2021年12月19日

私たちの最大の悩みは何か 子供、夫、お金・・・?! 《蝶野部長*精誠篇》@



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本部の蝶野知徳 家庭教育部長の「精誠篇」を
シリーズで少しずつ紹介します。

伝道ができない、子女教育が難しい、夫(妻)が、家族が・・・
という方に、とっておきのお話です。

父母による子女の家庭教育 精誠篇より
「内的蕩減と生活信仰」
摂理される私、実体基台のために

(タイトルが)「内面の蕩減と生活信仰」ですね。
あまり皆さん聞かれない言葉だと思いますが、
「内的蕩減」という言葉がお父様のみ言にございます。

縦横の八段階も、この内的蕩減をしながら
外的蕩減していきますが、
一段階、一段階を超える内容になっております。

今日は非常にわかりやすい内容だと思います。
ぜひ皆さん、実践していただけることを願っております。


(副題が)
「摂理される私、実体基台のために」とあります。

皆さん、わたしたちが教会でよく聞くいろんなことというのは
自分の実力を超えていることですよね。
自分の実力を超えているスローガンが
来てるはずなんです、すべてにおいて。

ということは、自分の力では無理だということなんですね。
これは、不信仰ではありません。
自分の力でやるものではありません。
神様には体がないので、私たちがやるだけなんですね。

ということは、神様が先にやりたいわけです。
私たちが伝道したいわけじゃない。
そして自分の子女の祝福に導くのも自分の子供だから
導きたいんじゃないんですね。

私たち親が導きたい前から、神様が先に導きたい。
摂理の勝利もそうです。
私たちの願いのように、出発式で言っていますが
本当は、神様のほうが願ってるわけですよ。

ということは、神様に私が摂理されたら、
あとはもう自動的、ということなんです。

自動的というのはちょっと極端な言い方ですけど
要するに、摂理される私になるためには、
どうしたらいいかということなんです。


そういう面と、もう一つはですね、
私たちもいろんな悩みがあると思います。
健康の悩み、人間関係の悩み、お金の悩み、
いろいろあると思いますね。

だけどもそれはですね、サブなんですね。
二次的なものです。

食口(シック)たちの本当の悩みは何かというと、
伝道できないことでもなく、
経済復帰が難しいことでもなく、
本当は、自分自身が変われないということが
本当の悩みなんですね。

そして、神様の心情が私の中に
一つとなっていないことが、最大の悩みですよ。

逆に言うとそれさえあれば、他の悩みはほぼ消えてしまう。
神様に摂理されて、私の心が神様の心になったら
周りで何があっても、家庭の中にどんな主にがあっても
見え方が全部変わります。

要するに、私たちが、皆さんもひとたび家に帰ると
悩みがあるでしょ。
抱えてるでしょ。

それは自分が実は作ってたものだ、
というぐらいのことが、
わかってくるとですね、
私の変化とともにそれは次第に道が見えてくる。


先ほど言いましたように、
私が神様に摂理される、中心人物に立たない限り摂理されません。
カイン・アベルの摂理においても、
神様は、信仰基台を立てたアベルを通して摂理しますね。

ですから私たちも中心人物に立つ、要するに
原理軌道に乗るということですね。

蘇生、長成、完成と3本線弾いてビューと上に線引っ張って
原理講義でいつも勉強します、あの線に、
どういうふうに乗るのかってことなんですね。

だから例えば感謝できない、不満がある、自分が惨めだ、
あいつに何か言ってやろう、とかですね。

これは全部原理軌道から外れているので、
いくら体を動かしてもですね、
自分が成長しないわけですよ。

簡単に言いましょうか。
私自身が成長できていないことが
最大の悩みなんですよ。

実は伝道できないこと、
自分の家族が復帰できないことじゃないんです。
私が原理軌道に乗っていないので、
道が見えなくて絶望感がある、だけなんですよ。

つまり、私が摂理されよう、
どのようにしたら私が摂理されるのか、
原理軌道に乗るのか。

でも先祖にも何にも全部罪がある。
そして先祖からのものを我々は受けています。

そういうなかで、どうやってこれを蕩減しながら
いくのかということをですね、
今日お話していきたいと思います。
蝶野知徳・精誠篇1

父母による子女の家庭教育 精誠篇より
「内的蕩減と生活信仰」
摂理される私、実体基台のために
このみ言は、2018年に蝶野部長が
広島の家庭教育部長だった頃
全国の教区から要請があり出張して語られたものです。
(文責:ten1ko2)

蝶野部長は、実体験の内容を土台として
原理をベースにみ言を語られます。
み言を相当に研究され求められ得られた
エキスを語って下さっています。

長い間、夫復帰に関わられ、今は家庭教育、
子女教育のお話をされていますが、
伝道や、夫復帰、氏族復帰、そして私たちの
信仰生活、人生のすべてに通じるものですね。

そして、それはすなわち、相手を変えるのではなく、
自分が変わっていくためのお話です。
今日は、冒頭の部分を紹介しました。

神様が願うものであるけれど、
神様は目に見えない方なので、
いかに神様が働かれる私となるか、
神様に摂理される私となるか、
そのことが重要である、と思います。

具体的な内容は、次回以降お伝えいたします。
お楽しみに。




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posted by ten1ko2 at 09:41 | Comment(0) | 蝶野部長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月18日

西川先生と、幼い使徒たち 昼はくず屋、夕は伝道師、深夜まで語り合ったあの日・・ 《松本ママ奮戦記》



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▲西川先生を囲んでの食事(左が筆者)


松本ママの『信仰は火と燃えて』より
今回は、「聖別された群れ」の後半になります。


とはいっても、いつまでも一文なしの生活では
何もできないので、みんなで相談して
アルバイトをしようということになったのです。

その時、「くず屋をやったらどうでしょうか」
と提案がありました。
私には娘が二人いますが、下の娘が
鉄くず屋のところにお嫁に行っていました。

それがふと頭に浮かんで、ちょっとみっともないけれど、
自由な時間に働いて自由に伝道するには、
くず屋さんがいいなと思ったのです。

西川先生はそれを聞いて、
「神様の摂理は再創造の摂理だから、
我々人間も新しく造りかえられる。
万物もくずから新しく再生される。
それはいい考えだ、やりましょう」と言われ、
みんなでくず屋を始めることに決まりました。


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▲廃品回収をして伝道資金に(左から2人目が筆者)

朝は6時に起きて7時まで礼拝し、
さっと御飯を食べて廃品回収に出掛けます。

みんな仕事着であるもんぺにはきかえ、リヤカーを借りて、
あちらの角、こちらの角と別れていきます。

そして1時か3時ごろになると、みんな
汗をだくだく流して仕切り屋に集まってくるのです。

西川先生は、いつも一番多くて2000円くらいもうけました。
私たちは、どんなに頑張ってもせいぜい800円でした。


もらったお金は全部、会計をやっていた
春日千鶴子さん(現、ロニオン夫人)に預け、
みんなで連れだってそば屋に行きました。
そこで35円のおそばを食べるのです。

いつも麦御飯とみそ汁だけですから、
それがとてもおいしくて楽しみなのです。
舌にとろける甘い味。
もっと食べたくても、一杯で終わりです。

甘いものが好きな人は、
「35円分だけ大福もちが食べたい」と言って、
大福もちを食べました。


それから、二人ずつ組んで路傍伝道に出掛けます。
私は、岩井裕子さんと有楽町に行きました。
裕子さんは高い声で、とても分かりやすい言葉で道行く人に訴えます。

「御通行中の皆様、天来の声に耳を傾けてください。
私は日本を救うジャンヌ・ダルクです。
この滅びゆかんとする日本を救うために、
心を痛め、涙する良心家はいないのですか」。

