2021年12月28日

神様の思いと、私の思いは、ほぼ100%違う?! 神が働かない・あるある 《蝶野部長*精誠篇》A



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本部の蝶野知徳(ちょうの とものり)家庭教育部長の
「精誠篇(せいせいへん)」、第2回目。

いかに、神様に摂理される、
神の働く私になるか、というお話ですが、
神が働きそうにない例が、たくさん出てきます。


「私の思いと蕩減(とうげん)」ということでお話していきます。

まずはですね、これ(パワーポイントの右の男性の絵)は、
親の言うことを聞かない息子のイメージなんですね。
でもこれをご主人にしてもいいし
伝道対象者にしてもいいし、自分の妻にしてもいいですよ。

で、息子を復帰するというとき、伝道しようとする時に
私の中に思いが湧いてくる。

例えばみなさん、自分の子女(息子、娘)を伝道するにしてですよ、
その名前を思い浮かべた時に、
どういう思いが来るかっていうことですね。

この対象者のイメージが、心に湧いてくるわけですよ。
そしてそのイメージは人によって違うわけですね。


例えば、夫の場合を例に挙げると
「うちの主人は、調子のいい時はこうなんですけど
プライドを傷つけられたら、子どものように怒るんです」
と言ったとしますよね。

例えば、その奥さんが違う奥さんだったら
(夫について)同じ事は言わないんですよ、
また別なこと言うわけですよ。

つまり、夫の性質を自分が言い当ててるつもりなんですが、
そうじゃなくて、それは私の見解なんですね。
私の「思い」なんですよ。

この思いがある以上、私は摂理されないんです。
なんで?
神様の思いと違うから。

神様が夫を見ている思い、皆さんの子女を見つめる思いと
私の思いは違います。
ほぼ100%違う。

1 私の思い:『この子は愛しにくいし…』

なぜかというとね、私の思い、
(図の左一番下に)「この子を愛しにくい」(とあります)。

例えば、子女復帰、もう2世の時代が来た(と言われるし)、
よそ様の家庭は子女が祝福に入っている、
うちの子はまだ証してもいない、とかね。

「愛せよ、愛せよ」と言うんですけど、
「家庭の時代が来た」とは聞くんだけども、
しかし、愛しにくい。

で、人の証し(あかし)を聞く。
どこどこの子供さんが教会に来るようになった。
あれはもう、子供さんがね可愛いらしいから、
愛しやすかったんでしょう、と。

うちの子愛しにくいですから、という感じでですね、
証しを聞いても、悪い方、悪い方にとって、
うちは特別なんだということを
主張するのは、天才的なんですよね。

2 私の思い:『この子は私に反発しているし…』

愛しにくい、あるいは、
この子は私に反発している。。。

証しで出てきたあの息子さんは、
親に反発がなかったから上手くいったんだ
みたいな、言い訳をまたするわけですね。

だから皆さん、証しを聞くというのは恐いもので、
逆効果になる場合もあります。

証しのポイントをつかめる人ならいいんですけどね、
証しのポイントをつかめない人は、
あの家庭はご主人が素直だったからできたんだ、
こういう風にして言い訳を作るんですね。

そうやって、マイナスになっていく場合があります。

蝶野知徳・精誠篇1 

父母による子女の家庭教育 精誠篇より
「内的蕩減と生活信仰」
摂理される私、実体基台のために
このみ言は、2018年に蝶野部長が
広島の家庭教育部長だった頃
全国の教区から要請があり出張して語られたものです。
(文責:ten1ko2)

この、神様に摂理されない、「私の思い」には、
5つの例が紹介されていますが、
今日は2つめまでのお話でした。

自分の家族に対して、
神様が見つめる思いではなく、
自分の思いで家族を見つめる。。。

これだと、神様に摂理されない「私」になってしまいます。
すなわち、人と比較して、愛の減少感を感じ、
神様が働きたくても働くことができないんですね。

さらには、「うちの家族は、難しい・・」
と諦めてしまうこと、これも摂理されないと思います。

問題は、神様が摂理されるには、
家族を神様がどのように見ておられるか、
神様の心情に通じる「私」になるか、です。

蝶野部長のみ言に励まされますね。

まだまだ続きます。。。

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posted by ten1ko2 at 06:46 | Comment(0) | 蝶野部長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月27日

