2021年12月22日

ユダヤ・イスラム・キリスト教、3大怨讐を愛で一つにした真の父母 《史吉子先生》



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史吉子(サ キルジャ)先生の
「原理に関するみ言の証」より、
今回は、『幼少の頃から特別な能力を現わされたお父様』後半です。


皆さん、この世に三大怨讐があります。
それはユダヤ教、イスラム教、キリスト教です。

この三つの宗教は、同様に神様を信じています。
ところが、お互いがまたとない怨讐です。

それでお父様は、中東地域に平和使節を多く派遣され、
平和集会も多く開催されました。

ところが、お父様が派遣なさる人たちはこちら(イスラエル)でも歓迎され、
あちら (アラブ)でも歓迎されます。
それはお父様が生涯、彼らを一つにするために
力を尽くして来られたからです。

その三大宗教が統一されて初めて他の宗教も統一され、
全ての宗教が統一されて初めて世界が統一され、
世界平和が成し遂げられると言うのです。

それでお父様は「その怨讐たち、お互い
憎み合い殺し合って来たその怨讐たちを
どのように連れ添わせようか?
どのように祝福してあげようか?」
と言われながら、
とても深刻に悩んでおられるそうです。

ところが、それが十分に可能です。
なぜかと言えば、彼らが皆お父様のことが好きだからです。

それでお父様が何とおっしゃったかと言うと、

「私が霊界に行く時、
 神様にお見せする最後の場面が一つある。

 その場面が何かと言えば、『ああ! 天のお父様、
 私たちは天のお父様が私たちの親であることを
 知りませんでした。

 私たち五色人種がお互いに憎み合い、争い、
 殺し合ったけれど、結局、私たち五色の人種は
 兄弟だと言うことがわかりました。
 同じ神様から出て来た兄弟です。

 だから、もうお互い争わず、
 お互い愛し合って助け合いながら、
 一生懸命にあなたを父母として
 侍りながら生きて行きます』
 と言いながら、

 肩を組み、お互いの腕を掴んで、
 おいおい泣きながら『私たちが間違っていました。
 私たちがわからなかったので、そうしたのです』
 と言いながら、神様のもとに
 帰って来る姿をお見せする。」


とおっしゃいました。
そうして、

「そのような姿をお見せしながら、
『神様、私に任せてくださった世界平和は、
 やっと成されました。
 あなたを裏切ってあなたに背を向けていた
 息子娘たちが、このように
 帰って来たではないですか?』。

 このようにご報告できなければならない。
 そうして初めて笑いながら目を閉じることができる。」



とおっしゃいました。
そのような時が今、近づいています。



真の父母様は、宗教を一つにするために、
活動していかれたこともみ旨の中心であったといえます。

しかし、お父様が神様に誓った約束は、
本当の意味で果たすことができたかといえば、
現実的には、象徴的なものであったでしょう。

今、お父様の遺言を果たすべく、お母様が
先頭を切って歩んでおられます。

希望前進大会をはじめとしたさまざまな大会でも
宗教指導者たちが一堂に会して「合水式」なるものを行っています。

そういった一つ一つの歩みが、
お父様が地上でできなかったことを果たす道であり、
神様の恨を解く道でもあるといえると思います。




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posted by ten1ko2 at 10:00 | Comment(0) | 父母様の路程 生活の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月21日

日本が行くべき道はこれだ! 「日本のために…そして、全ては神のために」 朴普熙先生が感銘を受けた内村鑑三



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▲内村鑑三


朴普熙(パク・ポーヒ)先生のみ言、
『青年よ行け、そして世界を救え』より
「日本の未来はどこへ行くのか」を紹介します。

1990年代後半に青年、学生を中心とする人たちに
講演した内容です。


皆様。大変楽しい時間でございました。
では私は、今日の私の話の総括をしたいと思います。

私は今日、神の実在から始めて、
救世主の再臨、霊の存在、
人類の終末に至るまで、多くのことを語りました。

では今、この日本は来る新時代に備えて、
いったいどのように対処したらよいのでしょうか?
特に若い皆様は、何をしたらよいのでしょうか?

