北谷先生の「死んだらわかるけど、それでは遅い」
今回は、『祝福を受けさせてもらえ』です。
☆
一九九一年十月十六日、父が六十三歳で亡くなりました。
三十一歳のときに交通事故に遭って
瀕死の重傷を負った父は、‛神様’の言葉どおり、
自分のことは自分でできるまでに快復したものの、
顔にひどい傷が残り、
後遺症に苦しみながら生涯を送りました。
そんな父に一度、原理講義をしたことはありましたが、
十分に孝行できないまま、
霊界に送ってしまったことが心残りでした。
そのときは父は祝福を受けていませんでしたから、
昇華式(聖和式、祝福を受けた人を霊界へ送り出す儀式、
一般的には告別式)はできないものの、家族と相談して
「せめて教会葬(家庭連合の教会式の葬儀)で送ろう」
と決めました。
☆
そして、自宅で、朝七時から教会葬を、
その後、仏式で葬儀を執り行ったのです。
葬儀には近所の世話好きな婦人たちが
手伝いに来てくれたのですが、
そこは大阪のおばちゃんですから口も達者で、
「神道の教会で他の宗教(家庭連合)の葬式をするなんて......」
と、 辺り構わず声高に言う人もいました。
ところが、そのおばちゃんの一人が、
葬儀の後で、
「私の祈祷が始まった時に霊界を見た」
と証言したのです。
「たくさんの子供の天女が降りてきて、
お父さんを抱きかかえて舞い上がっていった。
ものすごく高い所に行ったような気がする。
あんなの、初めて見た」と、 興奮して言っていました。
☆
翌一九九二年の八月十三日、父の初盆に、
父が霊界から出てきて母に入りました。
その時の父の言葉が、
「死んだらわかるけど、それでは遅い」でした。
そして、「あの子らの言ってることは本当や。
だから、できるなら祝福を受けさせてもらえ。
天地の違いがある」と兄夫婦に言ったのです。
☆
普通の人はそういう霊的現象を簡単には信じないでしょうが、
兄夫婦はそれまでも日常的に見てきたことでしたから、
信じざるを得ませんでした。
しかも、家庭連合に批判的だった父が
兄夫婦に言ってきたのですから。
これを境に、兄夫婦はがらっと変わりました。
それからわずか二週間足らず後の八月二十五日に、
韓国で行われた三万双の祝福結婚式に参加したのです。
☆
お父さんは、地上で祝福を受けることはなく、
亡くなったとき、「教会葬」で送られた、といいます。
祝福を受けた方たちの「聖和式」ではなかったのです。
それでも、近所のおばさんが
霊的に見て言っていたように
「高い所に行った」、というのです。
神様、真の父母様に連結することが、
どれほど、重要なことであるのか、
そのことを感じざるを得ません。
また、祝福を受けた食口の中には、
事情で、聖和式をすることができず、
「後追い」で聖和式を行うことがありますが、
霊界においては、十分に成立しているのではないでしょうか。
あまりいい表現ではありませんが、
聖和の威力、というのは、本当に凄まじいものだと感じます。
祝福を授けることの大切さを教えていただきました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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