李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言。
今回から、復帰原理のみ言を
生活に適用するためのお話となります。
今日は、「生活的原理の理解」です。
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4.復帰歴史に見る生活原理
生活的原理の理解
生活的原理の理解
今まで復帰摂理に対して、歴史的に、原則的に
学んだのですが、直接私たち自身がどういう立場で、
何を蕩減しながら、どういう条件を立てて、
自分の外的位置、内的、心情的位置を開拓していくのか
という、具体的な自分の路程を知らずにいました。
こういう意味で、「原理」の取り扱い方を
今までの立場ではなく、自分自身に対してどう応用していくのか、
どのように利用していくのか、どういうように
生活するのかという面を、講義していきたいと思います。
もちろん、「原理」を本のとおりに体得しなければなりませんが、
そのあとに、どういう環境で、何をしているのか
という生活的原理を理解しないといけません。
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み言に接する時は、自分自身をよく整えなければなりません。
言葉は生命を基台として必要なのです。
ただ耳で聞いて知るのではなく、情を主体として
み言を受けなければなりませんから、相当、
皆さんもこちらへ来る以前から
内的に整備しているかもしれませんが、
この期間は整備した態勢でみ言に接しなければいけません。
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ついこの前まで、百十名くらいの祝福の新婦たちだけが
講義を聞いたのですが、相当霊的な圧力があって、
頭が痛くなったり、締めつけられて、
のどが痛くなったりした人が、五名近くいましたし、
歩けなくなって三日か四日の間、ベッドに寝たままの人もいました。
なぜかというと、言葉の背後に
霊的な圧力が加わっているのです。
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復帰原理をどのように見るかを説明している「緒論」に、
「蕩減復帰摂理」という言葉、「蕩減」という言葉が出てきます。
蕩減という条件によって復帰摂理を進めるというのですが、
この蕩減というのは結局、一つの闘いです。
自分を中心として、二人の主人に因縁をもっている自分は、
絶対者なる神だけに主管されるべき人間だと知りました。
そして原理的でない非主人の主管から脱出して、
完全に縁を切って、もとの創造主との因縁を結ぼうという目的で
信仰をし始めた者が、悪の力によっての因縁が結ばれている
ということを実感し、一つの闘いを宣布したわけです。
戦争を宣布して、それからの戦いが蕩減なのです。
結局、本然の自分にならなければならないという目的をもって
方向転換してからは、すべてが蕩減路程、
蕩減期間の中に存在している私たちの立場なのです。
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蕩減の意味のとらえ方ですが、何か事故が起きたから
蕩減だと思う人が多いのです。
何か引っ掛かった時、事件が起きた時、「これは蕩減だ」と思っている。
しかし、そうではなく、私たちは今も
蕩減路程期間中にいるのであり、全体が蕩減なのです。
成長期間というのは、堕落していなければ、
自分の主体者との縦的関係を結ぶ責任分担期間です。
それが堕落したため蕩減というものが加わったのです。
非原理の主人との関係を完全に解決しながら、
もとの原理的路程においては、
絶対者と授受をしながら行かなければいけない期間に
いるのだということには間違いありません。
☆
それでは、蕩減期間中の条件、蕩減条件とは何かといえば、
蕩減している中での成績、自分の目的に向かって
内的に積み上げた実績、これが条件になるのです。
例えば、三日間なら三日間の精神生活の出発の動機と結果が、
途中で変わらずに一貫したものであれば、
蕩減条件が立てられたということになるのです。
☆
一番良い例は、アブラハムのイサク献祭です。
アブラハムがイサクを献祭しに出掛けて、
三日目にイサクを祭物としてささげて剣でもって
殺そうとする瞬間まで、一貫していたのです。
出発した動機を、自分の事情で直したとか、疑ったとか、
そういうことがなく、一貫して目的に向かって、
何も顧みることなく前進したので、
動機と結果が同じだったのです。
それで勝利を得たのです。
☆
ノアが箱舟を造るのに百二十年かかったように、
あるいはその他の祭物も、みなそのような期間があります。
自分が決意をしたその瞬間から、三日間なら三日間、
その期間が満ちるまで重ねてきた実績が、そしてその結果が、
神から祝福を受けることのできる条件になったのです。
そういう意味で、復帰摂理の中においては全部、
蕩減生活と見ることができます。
4.復帰歴史に見る生活原理
「生活的原理の理解 」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
「生活的原理の理解 」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
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信仰生活において、最初から最後まで、
変わらずに条件を立て続けること、
その重要性を教えていただきました。
お父様は、「出発の決意、すでに勝利」
というみ言を語られましたが、
さらに言えば、その決意は瞬間的なものではなく、
持続しなければならない、ということです。
み旨の出発の原点に返りつつ、
今年も残り1か月、与えられた責務を果たしていきたいです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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