 
20世紀の初め、日本の有名なクリスチャンであった
内村鑑三は、名言を残しました。

彼は、東洋から新しい霊的運動が起こり、
再臨の救世主が現れるのは、西洋ではなく、
東洋であると予言した偉大な日本人でございます。

私は内村鑑三先生の故郷である群馬に行って、
先生の詩碑を訪ね、先生の名言の直筆を見てまいりました。
そして花束を置き、参拝いたしました。

 
1946年9月27日、終戦一年後、東大の総長であった
矢内原忠雄先生は、北海道大学中央講堂での講演の中で、
内村鑑三と新渡戸稲造、この二人に対して、
次のごとく語りました。

「私の講演の結論を、最初に簡単に申せば、
内村鑑三、新渡戸稲造、この二人の先輩が建てようとしたごとく、
日本の国が建ってくれたならば、
日本は今日の悲惨なる国辱、国難を見ることなくして、
我々も、諸君も平安に学問に従事し、
仕事に従事することができたであろう。

しかるに、この両先生の志したところに、反対する
思想と勢力が、日本を指導したがために、
今日の有様となったのである。

それゆえに、我々が日本の国を再び興すというならば、
自分はもう一度、札幌農学校創立当時に帰って、
そこから出発しなければならない」と。


その札幌農学校の創立精神というものは、
すなわちウイリアム・クラーク博士の精神であり、
それはキリストの精神に徹した人格教育であります。

それが、クラーク博士の精神を受け継いだ内村鑑三が、
次の名言で表現したのであります。

これは、内村鑑三の遺言でございます。
自分の墓に刻んでくれと書いておいたのです。

“I for Japan, Japan for the World, The World for Christ, and all for GOD.”
「私は日本のために、日本は世界のために、
 世界はキリスト、すなわち救世主のために、
 そして、すべては神のために」。


 
矢内原先生は、こう結論づけました。

「今日、敗戦によって意識させられたすべての欠陥は、
クラーク博士による札幌農学校的教育が、
日本全体に対して行われなかった結果に
ほかならないのである」と。

私たちは、日本が経済的超大国となった今、
クラーク博士の札幌農学校の精神に帰って、
再出発する最後の機会であると、断言するものでございます。

これが、日本の未来が行くべき
唯一なる道であると思うのでございます。

 
それを成し遂げようとする運動が、
まさしく統一運動であります。

そういう意志と決断と内容をもっているのが、
統一運動であり、J-CARP、大学原理研究会であり、
世界平和青年連合でございます。

私は内村鑑三先生に、とても感動いたしたものでございます。

日本の本当の在り方は、
日本は「為(ため)に生きる」すなわち、
日本は世界のため、救世主のため、
そして神のためにあるべきだという、
偉大な日本人の証言でございました。

私はこれが、本当に日本の未来が行くべき道を
示すものであると信ずるものでございます。

(光言社・刊『青年よ行け、そして世界を救え』より)
六、日本の未来はどこへ行くのか
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=13442
青年よ行け、そして世界を救え 21
日本の未来はどこへ行くのか
(blessed lifeより)


朴普熙先生が日本の総会長だった頃のある講演を
まとめたものです。(希望の日青年大会)
世界平和青年連合の名が出ているので
1996年ころではないかと思います。

朴先生は日本語が堪能でした。
文面から、その語り口調をうかがうことができて、
なんだか懐かしい思いにさせられます。。。

先生の言われるように、
内村鑑三のような偉人の教え、
「ために生きる」という精神が
日本の教育に植え付けられていれば、
もっともっと世界に貢献していたでしょう。

そういう意味で、私たちの統一運動は、
真の父母様の教え、「ために生きる」
そのことをモットーに活動しております。

そのみ言の実体になるべく、
精誠をささげる私たちにならないといけない・・・
改めて思わされました。



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2021年12月20日

敵、味方?! 私の成功のカギを握るのは○○、この2文字は・・・ 《篠崎先生》



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篠崎先生のみ言、「喜びと幸せの生活伝道」より
『堕落性から来る生活習慣を変える』を紹介します。