たくさんの人が集まっている有楽町の駅前で、
18歳の乙女が訴えるのです。

笑って通り過ぎるアベックもあれば、
「ああ、日本に若い乙女の神様がやって来た」
と拝んで行く人もありました。

 
夕方は、他のキリスト教会の集会へ行ったり、
訪問伝道をしたりして、帰ってくるのは夜の10時ごろです。

それから御飯を食べて、12時まで原理講義の演習をしました。

それで一日のスケジュールは終わりですが、
まだまだみんな寝ようとしません。
それから、西川先生を囲んで天国の話を聞くのです。

私は「先生、霊界が満員になったら
どうするんですか」と聞きました。

ある人は「天国ができたら、おしるこの風呂に
入りたいです」と言うし、
小河原さんは「私はお菓子の家が欲しいの。
柱をとって食べてもまたすぐできるような、
そんなのできますか」と聞くのです。

まるで小さな子供のようです。
先生はあきれて「できますよ」と答えるのです。

私は、理想世界ができたら、羽をはやして
空を飛んでみたいなどと、思っていました。

そうやって話していると、すぐ2時、3時になってしまいます。
翌日はまた同じように仕事に行くのですが、
3時間ぐらいの睡眠でも、毎日が楽しいから疲れないのです。


朝出掛ける時などは、イエス様を中心として、
弟子がぞろぞろまとわりついて歩いたように、
私たちも西川先生を中心として、日焼けした顔に
目をきらきら輝かせて、天国の話や信仰の話をしながら歩きました。

私たちは、この世から全く聖別された小さい群れでした。

先生は、過去の堕落性をみ言(ことば)によって直し、
神の子の権威と品性と実力をもって
人の倍働くようにと、愛と真理で教えてくださるのです。

 
生活指導も細かく、「髪をとかす櫛(くし)は、
みんなが一つを使うのですから、
あとの人のことを考えて必ず紙でふいておきなさい。

食事をする時は、あとの人のことを考えて食べなさい」
と一つ一つていねいに教えてくださいました。

そして、「神を愛する者は兄弟を愛する。
だから悪いところを見たら、まごころから忠告しなさい」
と兄弟を愛することを教えるのです。

また、先生は、男性や女性を異性として見るのは
心の中に蛇が入っているからだと言って、
みんな兄弟として育てました。

ですから私たちは、お互いに異性としての意識は全くなく、
懐かしい時は抱き合ったり握手したりして、
心の純粋さはまるで子供のようでした。

時には先生は、掃除、洗濯、炊事を
みんな一人でやってくださり、
めんどりがひなを抱くように、温かく、やさしく、
細かく、また厳しく私たちを育ててくださったのです。

そうして生活の訓練、信仰の訓練、祈りの訓練をした上で、
私たちは地方に開拓伝道に行くことになるのですが、
この時は、西川先生と別れるなどとは夢にも思わず、
先生の愛のみ手の中で、幸せな毎日を送っていたのでした。

松本 道子・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)

信仰は火と燃えて 4
聖別された群れ


「ホーム生活の草創期版」と表現したらいいのでしょうか。。。
喜々として、歩んでいる姿が思い浮かびますね。

昔、教会に献身していた方たちは、
松本ママの証しを聞いて、
懐かしい気持ちになったと思います。

24時間、一緒の生活。
まさに、「兄弟姉妹」という関係でした。

イエス様を中心とした弟子たちも、
同じような「ホーム生活」をしていたのだと思うし、
今現在の青年たちにも、受け継がれていることは、
本当に素晴らしいことだな、と思います。。。


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2021年12月17日

(証し)「あなたは、感謝が足りませんね」と言われ──それからの劇的変化



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777双の前川浩子先生の誌上説教
「あなたは、感謝が足りません」を紹介します。
前川先生自身の証しになります。
 