「あなたの神は夫ではないか」 神は私のそばにいた! 《自己牧会プログラム》



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HJ天宙天寶修錬苑☆


自己牧会プログラム。
今回は、「あなたの神は夫ではないか」です。

(女性 60代)

家庭を出発した時から、夫婦一体化を願い、
そこが一番の要だと思って信仰生活を送ってきました。

しかし、夫はとても現実的な人で、
私とは性格も考え方も極と極でした。
そんな夫と分かり合うことは難しく、
願ったとおりに歩んでくることはできませんでした。

34年という長い年月がたちましたが、
まだ糸口が見つけられずにいた時、
自己牧会プログラムに出合いました。

 
私は良心に、「なぜ、このような人を
主体者として選ばれたのですか?」と聞いてみました。

すると、「あなたが、『天の父母様(神様)のことを
慰める者になりたい』と願ったからだ」
という思いが湧いてきたのです。

「えーっ、私の祈りが原点にあったのですか。
その祈りがマッチングに呼応していたのですか!」
驚きの答えでした。

でも、不思議に安堵(あんど)感がありました。
 

神様の陽性実体としての夫と、陰性実体としての私が
一つになることを通して、神様の似姿になるのであり、
逆に私一人では神様の似姿になれない、
夫がいてこそ神様の似姿になれるのだということも
分かり、心がすっきりしました。

私は、「夫と私がそれぞれに個性完成して、
神様の似姿になれたらどんな感じがするだろう」
とイメージしてみました。

すると、とても穏やかで平安な気持ちになれました。

本当に極と極の夫婦ですが、私は初めて、
夫のことを思う中で平安を感じることができたのです。

今でも、現実的な夫の言動に接すると心が折れそうになるのですが、
先のようにイメージすることで、
穏やかな心を取り戻せるようになりました。

 
このような心情で家庭を出発できていたら、
子供たちにも苦労させることはなかったのにと悔やまれます。

でも、まだこの世に生きている時に気付くことができ、
穏やかな気持ちで夫を思えるようになったことが、
喜びであり感謝です。

子供たちに光を送り続けて、
四大心情圏の確立を目指したいと思います。


自己牧会プログラムを始めた頃、
「神様の声を聞きたい」と祈った時、

「あなたがつらい時、悲しい時、うれしい時、
いつも一緒にいたではないか。
これ以上、私の声を聞きたいとは何ごとぞ。
あなたの神はあなたの夫ではないか!」
と言われたことがありました。

その内容が改めて、私の心の中にすとんと落ちてきました。
もうすでに、私は答えを受け取っていたのです。

夫と一つになれないと神様が顕(あらわ)れることができない
ということが分かった今、私たち夫婦が
どのような神様になれるのか、楽しみにしながら
信仰生活を送っていきたいと思っています。

私の心の中にいる神様 101
「あなたの神は夫ではないか」
blessed lifeより


真のお父様がカップルを決めてくださった
マッチング家庭の夫婦は、
「極と極との出会い」とよく言われます。

初期の頃の夫婦ほど、「極と極」度が強かったと聞きます。
今回証しをされた方も、「60代」とありますので、
6500双か6000双の方だと思います。

祝福家庭として、一つになることが
天の願いでありますが、
違いすぎると、一つになることも大変です。

一つになることが私自身の本心の叫びですが、
一つとなるためには、天の声を聞くことが必要かと思います。


先日、南千葉教区の五十嵐教区長をお迎えした
役事集会で、み言をいただきました。

すべてが天寶修行の道である、というお話でしたが、
そこでも、天の父母様(神)と一つになった
真の父母様の心情と
いかに一つになるかである、と強調されていました。

天寳修行とは、天寳家庭になるための修行ですが、
氏族メシヤの基盤だけでなく、
人との関係性の中で、愛して一つとなることが不可欠。

夫婦、親子、氏族、地域を愛して一つになる、
現状を突破して、克服する・・・
そのためにも、知恵も天から受けるものなので
天の心情と通じることが大切だというみ言でした。

天の心情を知ることは、
良心に働かれる神の声を聞く
自己牧会プログラムに通じると感じました。






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posted by ten1ko2 at 10:23 | Comment(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月26日

私も阿部公子夫人の証しを聞きたい! 「日本人は真の父母に出会うと涙」他 《千葉21修練生感想》



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今日は、「千葉中央修練所だより」
『阿部公子夫人の証しを通して
真の父母様の心情に近づく修錬生たち』を紹介します。


ご聖恩感謝申し上げます!

