2022年02月28日

《平和祈念》心配なロシア侵攻、平和の母の見解と、ウクライナ教会からのメッセージ



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ヨーロッパが一つになって、
天を知らない二つの強大国(ロシヤと中国)を
教育して弟として立て、
天の父母様の前に連れて来てください。


ロシヤ、ウクライナ内外でも多くの批判が
寄せられているロシヤの侵攻。

先日、ウクライナ教会からも世界の
家庭連合のメンバーへのメッセージが届きました。

今日は、それに先立ち、
平和サミット祝勝会で語られたお母様のみ言から、
「天を知らないロシアと中国、2つの国を抱くことのできる道」
という小見出し部分を紹介します。


一昨日、私が話したように、本来の宇宙の主人、
この地球の主人は天の父母様であるのに、
天の父母様が分からず、堕落した人類は、
自らの所有だといって国境線をつくりました。

今日、強大国と言われる国々――特に天を知らず
宗教に反対する国がロシアと中国です。――
これらの国の前に、キリスト教文化圏が出発した
ヨーロッパ大陸のすべての国々は
立ち上がらなければなりません。

天の父母様の子女になる道は、真の父母を受け入れて、
天の父母様の懐に兄弟として
一緒に行く道しかありません。

ヨーロッパ大陸でキリスト教が出発し、世界へ伝播
していき、アフリカで多くの宣教をしてきました。

しかしイエス様の本質が分からない立場で、
ために生きる愛ではなく、結果的には奪って来る、
そのような文明によって、キリスト教文明圏は
その責任を果たせなかった立場で
衰退していってしまいました。

それで私は真の父母として、最も痛みと困難の多い
アフリカ大陸を、まず復帰するために進み行きました。
結果はアフリカの国々と7つの宗教団体、
大陸を復帰した立場で天一国安着を
宣布するようになりました。

聖書で「先の者はあとになり、あとの者は先になる」
(マタイ19・30)というのがアフリカです。

しかし最後に、天の父母様に侍った人類一家族に
向かっていく道において、
いまヨーロッパ大陸が直面している
東欧問題と北東アジア問題についてみるとき、
完全に真の父母と一つになった位置で、
天の父母様の真の子女として先の者となり、
天を知らない2つの国を抱くことのできる、
兄の立場で弟を教育して抱く環境圏をつくり得る機会が、
まさに今であるということを知らなければなりません。



遡って1970年代に、お父様はアメリカを生かして
世界を抱こうとされたために
ヨーロッパの中心的な責任者をアメリカに呼んで、
アメリカを天の摂理に合うように教育するにあたって
たくさんの苦労をしました。

当時アメリカにはまさに代表的な三人の人物がいました。
とても活発で自信あふれる、そのような女性たちでした。
彼女たちは真の父母様に侍り、
先頭に立って多くの苦労をしました。

そのときお父様は、アメリカを救うための
「希望の日」(Day of Hope)の行事をされました。

合唱団を作ったのですが、
そのときピアノを弾く人がいました。
アメリカを代表する三人の女性とは違い、
アメリカの女性でありながら
東洋の香りのする女性でした。

リンダだと私は記憶しています。
それで本当に良い印象を持ちました。
ところで、この女性はマーク・ブラウンを夫として
迎えて幸福に暮らしていることと思います。



私がこの話をどうしてするのかと言えば、
今回バローゾもそうでしたし、ヨーロッパの貴賓を
紹介して教育するのに大変苦労しました。

それで私はバルコム大陸会長と大塚天議苑長と
ジャック・マリオンUPF 会長がいるところで

「いまヨーロッパが立ち上がり、天の摂理を助けるのに
拍車をかける時になったので・・・。
人類が生きる道、ヨーロッパが生きる道、
世界が生きる道は天の父母様に侍る道ですが、
その天の父母様に侍ることのできる資格を
備えてあげる方が真の父母なので、
真の父母と一つとなったヨーロッパになろう」

と力強く叫ぶことを望んで、
この人の名前を取り上げました。



先ほども話したように、ヨーロッパが一つになって、
問題になっている二つの強大国、
天を知らない二つの強大国を教育して弟として立て、
天の父母様の前に連れて来てください。
そのような考えをしました。


“ヨーロッパが一つとなり、天を知らない2つの強大国を
抱くことのできる環境圏をつくろう”

