阿部局長のWeb説教
「歴史に記憶される人物になりましょう!」
要約してお伝えします。
☆
人類歴史は長い歳月をかけて流れてきました。
その時々に、歴史を動かす重要人物が現れて歴史が左右されてきました。
100年足らずの一度しかない人生ですが、
ある人は長い歴史を通して語り継がれる人となり、
ある人はすぐに忘れ去られる人となりました。
私たちの人生はどうでしょうか?
素晴らしい人生と語り継がれる人とは何が違うのでしょうか?
素晴らしい人生と認められるには、共通して三つの要素があります。
☆
第一の要素は、その人が「何を」行った人生なのかという「役割」の要素です。
例えば、「マザーテレサ」、
発明王といわれた「エジソン」
日本史においては「坂本龍馬」
歴史に名を残す人は、素晴らしい役割をもって
発展的な変化に貢献した重要人物だったと言えます。
☆
次に、素晴らしい人生と認められる第二の要素は、
「どれくらい」行ったのかという「程度」の要素です。
その役割を果たすためにどれだけの期間にわたり、
どれだけの努力をなし、
どれだけの結果を収めたかという点で優れているということです。
例えば、「イチロー」選手
「ウサイン・ボルト」選手
全盲の天才ピアニストと呼ばれる「辻井伸行」さん。
独自の個性を磨き「限界に挑戦している人」
「継続している人」
「あきらめず投入している人」は
共通して輝いているし、多くの人に感動を与えます。
☆
次に、素晴らしい人生と認められる第三の要素は、
「いつ」なしたかという「時」の要素です。
物事の成否を決定する要因の中に「タイミング」というものがあります。
課題解決のために大変良い解決策を提示しても
必要とされる時でなければ意味がありません。
ですから、今がどのような時なのかということを知ることが大切でもあります。
☆
日本史における大変化の一つに、「明治維新」があります。
具体的には、西郷隆盛や坂本龍馬など、それぞれ短い人生となりましたが、
彼らの行動が大きく日本の運命を変えたということです。
もし、彼らが江戸時代が始まったばかりの頃に生まれ育ったとしたら、
歴史に名が残らなかったかもしれません。
また、聖書を見ると2000年前のイエス様が生きていらっしゃった時のことが
多く記されています。
重要な使命を持っていた洗礼ヨハネ、
イエス様に愛された12弟子、
イエス様を排斥したパリサイ人、律法学者たちなど。
それぞれが歴史を左右するほどの重要な立場にいました。
一人の能力や才能という観点で見たら、もっと優秀な人が
後の世にいたかもしれませんが、歴史に名は残っていません。
大切なことは、歴史の転換期など、重要な時期に居合わせるという
時の要素があります。
☆
このように歴史を左右する重要人物は、
何をなしたかという「役割の要素」、
どれくらいなしたかという「程度の要素」、
いつなしたかという「時の要素」があります。
私たちの人生はどうでしょうか?
改めて考えてみましょう。
☆
私たちは、一人ひとりの存在や人生の業績はわずかなものだとしても、
実は歴史に見事に名を残す可能性が大きいということを忘れてはいけません。
それは、時の要素に適った歴史上、最も重要な時を生きているからです。
今の時は、歴史上最も大きな「転換期」を迎えています。
人類歴史上初めて「真の父母」を迎えた時です。
文鮮明真のお父様、韓鶴子真のお母様が勝利されたことは、
偉大な歴史的大事件です。
これから千年、万年の時が過ぎてもこの時の事が語り継がれていくことでしょう。
私たちの人生は、真の父母様と共に歩んだという一点において
歴史に残るほどの大きな価値を持ったものになりました。
☆
真の父母様のみ言を紹介いたします。
今日、皆さんが知るべきことは、過去や、現在や、
未来において永遠にたたえられ得る
その名前とは何かということです。
それは、真なる父母、『真の父母』です。
・・・『真の父母』という名前が出てくることによって、
神様の創造理想世界、エデンの園から出発すべきだった
永遠の未来天国が、ここから出発するのです。
その事実は歴史的であり、時代的であり、
未来的なのです。
それゆえ、過去、現在、未来の全体の歴史を
ひっくるめて見るとき、この地上に顕現した
『真の父母』は、宇宙の中心を決定する中心ポイントで
あるということを、皆さんは知るべきです。
(八大教材・教本「天聖經」P227)
☆
このように、真の父母様は宇宙の中心ポイントですが、
私たちはその真の父母様と一つになった歩みなくして価値があるとは言えません。
使命の大きい人は使命を果たせなければ悲惨な結果となります。
誤った方向に行ったらイエス様に従うことができなかった
洗礼ヨハネのようになってしまいます。
要約・編集 文責:ten1ko2
☆
神様に召命された私たちです。
何よりも真の父母様と出会っている、
そのこと自体が奇跡的なことであり、
また、ともに歩んでいる、ということも
さらにさらに奇跡的なことなのです。
そして、「神統一韓国」という一つの目標を掲げて
お母様が歩まれているこの時に、
私たちもともに歩んでいます。
こんなにも足りない者かもしれませんが、
しかし、一挙手一投足、もっともっと
み旨にまい進していかないと、そう思わされます。
三つの要素に関しては、後日お伝えします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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