2021年最後の「千葉中央修練所だより」になります。
第12期孝情天寶21日修錬会も、12月26日には全日程を終了し、
55人が新たな旅立ちをしていきます。

今年の21修は間もなく終わりますが、
その後12月28日〜31日には年末短期修があり、
そこにも実体で約50人、オンラインで約45人が参加予定です!


今号では、毎月伝道実践終了後に証しに来てくださっている
阿部公子講師の講話後の感想文を紹介します。

阿部公子講師は、真のお母様(韓鶴子総裁)と同じ1943年に誕生し、
1962年に統一原理と出合い、日本教会の草創期に
開拓伝道で苦労しながら、各地で結果を残された大先輩です。

1970年777家庭の祝福を受け、漢南国際研修院で
真の父母様に直接侍った貴重な証しをお持ちのかたでいらっしゃいます。

「心の中心に語り継いでいきたい」
(一世 60歳 女性〈6500家庭〉)

阿部夫人を通して真のお母様の香りを感じさせていただきました!
真の女性の姿とは、このようなかたなのだと感動しました。
謙虚で謙遜で穏やかで…。

真の父母様の貴重なお話をいただいて、
いつまでも心の中心に語り継いでいきたいと心から思いました。

全てをご存じの真の父母様
(一世 38歳 女性)

一つ一つの証しがすごく感動的でした。
もっともっとずっと聞いていたいと思いました。

阿部夫人が真のお父様と一緒に卓球をしたことや、
柿を一緒に食べたことが、まるで自分がそのように
していただいたと思うくらい、お話に引き込まれました。
とてもうれしかったです!

聞きながら、真のお父様のそのお姿は、
本当に「お父さん」なんだと感じました。

「日本の兄弟姉妹のことを思い、涙される真の父母様であり、
皆が頑張る姿が見えなくても霊的に分かるし感じるんだ」
と聞いた時、私も涙していました。

伝道終了後に、なぜか真の父母様を思ったら
涙が出てきたことを思い出しました。
今思うと、真の父母様が私たちのことを思って
涙されていたのだと気が付きました。


「真の父母様にお会いすると、他の国の人たちは笑顔なのに日本人は皆涙を流す」
(祝福二世 23歳 男性)

真のお父様、真のお母様とのリアルな実体験の
お話を聞くことができ、本当にほほ笑ましく、
親の心情、真の愛というものを肌身で感じることができました。

「目の前の一人の日本人を愛することで、
日本の食口(家庭連合の教会員)全員をわが子として愛されている」
という話もとても感動しました。

「真の父母様にお会いすると、他の国の人たちは笑顔なのに
日本人は皆涙を流す」という話を聞きながら、
公的にみ旨を歩み続けてきた母の姿が浮かび、
21修を終えたら、いろいろ母と話をしてみたいなと思いました。

ナビゲーター:小畑守男(千葉中央修練所所長)
「千葉中央修練所だより」
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=13571
BlessedLifeより


阿部公子夫人の証し、聞いてみたいですね。
感想を聞くだけでも、感動が伝わってきます。
今日の表題は、この感想を読んだ私の一番の思いです。

「真の父母様にお会いすると、
他の国の人たちは笑顔なのに日本人は皆涙を流す」

日本の食口たちは、ただ愛を受けるだけでなく、
実子の立場で、親とともに苦労の道を歩んだので、
涙を流していくのだな、と思いました。

草創期の先輩がたは、おひとりおひとりが
日本統一教会の生き証人であり、歴史です。
多くの功労を積まれた皆様に
改めて感謝したいと思います。





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posted by ten1ko2 at 10:06 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする