李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言。
「最後までカナンを目指すには」です。
☆
摂理に参加したその信仰人物たちが、
初めはそういう立派な動機をもって出発したけれど、
途中で脱線した人も多いのです。
簡単にいえば、イスラエル民族がカナンの地を好んで
エジプトから出発したけれど、途中であんまり貧乏したり、
苦労するものだから、結局神の摂理とか、
神に呼び出され、神によって導かれていくんだ
というその関係よりも、自分たちの立場で行くんだ
というように方向が転回してしまうのです。
それで、価値観も崩れてしまったのです。
☆
こういうように失敗した人たちを見れば、
方向転回をし、自分を中心として方向を決定したのです。
そのため、心霊管理が一番問題となるのです。
自分がみ言によって復活されているかということ、
本当にそういう心霊管理をすれば、
神様が存在し、生きておられることを実感するのです。
☆
だから信仰を長くやった人で、最後に
「神様はいるのかな」と疑いをもつ人が多いのです。
だから神学校の教授をやりながら、
最後には神様が死んだという論文を発表して、
「死んだ神様」という話をするのです。
皆さん、聞いたことがありますか。
「神は死んだ」。これは、神を信じない人が言ったのではなく、
一生涯神がいると信仰した神学校の教授の立場での結論なのです。
これは何を意味するかというと、
本当は信仰者が、信仰している人が、
神が死んだつもりで信仰しているということです。
☆
イスラエル民族がヤハウェの神様がいると言ったけれども、
ヤハウェの神様がいないという結論になってしまったのです。
それでは、再びメシヤが来ても、メシヤの怨讐になってしまうのです。
ほとんどの牧師は、神がいない生活をしているのです。
その人は、自分の学問でもって、知識でもって人を教える、
職人になってしまっているのです。
生きた神と共に暮らしながら、生きた神を教えなければならないのに、
実際は、そうでない人が、牧師の中にたくさんいるのです。
名前は牧師ですが、神を紹介する人ではないのです。
そういう人が、世間にはあまりにも多いのです。
☆
私たちの兄弟の中にも、「統一原理」を聞いて入教しているけれども、
生きた神と共に暮らせずに、ただ仕事に追われて、
職人、または仕事のための人間になっている人もいるのです。
相当いる。
相当いる!
皆さん、それは経験するはずです。
例えば、「礼拝に参加しよう」と言っても、
「きょうは日曜日だから休みたいのに……、やむを得ないなあ」と。
やむを得ずに教会に行っている人がいるのです。
心霊を根拠として、心霊の原動力を中心とした生活ではなく、
宗教儀式、習慣となっています。
初めは神と因縁があったけれども、年が流れ、
一年、二年、三年、七年になると、
やむを得ずに宗教儀式に従う。
やむを得ずに主管されてしまう。
そういう立場へと脱線するのです。
6.心霊の安定した者になるために
「最後までカナンを目指すには」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
「最後までカナンを目指すには」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
☆
今回は、ちょっと厳しいみ言でありました。。。
教会に通っていても、形だけの信仰であってはいけない、
もちろんおっしゃる通りだと思います。
ただ、「私は神様・父母様を信じ、侍っている。
だから教会に行く必要がない」
それもどうかな、とも思います。
摂理は進展しています。
真の父母様のみ言も今の時に、
必要なみ言を語ってくださいます。
また、目の前の牧会者に侍ることも、
その先にある真の父母様に侍ることにもなると思います。
組織信仰では決して良くないとは思いますが、
兄弟姉妹、家族、という観点をもって、
神様、真の父母様を中心とした家族づくりのために、
教会に集う、という観点で、
これからも信仰生活を送っていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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