2021年12月31日

会いたくても会えない状況、常に皆さんに会いたいです! 《お母様の日本へのメッセージ》



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2021年も今日で終わりとなります。

大晦日、今年の〆の記事は、
真のお母様が、
日本家庭連合創立62周年記念式典に
寄せてくださったメッセージを紹介いたします。


愛する神日本の指導者、
祝福家庭、食口の皆さん!

世界的なコロナパンデミックのために、
行きたくても行くことができず、
会いたくても会えない環境で、常に
皆さんに会いたいと願う真の母の心を
まず伝えたいです。

世の中は困難で大変な時期ですが、
摂理的にはむしろ神様が天の父母様(神様)として
安着された天一国安着時代を迎えて、
私たちは歴史上空前絶後の新しい春の季節、
新しい時代を迎えるようになりました。

このような時期に、真の母と共に歩む皆さんは、
正に黄金期の時代に生きる、祝福を受けた人たちです。

しかし、祝福を受けた者には常に責任が伴います。
皆さん全員が永遠に枯れずに、
燦然と輝く天寶の花になるように祈願します。

方相逸・大陸会長と一つになって、
必ず摂理に母の国・神統一日本を
安着させる皆さんになるように祈ります。

併せて神日本家庭連合創立62周年を心よりお祝いします。
皆さんを愛しています。

天正宮博物館
韓鶴子 総裁


12月7日、東京のホテルで開催された式典で
このメッセージを方相逸・大陸会長が
お母様に代わって、代読してくださいました。

私たちを子供として見つめてくださっているお母様。
会いたくて会いたくてたまらない思いなのですね。
本当にありがとうございます。

黄金期にお母様とともに歩むことができることを
心から感謝しつつ、
来年もさらに飛躍できるように頑張って参ります。

皆様、今年もお世話になりました。
2010年から始めたこのブログも
来年で12年目に突入いたします。

変わらずに継続できたのも、
読んでくださっている皆様のおかげであり、
何よりも『私のとなりの神様』である、
妻のおかげであるとおもっております。

本当にありがとうございます。

来年もよろしくお願いいたします。
よいお年をお迎えください。


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posted by ten1ko2 at 08:04 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月30日

日本初、伝説の開拓伝道、「一粒の麦として」出発〜否定の5日間 《松本ママ奮戦記》



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松本ママの『信仰は火と燃えて』より
「一粒の麦として」

いよいよ、最初の40日開拓伝道に出発。
ちょっと長いですが、熱い思いが伝わる証しです。


横浜、大阪、京都、広島、仙台と、みんなそれぞれの任地が決められ、
私は名古屋へ行くことになりました。

たった一人で伝道費を稼ぎ、講義をし、
40日間で最低3人の人を伝道して、教会の基盤をつくるのです。
そんなことが果たして私にできるだろうか。

私はとても心配で、西川先生に
「本当にできるでしょうか。万一できない場合は
どうしましょう」と聞いてみたのです。

すると先生は、「信仰と努力さえあれば絶対できます。
あなたの運命を決する開拓ですから、
真剣にやってください」と励ましてくださいました。

聖書に「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、
それはただ一粒のままである。
しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」

とありますが、まさに私は、名古屋のためにすべてをささげよう
と決意して、この開拓伝道に出発したのでした。


イエス様は、弟子を開拓伝道に出す時に、上着も下着も持たないで、
着の身着のままで行けと言われましたが、
私は西川先生に許していただいて、ブラウス2枚、スカート2枚、
下着2枚を持って行くことにしました。

そしてスカートにパンフレットを入れるための
大きなしっかりしたポケットをつけ、
名古屋に向かって出発する準備をしたのです。

この出発に際し、下の娘が
「お母ちゃん、病気になって倒れないでしっかりやってね」
と言って5000円をくれました。

私はその娘の心がうれしくて、その喜びを
より大きなものとするために、5000円のうち3000円を、
やはり一人で開拓伝道に行く姉妹にあげたのです。
その姉妹は「まあ、これ全部くれるの」と言って喜んでくれました。

 
1961年7月20日夜11時ごろ、名古屋に出発する私のために、
西川先生は朝から晩までくず屋をしたお金をまとめて
片道切符を買い、小遣いとして1000円をもたせてくださいました。

そして真心込めてお祈をしてくださり、
見送りの兄弟姉妹と一緒に聖歌を歌い、
万歳、万歳と言って送ってくださったのです。
私は、うれしいやら恥ずかしいやら不思議な気持ちでした。

汽車がホームをすべり出し、西川先生との距離が遠くなると、
先生に愛され、指導されてきた日々が思い出され、
感謝の思いが込み上げてくるのでした。

けれども、列車が東京をすっかり離れてしまうと、
先生のことも東京のことも一切忘れて、
それ以上にこれから行く名古屋のことを考えていました。

名古屋はどんな所だろう。
40日私はできるだろうか。
様々な心配と不安が心をよぎり、
まんじりともしないで夜汽車に揺られていたのです。


少しうとうとしたかと思うと、翌日の早朝名古屋に着きました。

汽車を降り、トランクを荷物預り所に預けると、
まず名古屋で一番高いと思われる名古屋城に上りました。

そこから名古屋市内を見下ろすと、
焼け跡にぽつりぽつりと家が建ち、
名古屋駅は工事中で雑然として、
町全体にどんよりと深い霧がかかっていました。

その名古屋の町を見下ろしながら、
私は天の前に決意のお祈りをしたのです。

「天のお父様、私は必ずこの名古屋の地で、
 あなたのために働く人を探します。
 どんなにサタンが大いなる力をもって迫ってきても、
 必ず勝ってみせます。
 どうか天のお父様、名古屋の市民を祝福し、
 私に力を与えてください。
 あなたが予定した人に会わせてください」

祈り終わると、もうその瞬間から心があせるのです。
名古屋では自分一人しかいない。
自分一人で独立独歩、ただ無形なる神を信じて行かなければならない。

だから、もう一刻の猶予(ゆうよ)もならない。
そう思うと、寝ることや食べることなどとても
考えるどころではなく、早く誰かに会って
み言(ことば)を伝えたいと思うのでした。

 
そこで、急いで城を下りてバスに乗ると、バスガールに聞いて、
名古屋で一番にぎやかな町に降ろしてもらったのです。

そこは栄町という所で、デパートらしいみすぼらしい建物の前を、
たくさんの人々が往来していました。

バスから降りて四方八方を見回すと、十字架の掛かった教会が見えましたので、
私は迷わずその教会に向かって歩いていきました。

私は、新しい真理である「統一原理」を、
まず私の兄弟姉妹であるクリスチャンに伝えなければならない
という心情から、クリスチャンを最初に伝道することに決めていたのです。

教会のドアをたたくと牧師夫人が出てきたので、
「私は東京から来た伝道師ですが、
今晩一晩ここに泊めていただけないでしょうか」と聞いてみました。
夜、牧師が帰ってきたら、いろいろ話をしようと思ったのです。

ところが日本キリスト教団でない人は泊めるわけにはいかない
と言うではありませんか。

そこで私は「日本キリスト教団でなくても、
同じ神を信じキリストを信じている兄弟じゃありませんか。
庭の隅でも結構ですから、今晩だけでも泊めてください。
もう一度夕方に参りますからお願いします」と言って、
この教会に、栄えと祝福を与えてください、とお祈りして出てきました。


その教会を出ると、すぐ次の教会を探して電車に乗りました。
するとちょうど仏教の尼さんが乗っていたのです。

人に話しかけることは大変勇気がいるものですが、
早くみ言を伝えなければというはやる心に押し出されて、
旅の恥はかき捨てと、思い切ってその尼さんのそばに歩いていきました。

そして、私は神様の娘として、
神様の大任務を負ってきたんだという気持ちで、
「もしもし尼さん」とやさしく声をかけてみたのです。

「私はキリスト教の伝道師ですが、仏教もキリストも、
宗教のあり方は違っても目的は同じだと思います。
あなたがなぜ尼さんになったのか、
そういう証(あかし)を聞かせていただけませんか」

私がせっぱ詰まって熱心に話したので、
それに圧倒されたのかどうか分かりませんが、
2人で電車を降り、喫茶店に行くことになりました。
私はお茶やケーキをすすめながら、彼女の話を聞きました。

私は特に西川先生から、
「相手の話を最後までよく聞いてからあなたの話をしなさい。
相手の話を途中で折っちゃいけませんよ」
とよくよく注意されていましたので、
分からない話でも忍耐強く聞いたのです。

そして今度私が語る番になると、持ち前の早口で、
立て板に水を流すように話しました。

「人間は何もないところで話し合うことはできません。
神様の話をするためにも、食べ物が仲保の役割をしてくれます」

これも西川先生のよく用いられた例えの一つで、
私はその言葉のごとく実行したわけですが、
ここで早くも800円というお金を遣ってしまいました。

名古屋に着いた時、私の手もとには3000円があるだけでした。
ですから私は、これがなくなる前に何とか誰かを伝道しなければと思い、
朝と昼は水を飲んで
夜だけ次の日の活力をつくるために食事をすることにしました。

