2021年12月03日

当時、大注目の裁判に臨んだ若き主 むしろ十字架を悲しむ神を慰める 《金元弼先生》



200717.jpg


金元弼先生のみ言。
今回は、「苦労させなければならない神」です。

いよいよ裁判が行われます。
それは、結果として、「興南」という
生きて出るのが難しいといわれる
十字架に向かう道につながっているのですが・・・

 
共産社会では、先生の裁判のことが大変な話題となりました。
先生は電気工学も科学も勉強したお方です。
彼らは先生の裁判を共産党の幹部たちに見せたかったのです。

(一九)四八年二月二十二日に入られてから、四月七日に裁判がありました。
ところが実は、その前に裁判をしようと計画しました。
その予定を変更して、七日にしたのです。

法廷には私たちに反対してきたキリスト教のリーダーや
信者はいうまでもなく、共産党の幹部が
立錐の余地もないほどにいっぱいに集まりました。

開廷する前に、先生は何人かの犯罪者と共に、
鎖をつけられて前の方に座られました。
先生の頭の毛は全部刈られて、坊主のごとくなっていました。


一年八か月の生活は、涙と汗とそして血を流す道のりでした。
先生は平壌での牧会生活で涙を流されない日はありませんでした。

私が先生の路程を語る時は、皆様が見るごとく、
深刻な思い出にかられます。
先生のそうした日々を思い浮かべますと、
そうならざるを得ないからです。


先生は牢屋に入ってからは、いっさい涙を見せませんでした。

先生は、先生が牢屋の道を行かなければならないことを
知っておられた神様の苦しみを考えるとき、
先生の苦しみよりも、愛する子が刑務所にいて
苦労するのを見る神の苦しみは
もっと大きかったということをよく御存じでした。

苦労する先生よりも、苦労させなければならない
神の心はもっと沈痛にかられていることを
知っておられますから、それよりも、神の心を慰め、
勝利してその喜びを神に絶えず返すという強い決意のもとに、
弱さを少しも神の前に見せませんでした。

神に対して弱い心を絶対に見せたくなかったのです。
私のために心配なさらないようにと、
そういうふうにかえって神を慰めました。

ところが、一日の休みもなく、本当に心を尽くし
愛した一年八か月の牧会の日々が過ぎて、
牢屋に入られた時は、先生は壁に
ぶつかったような状態であったと私は推測します。

I 平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「苦労させなければならない神」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


苦労させなければならない神様を思って、
弱い心を決して見せなかった真のお父様。
興南監獄に入られたいきさつを知っておられる方は、
みなさん、ご存じであると思います。

しかし、そんなお父様を元弼先生は、
「壁にぶつかったような状態であったと
私は推測します」と語られています。

なんと表現したらいいのか、
「人間文鮮明」を肌身で感じてこられた
金元弼先生であるがゆえに、
そのような言葉を残されているのだと思います。

神様に対しては、弱みを見せなかったけれど、
ご自身においては、どれほど困難で深刻だったでしょうか。

それでも、神様には、絶対に甘えず、
弱音を吐かなかった真のお父様でした。
神様にとってみれば、どれほどの孝行者なのか、
そう思わされるのです。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 09:43 | Comment(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする