李相軒先生が、霊界から送ってくださったメッセージ。
「霊界の実相と地上生活」より、
今回は、『霊界の姿と生活』です。
☆
私は李相軒(イ・サンホン)です。
私を李相軒でないのではないかと疑う瞬間に、
とても自尊心が傷つきます。
神様が認められるなら、
信じて聞いてくださるとありがたいです。
☆
霊界の姿
霊界は目に見える現象世界とそっくりのようですが、
霊界のその膨大な規模は、地上とは比較になりません。
例えば、現象世界の自動車の姿は、限定されていますが、
霊界の自動車は、一台がいろいろな姿に変わります。
前に行ってから後ろに行き、後ろに行ってから
再び回ったりもします。
回ったと思うと……。
車が瞬間的に山を貫いたりもし、
車を運転する運転手の思いどおりに車が動きます。
まるで子供たちが見る空想映画や、
神秘の宇宙世界の姿のような動きです。
「交通事故が起きないでしょうか」と李相軒院長に聞くと、
「無秩序なようだが、徹底して法度を守る
世界であるために交通事故はない」と語られました。
☆
霊界の生活
地上で暮らす人たちが、朝に起きて夜に寝るように、
霊界生活においても、起きたり寝たりします。
しかし、朝に起きて、夜に寝るというのではなく、
朝も夜も考えによって変わるようになります。
霊界に、地獄、天国、楽園という名を
誰がつけたのか分かりませんが、
本当に地獄、天国、楽園の生活の差はとてつもないものです。
☆
例えば、地獄にはこの世では見物することができない光景があります。
女が下半身も隠さないまま裸で立っていると
一人の男がその女の下半身に触ります。
すると別の女が、その男の下半身を触って、
自分のものだと言いながらけんかするのです(雑多な者の集まり)。
それでも恥ずかしい様子がなく、
悠然と悪に染まっている姿です。
☆
下駄(げた)を履いた日本の女が走っていて転ぶと、
ほかの女がその下駄を自分のものにしようとして隠します。
下駄をなくした女が捜していると、
下駄を隠した女は、「知らない」と叫びます。
すると周囲の人たちは「あの女が泥棒だ」
と指さしながら、皆が走り寄って、ぶんなぐるのが常です。
☆
指をけがした老人が、手が不自由で食べ物をつかめないでいると、
周囲の若者が、器ごと奪っていって、
自分の口に放り込むような生活が行われる所です。
髪を剃(そ)られた若い女が、髪の毛がないのを恥じて
手拭いで頭を隠していると、人が通り過ぎるたびに、
その手拭いをはぎ取って、手を拭いたり顔を拭いたりします。
女が手拭いを奪われてから、取り返してまたかぶると、
今度ははさみで切って半分は持っていき、
半分だけ頭に投げ掛けてやるのです。
そうすると、その女は、恥ずかしい姿を
隠すことができず、絶えず暗い所を探していくのです。
(1997年5月23日)
(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第二章 霊界で見た暮らしと地上生活
一 霊界の姿と生活
霊界の実相と地上生活(4)
(Blessed Lifeより)
(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第二章 霊界で見た暮らしと地上生活
一 霊界の姿と生活
霊界の実相と地上生活(4)
(Blessed Lifeより)
☆
李相軒先生が送ってくださる、天国と地獄の様相。
地獄の様子はリアルであり、悲惨ですね。
地獄に関して、いろんな人たちが、絵とか文章で表現していますが、
だいたい同じようなものになっているのは、
本当にそういう世界だ、ということなのだと思います。
欲望がむき出しになっているのですね。。。
地上でどんな人生を送ったのか、
その心持ちが霊界を決定することを思うと、
改めて、正しい心根をもっていくこと、
良心に根ざした生活を送ることの重要性を感じます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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