駅の近くにある大衆食堂で、みそ汁付で50円のどんぶり御飯を
夜だけ食べて40日間やってみようと決意したのです。


そうして一日中歩いて、夜の8時ごろ、
その食堂でどんぶり御飯を一杯食べてから、
最初に行った栄町の教会に行ってみました。

もし追い出されたら駅の中で寝ようと思っていたのですが、
私の寝る部屋を準備して、蚊帳(かや)をつくって待っていてくれました。

けれども牧師は会ってくれず、
「今晩だけです。もう来ないでください。
統一教会はよく知っています。
これ以上話す必要はありません」
とピシャッと言われてしまったのです。

私は「はい、分かりました」と言って、
泊めてくれた温情に感謝して、
「どうぞこの教会が栄え、神様のみ旨にかなった
教会であることができますように。

そして早くこの教会が『統一原理』を受け入れてくれますように。
どうぞ天の父よ祝福してください」
と、祈ってやすみました。

翌朝早く、感謝の祈りをしてその教会を出ました。


この日はまず黒板とチョークを買いました。
きのうの尼さんと、朝の九時に公園で会う約束でしたから、
それを持って急いで公園に行くと、彼女もちゃんと来ていました。
そこでさっそく、芝生の上に座り、創造原理の講義を始めたのです。

ところが、私にはまだ、赤ちゃんにおっぱいをやるような
やさしい話し方は分かりません。
彼女は理解しようと努めながらも、居眠りを始めるのです。
それでも私は、汗をだくだく流しながら真剣に語りました。

あす再会することを約束して彼女と別れたのが午後3時、
まだ2日目なのに何日も過ぎたような気がして、心はあせるばかりです。


それからまたバスに乗り、お寺でも、天理教の教会でも
どこへでも行って、質問したり話をしたりしました。

けれども、どこへ行っても、私の話を
真剣に聴こうとする人には会えませんでした。

どんなに立派な話をしても、感心はしてくれても、
それ以上聞こうとしないのです。

まっ黒な顔に変なブラウス、変なスカートをはいた
すごいおばさんのスタイルを見ただけで、
「あなたの話を聞きましょう」とは言わないのです。

そうして2日目の夜は、駅のガードの下で、
ボール箱を敷き、壁に背中を寄せて眠りました。
3日目は、蚊にさされながら公園のベンチで寝ました。

公園にはあちこちに人が寝ていましたので、私も、
黒板を持って、ショルダーバッグを背負って、
公園で寝ることにしたのです。


3、4日目は、キリスト教会を探して歩きましたが、
どこへ行っても「聞きたくありません。
出ていってください」と追い出されました。

ある教会では、「あなたは立派なことを言っていますが、
それはサタンです」と言って私を押し出し、
ドアをピシャリと閉めてしまいました。

一日中あちこち歩き回り、
夜は公園のベンチで寝る生活が4日間続きました。
もう体はくたくたに疲れ、5日目の夜には
全く疲労困憊(こんぱい)していました。

けれども心はあせるのです。
あと35日しかない、どうしようと。


私は毎夜、公園の中で、
「天のお父様、どうか明日は、名古屋で立つべく
予定した人に会わせてください」と必死で祈りました。

今の私にとって話し相手、訴える相手は神様しかありません。
ですから、人から見たら気違いではないかと思うほどに祈るのです。

歩きながら祈る、起きても祈る、座っても祈る、
祈りはもう欠かすことができないのです。

どんな時にも「天のお父様」と呼びながら祈りつつ歩み、
きょうも何の実績もないまま、5日目が終わろうとしていました。

松本 道子・著
(光言社・刊『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
信仰は火と燃えて 5
一粒の麦として


伝道師松本ママの開拓の任地は、名古屋からでした。
最初から勝利の道を行かれたのではなく、
否定の道を歩んでいかれました。

夏とはいえ、ガード下や公園で寝たとは
信じられないことですね。
その当時のお金の価値は、簡単には換算できないようですが、
ある見かたでは10倍くらいのようです。

松本ママは、様々な否定、迫害を受けながらも、
決して諦めない心情があったので、
そのあと、天が準備してくださったのだな、と思います。

開拓の時代と現在は、環境が違いますけれど、
天の前に誓ったものは、必ず成す、という
貴い心情は、絶やさないようにしていきたいと感じます。





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posted by ten1ko2 at 08:23 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月29日

