2021年12月16日

私がママ友と公園を楽しめるようになったのは・・ 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラム
今回は、「一期一会に天国を感じる」です。

(女性 30代)

出産してから公務を降りて、専業主婦をしています。
教会が遠いこともあり、特に子供が生まれてからは、
教会には礼拝のためだけに行くようになりました。

「あんなに毎日通っていたのに、
私は何をしているんだろう」と悶々(もんもん)とし、
子育てを純粋に楽しめないことがありました。

また、子供を公園に連れていくにも、
誰かいたら伝道しなければいけないのでは
という思いが先立つのです。

自然と仲良くなって、伝道につながればいいですが、
「伝道しなければならない」と思うと、苦しくなります。
それで、人との交流を避けてしまうことも多くあったのです。

 
そんなある日、近所のママ友が、
「きょうは近くの公園でイベントがあるよ」
と教えてくれました。

良心に尋ねてみると、
「気軽に行ってみたらいい」
と答えが返ってきました。

そこで難しく考えずに行ってみたら、
思いがけず楽しい時間を過ごすことができたのです。

これを通して、私には「特定の人と
仲良くならなければ意味がない」とか、
「人間関係は深まることが大事」など、
いろいろな思い込みがあったことに気が付きました。

そしてそれ故に、伝道につながらない関係を
あまり大切にできていなかったのだと気付いたのです。

 
思い込みから解放されたら、
不思議と子育てが楽しくなってきました。

小さい子供と一緒にいると、公園を散歩しているときなど、
いろいろな場面で人と話をする機会があります。
                                                                                                                                                                       もう二度と会わないかもしれないかたとの出会いが
ほとんどですが、そんなかたとの会話に
幸せや楽しさを感じるようになったのです。

公園でたまたま一緒になった親子と、子供同士が遊び、
ママ同士もゆるく話をして楽しむ──。
今では、そんな一期一会の出会いに天国を感じています。

これからもそのような関係性を
大切にしていきたいと思っています。

私の心の中にいる神様
「一期一会に天国を感じる」
(blessed lifeより)


信仰生活は、生活信仰でもあります。
日々の生活の中で、神様を発見し、
愛する生活を成していく、
そのことが重要であると感じます。

今回、証しをされた方は、自己牧会プログラムを通して
肩肘張らずに、愛する生活を意識できるようになりました。
一期一会に天国を感じておられます。

「天の父母様聖会」という大きな枠組みを考えたとき、
真の父母様を知っていただくこと、
その願いを果たすことが一つの目標であると思います。

ですが、それ以前に、
愛する取り組みをすること、
その土台を作ることも
大事なのではないか、と感じました。





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posted by ten1ko2 at 09:38 | Comment(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月15日

入教する2パターン、どうしたら心が成長し、安定するのか 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言。
今回は、「心霊の安定した者になるために」より
2コマ紹介します。

