金元弼先生のみ言。
今回は、「裁判で五年の実刑下る」です。
話はまた公判の日、1948年4月7日に戻ります。
☆
私は教会生活の中で、先生は静かな方とだけ考えていました。
けれども、先生の威厳のある様子を見た時に、
先生の違った世界を見始めました。
本当に闘う時が来たと感じました。
先生が考えておられる様子は、これから闘う時が来る
というふうに構えているような、あるものを感じました。
裁判の全貌が新聞紙上に発表され、
多くの既成教会の人たちが裁判所に集まってきました。
彼らは、イエスは頭に何をかぶっていたかと嘲笑し、
先生を殺さなければならないと叫びました。
先生は多くの教会指導者たちや共産党員たちが大勢傍聴する中で、
四月七日に公判の席に出られ、大きく背伸びをし、
余裕をもって堂々と裁判を受けておられました。
その姿に、教会で見ることのできなかった面を見て、
深く考えさせられるところがありました。
☆
最初に先生の裁判が始まり、彼らが第一に先生に質問したことは、
「お前、何を専攻したのか」ということです。
それから名前など全部聞くのです。
先生は、「電気工学を専攻した」と答えました。
それで彼らは、「それでは、電気は
どのようにしてつくるのか」と質問しました。
先生は、電気がどのようにしてできるのか
電気発生の原理を説明していきました。
彼らはその点をねらったのです。
なぜならば、電気は見えないものであり、
人間がつくるものです。
それで、人間が見えない電気をつくるというならば、
神は見えないのだから人間がつくったものだというのでした。
見えない電気を人間がつくるごとく、
人間は神をあるようにつくり上げたのだというのです。
☆
そのようにして、先生に対するいろいろな問題を取り上げていったのです。
そして先生に対する判決文を読み上げました。
そこには、先生がたくさんの無知な人たちを
甘い言葉で誘惑して、虚偽を捏造し、
たくさんの金品を搾取したとか、
キリスト教の信者たちの家庭破壊や
社会の破壊をしたということが記され、
さらに社会の秩序を乱したという名目で判決したのです。
判事は判決文を全部読んでから、
「これに関して改める言葉はないか」と先生に聞きました。
先生は、判決文の中で、社会秩序を乱したとか
金品を取ったとかいうことにはひと言も触れないで、
北韓で虚偽をしたという名目に対しては、
「判決文から取り除きなさい」と願い立てました。
共産主義の社会でそういう話をすれば、
かえって罪が重くなるということを考えますから、
普通の人は「どうかあなたの言うとおりに
服従しますから、何とか罪を軽くしてください」
という思いをもって、黙っています。
しかし、先生はそういうことは問題にしないで、
正しいことは正しいとしたのです。
「要請を受け入れる」と判事は答えました。
☆
こうして先生は五年の実刑を受けました。
他の人たちは手錠をかけられて泣いていました。
先生は大変ひもじいはずですから、メンバーの一人
(玉世賢先生)が先生にお弁当をつくって差し上げました。
私たちは、これから五年間は先生との時間をもてなくなり、
別れていなければならない立場に立ちました。
それはちょうど親から離れる子供のような心情でした。
先生は他の同僚と同じく、片方の手には手錠がかけられ、
片方には食べ残したお弁当を下げていました。
私たちといよいよ別れるとなると、
弁当をお持ちの手を高く挙げて、「私は今は行くが、
再び帰ってくる時まで元気で頑張っていなさい」
と暗示をしてくださりながら、
笑顔で私たちを送ってくださいました。
先生には一つの啓示があって、牢屋には先生を迎えるために、
若い青年が待っているということを御存じでした。
それで牢屋に入られる時にも、その人に会える
という喜びと希望を抱いて出発したのでした。
☆
裁判を終えて、先生は既決囚たちの待合室で待っていたのですが、
そのところに、たまたま先生を調査した検事が
何かの用事があって通りかかりました。
その時に、彼は長い月日の間先生を取り調べていましたから、
先生の顔は一見して分かるはずですが、
良心の呵責があったので、
知らぬふりをして通り過ぎようとしました。
先生は彼を呼び止めて、
「私が分からないでしょうか」と聞かれたのです。
すると彼は、「そうでしたね」と答えました。
そして先生に本当に申し訳ない顔をして、
「実はあなたについて何もなかったのですが、
上の方から命令がありましたので、
私は致し方なくてこうなりました。
人間的なことは全部水に流して、
私をお許しください」と先生にお話ししました。
☆
そして彼は出て行ったのですけれども、
先生が牢屋の中へ戻られますと、
彼からたくさんの食べ物が贈られていました。
先生はその食べ物を見て、食べるべきか
そうすべきでないかと思って、長いこと費やされたというのです。
というのは、彼が薬を中に入れているのではないか
と考えたからです。
先生の性格として、もし先生がその人であったら、
体面を考えて差し入れなどはできないというのです。
その体面を乗り越えて、先生に差し入れをした
という心を非常に重くみたのです。
先生ができないようなことを彼はしたのです。
そういうことで、先生は中の人たちと分けて食べられたのです。
先生は、一言二言に対してこまかくお考えになる
ということがお分かりになると思います。
☆
判事の言行から見ても、
先生は何の罪もなくて五年の刑を受けたのです。
刑務所では、名前が呼ばれるのではなく、
代わりに番号で呼ばれます。
先生の番号は五九六番でした。
これを韓国の発音で読みますと、オ・グ・リュク
となりますが、オグルハダと発音が似ています。
先生は罪なくして入られました。
それに対して番号自体もオグルハダ(くやしい、濡れ衣を着せられるの意)
となって五九六になったのです。
I 平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「裁判で五年の実刑下る」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第三章 興南監獄での伝道
「裁判で五年の実刑下る」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
裁判後、お父様を取り調べをした検事は、
自分の本心を吐露しました。
人は思想の影響によって、
自分は正しく、この人は悪いとなれば、
良心が塞がれてしまうのか、徹底的に
痛めつけても、良心の呵責も感じないようです。
しかし、この検事は、ずっとお父様と接しただけに
感じるところがあったのでしょう。
上からの指示とのはざまで苦しんでいたようです。
真のお父様は、蕩減の道を行かねばならない、
そのことを悟られて覚悟をされておられたのかもしれません。
しかし、何も悪いところがない無実の立場でしたから
裁判の苦難の道でも、人類の救世主として
堂々としておられたのだと思います。
神様を心配させまいとされる、
お父様の強い信念と決意を感じます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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