受ける資格はないが、メシヤに出会ったから祝福を授かった 《小山田先生》



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小山田先生の自叙伝「真の父母様の御跡を慕って」から
『マッチングに不眠不休で投入される』です。


一九七五年二月八日、同じくソウルの同じ会場で
一八○○双国際合同祝福結婚式が 挙行されました。
世界二十カ国から参加し、日本からは八一一双が参加しました。

この祝福式に先立ち、真の父母様は、一月二十日、
一八○○双のマッチングのために、この年初めて来日されました。

二十一日に東京(世田谷区)の八幡山ボウリング場(当時)に
候補者たちを集めてマッチングをしてくださり、
二十二日には韓国に帰国されたのです。

当時、私は会長代理として
真の父母様に侍らせていただきました。
このときのようすについてお話しします。


一八○○双の祝福のために真のお父様は、
来日直前まで韓国でマッチングをされていました。

そして、日本でのマッチングのために、
二十日の最終便の飛行機で羽田空港に到着されたのです。

そして、いったん渋谷区の松濤本部に来られたのですが、
夕食もほとんど取られないまま、すぐマッチング会場に向かわれました。

お父様が天の摂理をなさるときは、
食事も眠ることも忘れて投入なさいます。
それは、お父様の伝統だといえます。


このときも真のお父様は、会場で待っている
候補者たちに向かっ て、「祝福の意味」について
一時間ほどみ言を語られました。

そのとき、おっしゃったのです。

「君たちに祝福を受ける資格はありません。
 しかし、真の父母に会ったために、
 祝福してあげるのです」


と。


マッチングが始まったのは午前零時でした。
そして夜を徹して約六○○組が成立したのです。

その後、真の父母様は、松濤本部に戻られましたが、
そこにもマッチングを待つ候補者たちがいました。

真の父母様は、お休みにもならず、
さらに百数十組のマッチングをされたのです。

このマッチングを通して、真の父母様の、
子女である私たちのために投入してくださる、
正に親としてのお姿を目の当たりにしました。


お父様は、'球体'であられる神様(天の父母様)に似て、
私たちも'球体'となれるよう、
いちばん近い相対を探してマッチングしていると語られました。

もちろん、マッチングを受けたからといって、
すぐに'球体' になれるのではありません。

二人が一体となるためには、
少なくとも二、三年はかかるというのです。
相対と一体となることで、 神様がそこに臨在なさるのです。

またマッチングの場は、霊界が
一○○パーセント開かれている、と言われます。

私は、マッチングをしていかれるお父様に侍りながら、
そのような場面にたくさん接することができました。

私たちが、組み合わせられた対象者たちに対応する際、
その組み合わせを間違えたりすると、すぐさま、
お父様は「それは違うよ」と言って正してくださいます。
常に完全な球体になれるような人を合わせてくださるのです。


こうして真の父母様は、二十二日午後の便で韓国に向かわれました。

そのとき、父母様と一緒に帰国する予定の崔昌林先生が、
韓国への再入国の手続きをしていないことが分かりました。
そこで、久保木修己初代会長の指示で、
急きょ私が、真の父母様に同行することになったのです。

ソウルに向かう飛行機で、私は生まれて初めて、
お父様の隣の席に座りました。

お父様は席に着かれるとすぐに、大きないびきをかいて
眠ってしまわれたのです。
あたかも天宙を貫くほどの大いびきでした。

そのお姿に女性の客室乗務員は、
「社長様、はとてもお疲れのようですね」と驚いていました。

私は、「そうです。二日間、
徹夜が続いていましたので」と答えました。

しばらくしてお父様は、ご自分のいびきの音に
驚かれたように「おおーっ」と言って目を覚まされました。
そして、ちょうど配られた機内食を召し上がられたのです。

私は、お父様に侍りながらソウルの旧本部教会に行きました。

小山田秀生 自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」より
第七章 祝福と「血統転換」
「マッチングに不眠不休で投入される 」


祝福を受ける資格はないけれど、
真の父母に会ったために、祝福してあげる・・・
これは、1800双の先輩たちに向けて語られたみ言ですが、
祝福結婚を受けた、すべての人に当てはまるのだと思います。

唯一の条件が何か。
それが真の父母様に出会った、ということなのです。

飛行機の中で大いびきをかかれるお父様。
霊界を総動員して祝福を与えられますが、
やはり、お父様の生身の人間なのです。。。

文字通り、完全投入されるお父様に
感謝の言葉しかないですね。



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