2021年12月18日

西川先生と、幼い使徒たち 昼はくず屋、夕は伝道師、深夜まで語り合ったあの日・・ 《松本ママ奮戦記》



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▲西川先生を囲んでの食事(左が筆者)


松本ママの『信仰は火と燃えて』より
今回は、「聖別された群れ」の後半になります。


とはいっても、いつまでも一文なしの生活では
何もできないので、みんなで相談して
アルバイトをしようということになったのです。

その時、「くず屋をやったらどうでしょうか」
と提案がありました。
私には娘が二人いますが、下の娘が
鉄くず屋のところにお嫁に行っていました。

それがふと頭に浮かんで、ちょっとみっともないけれど、
自由な時間に働いて自由に伝道するには、
くず屋さんがいいなと思ったのです。

西川先生はそれを聞いて、
「神様の摂理は再創造の摂理だから、
我々人間も新しく造りかえられる。
万物もくずから新しく再生される。
それはいい考えだ、やりましょう」と言われ、
みんなでくず屋を始めることに決まりました。


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▲廃品回収をして伝道資金に(左から2人目が筆者)

朝は6時に起きて7時まで礼拝し、
さっと御飯を食べて廃品回収に出掛けます。

みんな仕事着であるもんぺにはきかえ、リヤカーを借りて、
あちらの角、こちらの角と別れていきます。

そして1時か3時ごろになると、みんな
汗をだくだく流して仕切り屋に集まってくるのです。

西川先生は、いつも一番多くて2000円くらいもうけました。
私たちは、どんなに頑張ってもせいぜい800円でした。


もらったお金は全部、会計をやっていた
春日千鶴子さん(現、ロニオン夫人)に預け、
みんなで連れだってそば屋に行きました。
そこで35円のおそばを食べるのです。

いつも麦御飯とみそ汁だけですから、
それがとてもおいしくて楽しみなのです。
舌にとろける甘い味。
もっと食べたくても、一杯で終わりです。

甘いものが好きな人は、
「35円分だけ大福もちが食べたい」と言って、
大福もちを食べました。


それから、二人ずつ組んで路傍伝道に出掛けます。
私は、岩井裕子さんと有楽町に行きました。
裕子さんは高い声で、とても分かりやすい言葉で道行く人に訴えます。

「御通行中の皆様、天来の声に耳を傾けてください。
私は日本を救うジャンヌ・ダルクです。
この滅びゆかんとする日本を救うために、
心を痛め、涙する良心家はいないのですか」。

たくさんの人が集まっている有楽町の駅前で、
18歳の乙女が訴えるのです。

笑って通り過ぎるアベックもあれば、
「ああ、日本に若い乙女の神様がやって来た」
と拝んで行く人もありました。

 
夕方は、他のキリスト教会の集会へ行ったり、
訪問伝道をしたりして、帰ってくるのは夜の10時ごろです。

それから御飯を食べて、12時まで原理講義の演習をしました。

それで一日のスケジュールは終わりですが、
まだまだみんな寝ようとしません。
それから、西川先生を囲んで天国の話を聞くのです。

私は「先生、霊界が満員になったら
どうするんですか」と聞きました。

ある人は「天国ができたら、おしるこの風呂に
入りたいです」と言うし、
小河原さんは「私はお菓子の家が欲しいの。
柱をとって食べてもまたすぐできるような、
そんなのできますか」と聞くのです。

まるで小さな子供のようです。
先生はあきれて「できますよ」と答えるのです。

私は、理想世界ができたら、羽をはやして
空を飛んでみたいなどと、思っていました。

そうやって話していると、すぐ2時、3時になってしまいます。
翌日はまた同じように仕事に行くのですが、
3時間ぐらいの睡眠でも、毎日が楽しいから疲れないのです。


朝出掛ける時などは、イエス様を中心として、
弟子がぞろぞろまとわりついて歩いたように、
私たちも西川先生を中心として、日焼けした顔に
目をきらきら輝かせて、天国の話や信仰の話をしながら歩きました。

私たちは、この世から全く聖別された小さい群れでした。

先生は、過去の堕落性をみ言(ことば)によって直し、
神の子の権威と品性と実力をもって
人の倍働くようにと、愛と真理で教えてくださるのです。

 
生活指導も細かく、「髪をとかす櫛(くし)は、
みんなが一つを使うのですから、
あとの人のことを考えて必ず紙でふいておきなさい。

食事をする時は、あとの人のことを考えて食べなさい」
と一つ一つていねいに教えてくださいました。

そして、「神を愛する者は兄弟を愛する。
だから悪いところを見たら、まごころから忠告しなさい」
と兄弟を愛することを教えるのです。

また、先生は、男性や女性を異性として見るのは
心の中に蛇が入っているからだと言って、
みんな兄弟として育てました。

ですから私たちは、お互いに異性としての意識は全くなく、
懐かしい時は抱き合ったり握手したりして、
心の純粋さはまるで子供のようでした。

時には先生は、掃除、洗濯、炊事を
みんな一人でやってくださり、
めんどりがひなを抱くように、温かく、やさしく、
細かく、また厳しく私たちを育ててくださったのです。

そうして生活の訓練、信仰の訓練、祈りの訓練をした上で、
私たちは地方に開拓伝道に行くことになるのですが、
この時は、西川先生と別れるなどとは夢にも思わず、
先生の愛のみ手の中で、幸せな毎日を送っていたのでした。

松本 道子・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)

信仰は火と燃えて 4
聖別された群れ


「ホーム生活の草創期版」と表現したらいいのでしょうか。。。
喜々として、歩んでいる姿が思い浮かびますね。

昔、教会に献身していた方たちは、
松本ママの証しを聞いて、
懐かしい気持ちになったと思います。

24時間、一緒の生活。
まさに、「兄弟姉妹」という関係でした。

イエス様を中心とした弟子たちも、
同じような「ホーム生活」をしていたのだと思うし、
今現在の青年たちにも、受け継がれていることは、
本当に素晴らしいことだな、と思います。。。


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posted by ten1ko2 at 08:04 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする