李相軒先生の『霊界の実相と地上生活』より
今回は、「霊界で見た中間霊界」です。
☆
中間霊界
霊界で見た中間霊界は、
地上で考えていたのとは違った所でした。
地上で功労が多く、国家、世界に対して
功績があった人たちの中で、神様に仕えなかったとか、
宗教に対して関心がなかった人たちなど、
地上で功績はあるが、
信仰と関係ない人たちがたくさん集まる所です。
ここでの暮らしは、天国のようでも、
地獄のようでもなく、地上生活と似ていました。
食事時間に例えれば、厨房(ちゅうぼう)で働く人、御飯を炊く人、
器を洗う人、食べ物を用意する人がいて、
みんな共に苦労して、苦労した程度の対価をもらっている所です。
また、人々の表情を見れば、天国では明るく、
地獄では不安な顔ですが、
ここではいつも休まずに熱心に働いて忙しい様子です。
すべての人が熱心に暮らしながら福を受け、
豊かに暮らしていますが、
神様と宗教に対して関心さえない所です。
☆
ここで「統一思想」を講義しましたが、ある人が質問するに、
「『統一思想』とは、文字どおり思想を統一するということですが、
人ごとに持っている思想が統一されれば、
個体的な特性というものがなくなって、
全く同じ人だけが暮らす世の中になりませんか」
という、間抜けな質問をしました。
ここでは多くの時間をかけないと、
伝道できないような感じがします。
中間霊界とは、天国でも地獄でもなく、
いろいろな階層が多い所です。
そして、「統一思想」を理解させるのは難しく、
「原理」も神様も理解させにくい所でした。
☆
一言で中間霊界といいますが、
それは膨大な世界であるために、説明するのは大変です。
中間霊界では、統一食口(シック)と一般人が、特別に区別されています。
統一教会の信仰をしてここに来た食口の姿は、
躍動感があり、難しい表情が全く見えません。
また、平和な姿をしていて、とても熱心に活動します。
例えば、ワークショップとか、宴会、ゲーム、和動会等、
いつも忙しく楽しくしています。
統一教会の食口でないほかの一般人の姿は、
それとはとても違います。
彼らが生活する姿には、元気がなく、躍動感がありません。
活動する姿は大抵受動的であり、怠惰で、
仲間同士が集まって、退屈な顔をして暮らしています。
☆
ここで中間霊界に関して、
統一食口と一般人の差について述べようと思います。
我々食口たちは、能動的であり、活気に満ちて生活しているのに反して、
一般人はそうではありません。
なぜ受動的であり、つまらない退屈な顔をして暮らすかというと、
彼らには望みとか、希望がないからです。
しかし、中間霊界にいる我々統一食口たちは、神様の根本のみ旨を知って、
そこで神様の特恵を待って暮らしているために、望みと希望を持っています。
そのように同じ中間霊界といっても、我々統一食口たちがとどまっている所は、
一般人たちがとどまっている所とは違うのです。
☆
しかし、気の毒にも、統一霊界圏に行けない食口たちもたくさんいます。
その理由は以下のとおりです。
第一に、祝福を受けても片方が脱線して、家庭を成せなかった。
第二に、祝福を受けてもみ旨と関係なく暮らした。
第三に、祝福を受けても軌道から離脱した暮らしだった。
以上のような例が多いのです。
彼らは食口といっても、名前だけでしたが、中間霊界に来ています。
この食口たちは、神様や真の父母様、興進(フンヂン)様の特恵があるとき、
公式的に恵沢を受けることができます。
ここには食口の代表たちが、時々行って信仰指導や原理講義をしながら、
レクリエーションもします。
それゆえ、望みがあるのです。
そしてまた、神様も興進様も、
ここに関心を持っておられる姿をよく見ました。
☆
したがって、中間霊界とは、一般の人も来ることができ、
我々食口たちもいる所ですが、
特別に統一食口たちは、まるで特殊学級が別の教室に集まって、
特別な指導を受けるように、意外な待遇を受けています。
これは驚くべき事実です。
祝福の意味は、地上に暮らす時はよく分からないでしょう。
目に見えないからです。
しかし、天の国では、とてつもなく特別な待遇を受ける条件になります。
今、祝福の門が広がり、真の父母様がわずかな条件で、
あらゆる人に祝福を下さるのは、すべての人に福を与えるためなのです。
その理由は、父母であられるからです。
真の父母様の地上生活は、多くの子供たちに福を与えてくださる期間です。
それゆえ、我々は周りの人たちの鼻をつかんで引っ張っていってでも、
祝福を受けさせなければなりません。
それが彼らに福を与える道なのです。
☆
楽園
楽園は、天国と地獄の中間地点にある所だと
すべての者が考えていました。
しかし、ここ霊界で見た楽園は、地上で考えていたのと違っていました。
楽園や、中間霊界は、地上で考えているように
きっちりと境界線を引いて説明することはできません。
例えば、オーストラリアには、オーストラリア人だけが
暮らしているのではないのと同じです。
そこでは、いろいろな国の人たちがグループを形成して暮らすように、
よく気が合う人たちが集まって暮らしています。
例えば、コリアタウン、チャイナタウン、
ジャパニーズタウンというように、
中間霊界においても、天国と地獄を除いたすべての霊人たちが、
自分の階層、グループを形成しながら、
仲間同士で集まって暮らしています。
(1997年6月1日〜7月28日)
(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第二章 霊界で見た暮らしと地上生活
三 霊界で見た中間霊界
霊界の実相と地上生活(6)
(Blessed Lifeより)
(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第二章 霊界で見た暮らしと地上生活
三 霊界で見た中間霊界
霊界の実相と地上生活(6)
(Blessed Lifeより)
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中間霊界という表現は、
お父様も話されていますし、
スウェーデンボルグも話しているように、
実際に存在する世界だと思います。
ところが、統一食口もグループを作って、
中間霊界に留まっている・・・
ちょっと衝撃的なメッセージだと思います。
前に聞いたところによると、
家庭連合霊界というのがあって、
その中でも上下に段階があるということでした。
ですから、天国に入れる基準ではない人は
中間霊界に大勢いるということでしょう。
罪を犯した人も、同じ場所にいなければならず
その罪がまる見えの状態だそうです。
今は、天国(天一国)の扉が開かれたと言いますし、
清平役事の恩恵、時代的勝利圏の恵沢などにより、
霊界の様相も大きく変わってきているに違いないと思います。
現段階でどうなっているのか、詳しくはわかりませんが、
少なくとも、地上の信仰生活が影響していることは
間違いのない事実です。
やはり、天寶修行の生活を心がけ、
自己牧会プログラムのごとく、
良心を中心とした生活を送ること、
このことがなによりも重要であることを思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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