金元弼先生のみ言。
今回は、「苦労させなければならない神」です。
いよいよ裁判が行われます。
それは、結果として、「興南」という
生きて出るのが難しいといわれる
十字架に向かう道につながっているのですが・・・
☆
共産社会では、先生の裁判のことが大変な話題となりました。
先生は電気工学も科学も勉強したお方です。
彼らは先生の裁判を共産党の幹部たちに見せたかったのです。
(一九)四八年二月二十二日に入られてから、四月七日に裁判がありました。
ところが実は、その前に裁判をしようと計画しました。
その予定を変更して、七日にしたのです。
法廷には私たちに反対してきたキリスト教のリーダーや
信者はいうまでもなく、共産党の幹部が
立錐の余地もないほどにいっぱいに集まりました。
開廷する前に、先生は何人かの犯罪者と共に、
鎖をつけられて前の方に座られました。
先生の頭の毛は全部刈られて、坊主のごとくなっていました。
☆
一年八か月の生活は、涙と汗とそして血を流す道のりでした。
先生は平壌での牧会生活で涙を流されない日はありませんでした。
私が先生の路程を語る時は、皆様が見るごとく、
深刻な思い出にかられます。
先生のそうした日々を思い浮かべますと、
そうならざるを得ないからです。
☆
先生は牢屋に入ってからは、いっさい涙を見せませんでした。
先生は、先生が牢屋の道を行かなければならないことを
知っておられた神様の苦しみを考えるとき、
先生の苦しみよりも、愛する子が刑務所にいて
苦労するのを見る神の苦しみは
もっと大きかったということをよく御存じでした。
苦労する先生よりも、苦労させなければならない
神の心はもっと沈痛にかられていることを
知っておられますから、それよりも、神の心を慰め、
勝利してその喜びを神に絶えず返すという強い決意のもとに、
弱さを少しも神の前に見せませんでした。
神に対して弱い心を絶対に見せたくなかったのです。
私のために心配なさらないようにと、
そういうふうにかえって神を慰めました。
ところが、一日の休みもなく、本当に心を尽くし
愛した一年八か月の牧会の日々が過ぎて、
牢屋に入られた時は、先生は壁に
ぶつかったような状態であったと私は推測します。
I 平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「苦労させなければならない神」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第三章 興南監獄での伝道
「苦労させなければならない神」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
苦労させなければならない神様を思って、
弱い心を決して見せなかった真のお父様。
興南監獄に入られたいきさつを知っておられる方は、
みなさん、ご存じであると思います。
しかし、そんなお父様を元弼先生は、
「壁にぶつかったような状態であったと
私は推測します」と語られています。
なんと表現したらいいのか、
「人間文鮮明」を肌身で感じてこられた
金元弼先生であるがゆえに、
そのような言葉を残されているのだと思います。
神様に対しては、弱みを見せなかったけれど、
ご自身においては、どれほど困難で深刻だったでしょうか。
それでも、神様には、絶対に甘えず、
弱音を吐かなかった真のお父様でした。
神様にとってみれば、どれほどの孝行者なのか、
そう思わされるのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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