天地人真の父母様御聖誕および天一国基元節9周年記念韓半島平和サミット
祝勝会 真のお母様のみ言
天一国10年天暦1月15日 2022年2月15日(火)
HJガーデンホール(天城旺臨宮殿大聖殿)
文責:ten1ko2
さらに一部割愛しています


ロシアがウクライナに軍事介入しました。
「戦争」という言葉を使ってもいいかもしれません。

お母様は、み言で語られているように、
ロシアと中国の強大国を
ずっと懸念しておられたのでした。

このみ言が語られて6日後にロシアは
停戦協定を破棄し、9日後の24日
陸海空からウクライナ侵攻を一気に開始しました。

どれだけ悲惨でむごいことでしょうか。。。
お母様も胸を痛めておられるに違いありません。

戦争は決して許されるものではないし、
国際法に違反する行為は、認められるものではありません。

しかし、ロシアにはロシア正教があり、
多くのクリスチャンたちがいます。
さらにいうならば、家庭連合の食口もいるのです。

実際に戦っている兵士の中には、
良心的な人だっているでしょう。

お母様は、ロシアに対して、
「天を知らない・・・教育して弟として立て、
天の父母様の前に連れて来てください」
と語っておられます。

神様、真の父母様を知らなくても、
愛する息子であるのです。
これが本当に胸痛いことなのです。

宇宙飛行士の記事が載っていました。
今、国際宇宙ステーションは、アメリカ、ロシアをはじめ、
多くの国々が共同で使用されています。

宇宙空間には国境はありません。
国際協力と平和のシンボル、
それが国際宇宙ステーション(ISS)だということです。

ウクライナにも食口はおります。
二世の兄弟が兵士として戦っている
という話も耳にしました。

祝福家庭の中でも、ロシヤ人との家庭も少なくないということで
どれだけ葛藤や心配が多い現状でしょうか。

真のお母様も、ただちにそのための対応をされ
祈祷会を開かれているとも聞いています。
きっと、誰よりも深く祈られていることでしょう。

私たちも、祈りを捧げるしかありません。
平和的解決を切に願うものです。

ウクライナ会長からの
メッセージを紹介して終わります。


親愛なる兄弟姉妹の皆さまへ

ウクライナを代表して、私はあなたがたの
絶え間ない支持と関心に感謝いたします。
私たちにとって今まさにあなたの絶え間ない祈りが必要です。

いま私たちの首都キエフで戦いが始まっています。
そして、今日と明日が私たちにとって重要な局面を迎えます。
キエフに滞在している私たちは、

早朝から爆発や銃撃の音を聞いています。
私たちは時々サイレンを聞いては地下のシェルターに逃げています。

私たちの兄弟の一人は
車で橋を渡った直後に橋が爆破されました。

私たちの命は危険にさらされていますが、
それ以上に、私たちは祖国の運命、
愛するウクライナを深く心配しています。

真の御父母様は、国の幸せなしには
個人の幸せはないと教えて下さいました。
そのみ言の意味をウクライナメンバー一人一人が
今、深く感じています。

ですから、私たちの命だけでなく、ウクライナが
この状況に立ち向かい、
自由で平和な国であり続けることを祈ってください!

ウクライナナショナルリーダーより、愛を込めて。




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posted by ten1ko2 at 10:25 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月27日

私が真の父に従った理由! キリスト教牧師からの華麗な転身?! 《李ヨハネ先生の証し》1



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いつもお世話になっている李ヨハネ先生*
ヨハネというのは、クリスチャンネームかと思います。

