2021年12月14日

(証し)「明日死ぬかもしれない」母の最後の願いで、21修に参加した息子は・・・



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21修でメッセージを語る方大陸会長


世界家庭に開催された方相逸大陸会長のみ言より、
「二十一日修練会で完全に生まれ変わった子女」という小題の、
証し部分のみ抜粋して紹介いたします。


証しを一つ紹介します。
大阪に六五〇〇双の日韓家庭の
ある韓国婦人がいます。

家庭を出発して最初に女の子が産まれ、
次に男の子がおなかの中にいるとき、
日本人のご主人ががんで聖和しました。

それは家庭を持って四年くらいしか
たっていない頃だったでしょうか。

しゅうとは、息子が死んだのは嫁のせいだと考え、
「もう、あなたを見たくない。
韓国に帰りなさい」と言いながら、
男の子を身ごもっていたこの婦人を殴ったそうです。

しゅうとから見れば、息子が若くして亡くなったということで、
それは悔しかったことでしょう。

ですからこの韓国婦人は、しゅうとと、
とても仲が悪かったそうです。


しかし、「天の祝福を受けて日本に嫁いだ限りは
絶対にこの家を守るんだ」という思いで、十年、二十年と我慢し、
日本に来て二十七年間、本当に苦労しました。

この韓国婦人は、ここに集っている公職者の皆さんに
負けないくらい篤い信仰を持った方です。

お母さんのそのような天に対するりっぱな信仰を見て育った娘さんは、
ずっと教会に通い続け、祝福を受けました。
そして、三世を生みました。
とても素晴らしいことです。


ところが、息子さんは、自分のお父さんの顔も知らず、
寂しい気持ちで成長しました。

中学まではお母さんとお姉さんと一緒に教会に通ったのですが、
それ以降は行かなくなりました。
家でゲームはばかりしていたといいます。

さまざまなことがあり、お母さんは、
あまりにもこの息子のことを心配して体を壊し、
もう霊界に行くのではないかというところまでいったそうです。

これは、何年も前の話ではなく、先月のことです。

それで息子に対して「私は明日、霊界に行くかもしれない。
最後のお願いだから、(千葉中央修練所で行われている)
孝情天寶二十一日修練会に参加して、み言を学びなさい」
と言ったのです。

息子は、霊界に行ってしまいそうなお母さんの最後の願いなので、
修練会に参加しました。


私は、この青年が参加している二十一日修験会の
十五日目に講話をしに行きました。

そしてそこで、
「初めてみ言を聴いた人、手を挙げてください」
と修練生たちに尋ねました。

すると、四人が手を挙げたのです。
普通、二十一日修練会 は、七日修練会に出るなど、
現場である程度み言を学んでから参加するものです。
ところが、この四人は、それを飛び越えて参加していたのです。

私は、その四人に、「きょうは修練会の十五日目ですが、
ここまでみ言を学んでみてどうでしたか。」
と、順番に感想を聞きました。

すると、最初の三人は、「来てよかったです」
「こんなに素晴らしいとは知りませんでした」
「感動しました」などと答えていました。

そして、最後の一人が、この日韓家庭の息子さんでした。
彼が何と答えのたかというと、
「今回の修練会は、私のために準備されたものです」
と言うのです。


続けて私は、この四人に、
「修練会が終わったら、皆さんの周りにいる
教会に来ていない二世を三人
連れてきてください」と話しました。

すると、彼らのうちの三人は、
それほど決意していないような感じで、
軽く「はい」と返事をする程度だったのですが、
四番目の彼は, 「はい!絶対にやります!」
としっかりと返事をしてくれたのです。


一昨日、聞いたのですが、彼は二十一日修練会終わって家に帰ると、
「お母さん、本当にありがとうございました。
二十一日修練会に行って多くのことを学びました。
お母さんがどれほど偉大な人なのか、今回初めて分かりました」
と言ったそうです。

お母さんは、その場で泣き崩れました。
どれほど、うれしかったことでしょうか。


そして、息子さんが、
「お母さん、僕は二十一日断食をします」
と言ってきたというのです。

二十一日断食は誰でもできるものではないから、やめなさいと言うと、
息子さんは「大丈夫です。
決意はしました」と言いました。

それでその決意で一週間だけ断食をするように言ったのです。
今頃、一週間断食を始めていると思います。


さらに、彼は、なんと机の上にあったコンピュータを捨てました。

彼は「このコンピュータが今までの自分の敵で、
悪なる自分をつくりました。
このコンピュータは要りません」というのです。
なかなか、固い決意です。

今、彼は、朝六時に率先して起きて、 訓読会をし、
夜十一時になると一日をまとめる祈祷会をしようと
お母さんに言うそうです。

なぜなら、二十一日修練会で、朝六時に訓読会をし、
夜十一時に祈祷会をしたからです。

お母さんは毎日、 訓読会のときも祈祷会のときも隣に座りながら、
ずっと感謝と喜びの涙が止まらないそうです。


このように彼を変えたのは、み言です。
み言は命です。

聖書にも、「初めに言があった。
言は神と共にあった」(ヨ ハネ一・1)とあります。

み言を知らずに、いくら二世を教会に連れていって
説教を聞かせても、なかなか感動はしません。
ただ話をしても、人は変わりません。

人を生かすのは天の父母様(神様) のみ言なのです。

世界家庭8月号
「すべての二世を訪ねていきましょう!」
7・7南東京教区出発式でのみ言


本当に素晴らしい証しです。

お母さんは、息子さんを活かすため、
どれほど切実だったでしょうか。

その思いが「病気」という形で
現れるくらいに切実だったのかもしれません。

息子さんは、み言で見事に生まれ変わりました。
私が思うに、祝福の子女たちは、
み言にスパークする素地があるのだと思います。

そして、何よりもお母さんの精誠です。
見事に生まれ変わったのは、
それ相応の条件があった、ということだと思います。

尋訪プロジェクトを通じて、天運の中で、
子女を教会に連結する道が、
開かれていることを感じます。




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