
翌七二年と七三年にはそれぞれ三回、
さらに七四年と七五年にはそれぞれ四回と、たびたび来日されました。
たくさんのみ言を語り、指導し、
日本の食口たちを愛してくださったのです。
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その中でも印象に残っているのは、
東京と埼玉の県境にある狭山公園で計四回にわたって
集会が開かれた際、語られた真のお父様のみ言です。
一回目が一九七二年四月二十六日で、
この年の最初の御来日でのことです。
全国から約二〇〇〇人の食口たちが狭山公園に集う中、
み言を語ってくださり、アメリカに続いて
日本での「世界統一十字軍」(十二団)を編成してくださいました。
二回目は同年五月六日、「神様と我々」と題して、
狭山公園でみ言を語られました。
三回目は一九七二年七月十一日、
狭山公園に静岡以北の食口たち約二五〇〇人が集まり、
真のお父様が長時間にわたってみ言を語ってくださいました。
その翌日には、兵庫県の宝塚研修所に名古屋から南の食口たちを集めて、
「信仰の一念」と題してみ言を語ってくださったのです。
四回目に狭山公園に来られたのは
一九七四年五月九日で、全国信徒大会が開かれました。
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狭山公園で語られた数々のみ言の中で、
印象に残っていることに触れたいと思います。
「アベルを打ってカインを悟らせる」との内容です。
真のお父様は竹竿を持ちながら、み言を語られました。
私は、お父様のすぐ前に座っていました。
お父様は私を見ては厳しく叱るかのように、
ときどき竹竿で叩かれるのです。
それはお父様の愛の作戦です。
当時、会長代理を担当していた私をあえて厳しく指導することで、
周りの食口たちを覚醒しようとされたのだと思います。
お父様からまるで風速一○○メートルの勢いで打たれるようでしたが、
私の仕事は、それをじっと感謝で耐えることだったのです。
小山田秀生 自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」より
第六章 日本の行くべき道とは
狭山公園での真のお父様のみ言
「真の父母様の御跡を慕って」より
第六章 日本の行くべき道とは
狭山公園での真のお父様のみ言
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お父様が竹竿で叩かれる・・・
小山田先生に「お前を全体を覚醒するため、
身代わりに叩くから、感謝して受けるように」
そう言って叩かれたのではないでしょう。
小山田先生が悟られて、痛かったとしても、
感謝して受けることをお父様が願われました。
なので、全体も正されたのだと思います。
私たちも中心(アベル)を通して試練を受けた時、
感謝して受けること、甘受することが
どれだけ重要であるのかを悟らされるのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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