ヨハネ先生がどのようにして教会に導かれたか、
その証しを紹介したいと思います。


既に流れてしまった水をもってしては、
水車を回すことができません。
神でさえも過去を改革することはできない、
というアリストテレスの言葉は正しいかもしれません。

愚かな者は明日に生きるといいながら、
今日を空しく過ごしてしまいますが、
賢明な者は過去に生きてきました。

未来に対する予見の最上の方法は、
過去を振り返ってみることですので、
(今回)あえて回想のペンを執ることにしました。


私が今日の神の聖業に従事できるようになった理由を知るには、
父母の代までさかのぼらなければなりません。

私が生まれる前から家族は、キリスト教の信仰を持っていました。
はっきりとは分かりませんが、
母は嫁いで来る前から信仰生活をしてきたようです。

平安北道の宜川邑(むら)からあまり離れていない
蓬山市の、ある農家に私は生まれ、
教会は宜川邑の長老教会に通っていました。

世間知らずの子供でしたが、母の手に引かれ
私の信仰は成長していきました。


満州に移住してからも熱心に教会に通い、
奉天で中国人学校に通いましたが、
満州事変で中国の河南省に移りました。

そこでは韓国人の長老教会に通っていましたが、24歳のとき、
支部教会の伝道師を担当するようになったことが、
牧会の始まりとなりました。

教会員は20から30名になっており、
私が直接礼拝を担当し韓国語で説教しました。

しかし、戦争が激しくなり日本の勢力が強まると、
領事館から韓国語での説教を禁止する通達が来ました。


その後すぐに私は、領事館の許諾を受けて
日本に行くことになりました。

神学を勉強するつもりで日本東部神学校に入学し、
一年程この学校へ通いましたが、1943年に
文教部の施策で各神学校が統廃合され、
連合神学校の日本神学校に移りました。

しかし神社参拝をどう思うかという校長の質問を受け、
あまりにも正直に答えたため退学させられるはめとなりました。

このような思想検査で30名の韓国人学生の中で、
唯一私一人だけが退学させられたのでした。

韓国に帰るわけにもいかず、
日本にそのまま滞在し軍需工場へ通うことになりました。
当時の私の年は25歳。

26歳で徴用の対象となるため軍需工場へ入り、
いったん徴用を免れました。

ここで終戦になるまで仕事をし、
日曜日ごとに何名かの気の合う韓国人だけ集まり、
礼拝を行っていました。


1945年終戦と共に、私の信仰にもう一つの激変期が訪れました。

その年の10月に韓国へ帰りました。
信仰を再び持てる喜び、韓国語、韓半島を
再び取り戻した喜びに国中が沸き返っていました。

それもつかの間で、アメリカ軍政が設置され
新しい政治の波が起こると、
教会は再びそわそわとしてきました。

アメリカから救援物資が入ってくると、
教役者たちは物欲に目がくらみ、政治に参加するようになり、
聖職を捨て去ってしまいました。

教会が純粋性を失い世俗と妥協するようになると、
信仰を失った日帝時代の痛みを再び忘れるに至りました。

そうした中でも満州や故郷、あるいは日本で会った教友たちが集まって、
信仰を失わないための努力がなされました。


どう見ても通っている教会がおかしいと考えた私は、
牧師たちが裸になったり、
タバコを吸う夢を見るようになりました。

教会は何か恥ずかしい状況に行きつつあるな、
と言う考えが直感的に胸をかすめていきました。

また現在の教団に「神の火が移ってしまった」という夢示や、
「韓国に主の再臨」という文字が、
号外新聞のように見える夢を見るようになったのです。

漠然と、私が心配しているので、
このように夢示が下りて来るのだと思いながら、
自分なりに信仰をより徹底するよう努力しました。


その後ソウルから何時間か離れたある教会を受け持って、
ソウルに住みながら礼拝を行いました。

この教会とは、南大門教会の長老を通して因縁を持ち、
引導者がいない間だけ担当したのです。

そうしながら南山チョンヘ神学校2学年に編入して
一学期を通いました。


このような中でも神様は直接啓示を通して、
又は信仰のある生徒の証しを通して『時』を教えてくれ、
『主の再臨』を知らせてくれました。

38度線のため平壌の信仰熱度を直接知らなかったのですが、
そこで信仰生活をした熱誠信徒たちから、
平壌がまるで韓国のエルサレムだな
ということを実感することができました。

その人たちから「平壌に恩恵が多い一人の青年がいるが、
家庭で集会をして獄中に入れられた」
という話を聞いたのです。

その青年の言葉を聞いたことのある人たちによると、
彼は他の人が分からないみ旨を知っている方のようであり、
何か非凡な方に間違いないようでした。

文責:ten1ko2


どのようにして導かれたのか、
文章にしようと思った動機からして、
何か、詩人のようですね。

今回はお父様に出会う前までの道のりですが、
本当に真実を求める信仰者だったのですね。

平壌で伝道していた頃のお父様の
噂をきくという、興味深いお話でした。

続きをお楽しみに。





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*李ヨハネ先生のお名前について

李耀翰と書いて、イ・ヨハンというのが
韓国での正式なお名前かと思います。
日本では、李(リ)ヨハネ先生ともお呼びしてきました。
ご父母様が、文鮮明(ムン ソンミョン) 
韓鶴子(ハン ハクジャ)であるように
元老の方々のお名前についても、日本語読みではなく
韓国語読みに変えるべきであるかとは思うのですが、
このブログでは、シリーズとなった
《李ヨハネ先生のベスト・アンサー》で紹介するに当たり、
親しみを込めて
李ヨハネ先生とお呼びしています。