入教の二つの動機

皆さんはみ言を聞いて、なぜ信仰し始めたのでしょうか。
なぜ、この教会と因縁をもったのでしょうか。
その理由には、二通りあります。

一つは、み言によって刺激を受け、
それも今まで経験のない精神的な影響を受けて、
自分も知らずに引かれていった、こういう自分。

今までもたなかった、何か自分の中に原動力というか、
何かこういう所へ行かずにはおられない自分を経験して、来た。

これは、一つの復活した人です。
生まれ変わった人です。
み言によって、今までにない自分になっているのです。


そういう動機をもった人と、
教会の人が親切だから、あるいは教会に行って、
その組織や活動を見て、何か好奇心をもって入った。

教会のその雰囲気によって、自分の心の作用よりも、
その環境が自分に良さそうだから入った。

いろいろな動機をもって入った人もいると思いますが、
大別すればこの二種類の動機があると思います。


自分を任せる人と自分を主張する人

み言を聞いてみると、この教会が何をやっているのか
知らないけれど、我知らずに、とにかく来た。
こういう人はもう既に心霊が復活しているのです。

そういう動機をもった人が、だんだんとみ言を学びながら、
自分という人間の価値を毎日悟っていくのです。

「こういう人間だったのか。
それで自分が悩んでいたのか。
なるほどみ言を学んでみると、実際の自分は
そういう面に関心をいつももっていた」。

こういうふうに学びながら、毎日自分の自由意志に影響を受けて、
人間がだんだん改善されていくのです。
こういう人が、本当の信仰の入門をした人です。

正しい門を通過して入ったから、すなわち、
み言によって復活された自分によって教会に入ったのだから、
教会の人たちを尊敬したくなるのです。

何か自分の問題を相談したい、任せたいとか、
本当に人を受け入れるのが有り難いとか、
謙遜な立場で学びたがるし、本当に兄弟と
深く交わりたいということになっていくのです。


反対に、自分がその中でいいことというか、
自分の考えているとおりに待遇してもらいたいとか、
自分の要求も達成したいとかいう面で生活する人は、
人と親しくなるよりも、ある期間が過ぎると、
人の欠点を覚えたりしながら、
自分の心霊問題に対しては、全然知らずにいることがあるのです。

6.心霊の安定した者になるために
入教の二つの動機
自分を任せる人と自分を主張する人

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰

(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


先日、内田先生のみ言を紹介しましたが、
動機というものは成長する、ということでした。

かくいう私も、入教したとき、
何もわからない幼い者でした。

教育生の時、お世話になった方と、
先日、数十年ぶりにお会いしました。

「えっ!今、スタッフやってるの?信じられない!」
と驚かれるくらいの問題児でした(笑)

上のヨハネ先生のみ言から見てみると、
入教当時は、
心霊的に復活していただけだったと思います。

それでも、今現在、神様、真の父母様の価値を
本当にわかっているのか、と聞かれると
まだまだ足りない者である、と思わされます。

天寶修行を通じて、
心霊を成長、安定させなければ、と思うのです。




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posted by ten1ko2 at 10:31 | Comment(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月14日

(証し)「明日死ぬかもしれない」母の最後の願いで、21修に参加した息子は・・・



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21修でメッセージを語る方大陸会長


世界家庭に開催された方相逸大陸会長のみ言より、
「二十一日修練会で完全に生まれ変わった子女」という小題の、
証し部分のみ抜粋して紹介いたします。


証しを一つ紹介します。
大阪に六五〇〇双の日韓家庭の
ある韓国婦人がいます。

家庭を出発して最初に女の子が産まれ、
次に男の子がおなかの中にいるとき、
日本人のご主人ががんで聖和しました。

それは家庭を持って四年くらいしか
たっていない頃だったでしょうか。

しゅうとは、息子が死んだのは嫁のせいだと考え、
「もう、あなたを見たくない。
韓国に帰りなさい」と言いながら、
男の子を身ごもっていたこの婦人を殴ったそうです。

しゅうとから見れば、息子が若くして亡くなったということで、
それは悔しかったことでしょう。

ですからこの韓国婦人は、しゅうとと、
とても仲が悪かったそうです。


しかし、「天の祝福を受けて日本に嫁いだ限りは
絶対にこの家を守るんだ」という思いで、十年、二十年と我慢し、
日本に来て二十七年間、本当に苦労しました。

この韓国婦人は、ここに集っている公職者の皆さんに
負けないくらい篤い信仰を持った方です。

お母さんのそのような天に対するりっぱな信仰を見て育った娘さんは、
ずっと教会に通い続け、祝福を受けました。
そして、三世を生みました。
とても素晴らしいことです。


ところが、息子さんは、自分のお父さんの顔も知らず、
寂しい気持ちで成長しました。

中学まではお母さんとお姉さんと一緒に教会に通ったのですが、
それ以降は行かなくなりました。
家でゲームはばかりしていたといいます。

さまざまなことがあり、お母さんは、
あまりにもこの息子のことを心配して体を壊し、
もう霊界に行くのではないかというところまでいったそうです。

これは、何年も前の話ではなく、先月のことです。

それで息子に対して「私は明日、霊界に行くかもしれない。
最後のお願いだから、(千葉中央修練所で行われている)
孝情天寶二十一日修練会に参加して、み言を学びなさい」
と言ったのです。

息子は、霊界に行ってしまいそうなお母さんの最後の願いなので、
修練会に参加しました。


私は、この青年が参加している二十一日修験会の
十五日目に講話をしに行きました。

そしてそこで、
「初めてみ言を聴いた人、手を挙げてください」
と修練生たちに尋ねました。

すると、四人が手を挙げたのです。
普通、二十一日修練会 は、七日修練会に出るなど、
現場である程度み言を学んでから参加するものです。
ところが、この四人は、それを飛び越えて参加していたのです。

私は、その四人に、「きょうは修練会の十五日目ですが、
ここまでみ言を学んでみてどうでしたか。」
と、順番に感想を聞きました。

すると、最初の三人は、「来てよかったです」
「こんなに素晴らしいとは知りませんでした」
「感動しました」などと答えていました。

そして、最後の一人が、この日韓家庭の息子さんでした。
彼が何と答えのたかというと、
「今回の修練会は、私のために準備されたものです」
と言うのです。


続けて私は、この四人に、
「修練会が終わったら、皆さんの周りにいる
教会に来ていない二世を三人
連れてきてください」と話しました。

すると、彼らのうちの三人は、
それほど決意していないような感じで、
軽く「はい」と返事をする程度だったのですが、
四番目の彼は, 「はい!絶対にやります!」
としっかりと返事をしてくれたのです。


一昨日、聞いたのですが、彼は二十一日修練会終わって家に帰ると、
「お母さん、本当にありがとうございました。
二十一日修練会に行って多くのことを学びました。
お母さんがどれほど偉大な人なのか、今回初めて分かりました」
と言ったそうです。

お母さんは、その場で泣き崩れました。
どれほど、うれしかったことでしょうか。


そして、息子さんが、
「お母さん、僕は二十一日断食をします」
と言ってきたというのです。

二十一日断食は誰でもできるものではないから、やめなさいと言うと、
息子さんは「大丈夫です。
決意はしました」と言いました。

それでその決意で一週間だけ断食をするように言ったのです。
今頃、一週間断食を始めていると思います。


さらに、彼は、なんと机の上にあったコンピュータを捨てました。

彼は「このコンピュータが今までの自分の敵で、
悪なる自分をつくりました。
このコンピュータは要りません」というのです。
なかなか、固い決意です。

今、彼は、朝六時に率先して起きて、 訓読会をし、
夜十一時になると一日をまとめる祈祷会をしようと
お母さんに言うそうです。

なぜなら、二十一日修練会で、朝六時に訓読会をし、
夜十一時に祈祷会をしたからです。

お母さんは毎日、 訓読会のときも祈祷会のときも隣に座りながら、
ずっと感謝と喜びの涙が止まらないそうです。


このように彼を変えたのは、み言です。
み言は命です。

聖書にも、「初めに言があった。
言は神と共にあった」(ヨ ハネ一・1)とあります。

み言を知らずに、いくら二世を教会に連れていって
説教を聞かせても、なかなか感動はしません。
ただ話をしても、人は変わりません。

人を生かすのは天の父母様(神様) のみ言なのです。

世界家庭8月号
「すべての二世を訪ねていきましょう!」
7・7南東京教区出発式でのみ言


本当に素晴らしい証しです。

お母さんは、息子さんを活かすため、
どれほど切実だったでしょうか。

その思いが「病気」という形で
現れるくらいに切実だったのかもしれません。

息子さんは、み言で見事に生まれ変わりました。
私が思うに、祝福の子女たちは、
み言にスパークする素地があるのだと思います。

そして、何よりもお母さんの精誠です。
見事に生まれ変わったのは、
それ相応の条件があった、ということだと思います。

尋訪プロジェクトを通じて、天運の中で、
子女を教会に連結する道が、
開かれていることを感じます。




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