サタンは常に私たちを狙っています。
人間は弱い存在であり、脇が甘いとすぐに
サタンが忍び寄ってきます。

どんなに精誠を尽くしても、一瞬の失敗によって
すべてが崩れ去ってしまうこともあるのです》

真のお父様が「天宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」を
目標にしてみ旨を歩まれたように、
私たちも三大欲望(睡眠欲、食欲、性欲)を主管して、
日々の生活を正さなければなりません。


これは、数年前に私が出会った印象深い言葉です。

「私はあなたの変わらぬ友である。
 私はあなたの最大の支援者、そして最大の重荷である。
 私はあなたの背中を押すこともあれば、
 失敗へと引きずり込むこともある。
 私は完全にあなたの思いのままである。

 私はすべての偉大なる人物の召使いである。
 そして悲しいかな、すべての破綻者の召使いでもある。
 偉大なる人物は私のおかげで偉大になることができたのであり、
 破綻者は私のせいで破綻に追い込まれたのだ。

 私を利用し、訓練し、毅然とした態度で接すれば、
 私は世界をあなたの足元にひざまずかせてみせよう。
 私をなおざりにすれば、私はあなたを破綻に追い込むだろう。
 私は何であろう」


この正体は何だと思いますか?
それは「習慣である」と書いてありました。

 
私たちは堕落性から来る習慣を変えていかなければなりません。

私たちの人格は毎日の生活習慣によって形成されます。
まず、明確な生活目標を立て、習慣を変える努力をしましょう。

伝道は「できる」と信じるだけでは進みません。
たゆまぬ努力によって対象者一人一人を愛し、幸せにするのです。

伝道の経験と実績を積んでこそ、
「人はみ言によって救われる」という実感が持て、
「伝道できる」という確信を持つことができるのです。

地道にコツコツと、まず一人から伝道していきましょう。

篠崎 幸郎・著
(光言社・刊『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第五章 み言に学ぶ伝道の秘訣
一、蕩減の基台を立てる
堕落性から来る生活習慣を変える
(blessed lifeより)
「私は何であろう」の
全文を下に紹介します。
作者不詳です。


なるほど、「習慣」ですね。。。
本当に悪なる習慣性に縛られると、
生活自体がマイナス的になってしまいます。

真のお父様が語られるように、
まさに「天宙主管の前に自己主管」です。

自分の堕落性に主管されないように、
悪なる習慣性に飲み込まれないように、
一日一日、一瞬一瞬に投入していきたいと思います。




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「私は何であろう」

私はあなたの変わらぬ友である。
私はあなたの最大の支援者、そして最大の重荷である。

私はあなたの背中を押すこともあれば、
失敗へと引きずり込むこともある。

私は完全にあなたの思いのままである。

あなたがする仕事の半分は私に託されるだろう。
そうすれば私はすばやく、かつ正確に
その仕事を片づけることができる。

あなたが私に対して毅然とした態度をとっていれば私は扱いやすい。

どのようにしてほしいかを正確に示してくれれば、
少しの訓練で自動的に与えられた仕事をこなすことができる。

私はすべての偉大な人物の召使いである。
そして悲しいかな、すべての破綻者の召使いでもある。

偉大な人物は私のおかげで偉大になることができたのであり、
破綻者は私のせいで破綻に追い込まれたのだ。

私は機械ではないが、
人間の知性と機械のような正確さで仕事をこなす。

あなたが利益を求めて私を働かせようが、
破滅に向かって働かせようが、私にとっては変わりはない。

私を利用し、訓練し、毅然とした態度で接すれば、
私は世界をあなたの足元にひざまずかせてみよう。

私をなおざりにすれば、私はあなたを破滅に追い込むだろう。

私は何であろう、習慣である!



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