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posted by ten1ko2 at 09:32 | Comment(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月26日

「原理は千年経っても変わりません」 《真のお父様のみ言に学ぶ「統一原理」》



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先日、原理講義をするために予習として、
「真のお父様のみ言に学ぶ『統一原理』」を訓読していました。

心に刻まれるみ言があったので、
紹介させていただきます。

「『原理講論』に対する姿勢」から抜粋しました。


今までは、講義をしながら、
自分勝手にやってきました。
それではいけません。

原理のみ言をすべて、
本を読みながら講義するのです。

『原理講論』は、劉(孝元)協会長が
書いたのではありません。
一ページ、一ページすべて鑑定を受けたのです。

私が許諾しなければ、
それに手を出すことはできません。

本以上の先生はいません。
本を無視してしまって、
宝の持ち腐れにしてはいけないのです。

本で原理講義をやりなさい。
その教えは、お父様のオリジナルの教えです。
お父様の真の道です。
勝利の覇権が原理のみ言に記録されているのです。


(一九九五・一・一)



劉協会長は先生よりも六歳年上でした。
洗礼ヨハネはイエス様よりも六カ月年上でした。
ですから、劉協会長は洗礼ヨハネの立場にいました。
彼は洗礼ヨハネの立場で
原理を解説しなければなりませんでした。

劉協会長が書いた本は、劉協会長の本ではありません。
劉協会長がその本を書く時、先生は、彼に
「このように、またあのように書きなさい」
と指示しました。

今後、皆さんは、その本を
詳細に勉強しなければなりません。
(一九七一・一二・二七)


原理の本は恐ろしい本です。
原理の本を劉協会長が書いたといって
軽視する人がたくさんいます。

もし、この本を私が書いたとしたらどうなりますか。
みな引っ掛かります。
言うまでもなく一遍に引っ掛かってしまうのです。

霊界に行ってみなさい。
もし間違って書かれていたとしても、
軽視すれば引っ掛かります。

何のためにそのように書いたのかを
知らなければなりません。

経典は絶対視しなければならないのです。
「確かに間違っているようだが、
なぜそのように書いたのか」と言う人がいます。

それは全体を通して見るとき、
そのように書くようになっているためです。
そのように書くべきほかの事情があり、
飛躍せざるを得ない内容があったことを
知らなければなりません。

そのように考えなければならないのです。
それを理解できずに、自分が分からないことは
間違っていると考えています。

しかし、原理は千年たっても変わりません。


(一九九五・一・一)



皆さんは、原理のみ言を読んだとき、
夜眠れずに涙を流してみたことがありますか。

劉協会長の素晴らしいところは、原理をすべて
ノートしながら、1ページごとに
数百回も涙を流したということです。

自分は知識人として、大学に通った
頭の良い人間として、真理を探究して
疲れ果てていたのに、どうしてか
こんなにも深い世界を知るようになったので、
涙を一滴二滴ではなく滝のように降り注いだのです。

それに接するとき、その真理の前に恍惚を感じ、
涙なしに記録できなかったというのです。

一ページを記録するのに一週間かかった
ということを私は聞きました。
ですから涙をどれほど流したか分かりません。

本然の心情と通じることができる真理のみ言は、
愛を爆発させても再爆発させる力をもち、
その作用は歴史を通して成就されたのです。


(一九八六・二・一六)
文鮮明先生のみ言に学ぶ統一原理【前編】
序に変えて――「原理講義」について
『原理講論』に対する姿勢
(光言社・刊)


誰もが知っている原理講論は、
劉孝元先生の魂の作品であります。

み言の出発、原理の基が、劉協会長の
凄まじい精誠と涙に染められていることを
改めて思わされました。

そのような真なる精誠を感じつつ、
訓読し、講義をしていかなければ・・・
本当にただされました。


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