私は1963年に「統一原理」を聞いて、
その正しさを理解しました。

そして、この道に身を投じたのですが、
いくら歩んでも神様(天の父母様)を
実感することができませんでした。

他の兄弟姉妹が神様を慕い、み旨に
燃えている姿を見ては、劣等感にさいなまれながら
3年、とうとう一歩も歩めなくなったのです。

思いきって相談した申美植(シン・ミシㇰ)先生〔崔奉春
(チュェ・ボンチュン)〈日本名・西川勝〉宣教師夫人、36双〕から、
「あなたはあまりにも感謝が足りませんね」と指摘されました。

私は、「感謝する心は神様の心、
 不平不満はサタンの心」

と毎日唱えていました。

でも、私の心は苦しみでいっぱいだったため、
感謝する隙間は一ミリもありませんでした。

「感謝、ですか?」

美植先生は、
「例えば、2人の子供にお菓子をあげたとします。
 一人は喜ばず、もう一人はとても喜んだとしたら、
 喜んでくれた子のほうがかわいいし、
 次はその子にもっと良い物をあげたいと思うでしょう。
 神様も同じなんですよ」と語られました。


私はようやく
“私の心を見て、心を動かされるなんて、
神様はそんなに身近な方だったのか。
だから、感謝するほど神様と近くなるんだ!”
と気づいたのです。

日中はひたすら神様に感謝して歩むようにしました。

道を歩いていても、電車に乗っていても、
「神様、ありがとうございます」
「こんなに良いことを教えてくださって、
 ありがとうございます、神様」と、
感謝を込めて神様と対話しました。

原理を知り、神と出会って天国人に

そのような生活をしていくうちに、
私の顔は明るくなりました。

アメリカから帰られた西川先生が、
私の顔を見た瞬間
「どうしたの? 随分顔が変わったね」
と言われました。

それまでの私は、統一教会(家庭連合)に導かれてからも、
誰かが何か言うと
「あの人は心から笑っていない」と思ったり、
掃除の時間に掃除をしない人を裁いたりしていました。

また、自信がなく、人から何か頼まれると、
まず「できなかったら、どうしよう」と思い悩み、
いつも暗い心でした。

ところが、感謝することを意識しながら歩み始めると、
そんなことに引っかからなくなり、劣等感もなくなってきました。
何を見ても希望に感じるようになったのです。


いちばん嬉しかったのは、非常に批判的だった自分が、
どの兄弟姉妹を見ても、神様が愛する子女だと思うと、
たまらなく美しく、慕わしく感じるようになったことです。

また誰かに話し掛けられると、
「神様が私に話し掛けてくださっている」と感じました。

古い教会の建物も周りの自然も全て、
美しくキラキラと輝いて見えました。
天国とは、こういう所なのかと思いました。

感謝しながら歩むことで、私の心の中に
サタンの入る隙がなくなり、
私という人間が変わっていきました。

たとえ天国ができ、そこに天国人が
たくさん住んでいたとしても、
私が天国人に変わっていなければ、
夢も希望もないのです。

今、私には不安というものが全くありません。
たとえきょうお金がなくても、
ご飯を食べられなくても、恐れはありません。

ただ、ために生きることがうれしいのです。
また、そのように思って生活すると、
絶対に物が不足して困るということがありません。

前川浩子(777双)
『祝福家庭』78号(2015年 秋季号)
誌上説教
「感謝と笑いの生活」より


感謝することの大切さを教えていただきました。

前川婦人は「感謝する心は神様の心・・・」
と毎日唱えていたにも関わらず、
心から感謝の生活をしていなかったのに、
「心は苦しみでいっぱいだった」といいます。

その後、美植先生に指摘を受けた後、
心から感謝する生活を送る中で、
物事の捉えた方が激変していかれました。

真のお母様も「感謝」する生活を心掛けておられますように、
どんな時にも感謝することによって、
天運が開かれていくのだと思いました。

前川先生、ありがとうございました。


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