2022年02月25日

「死んだらわかるけど、それでは遅い」 13回忌に霊界から父本人の挨拶 《北谷先生》



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亡くなられたお父さんのメッセージである
「死んだらわかるけど、それでは遅い」
今日は、そのお父さんの法事ですが、
北谷家の法事は、やはりアメイジングです。


この年の十月、父の十三回忌の法要を行いました。
一周忌、三回忌、七回忌はお坊さんを招いて、
仏教の法要を行ったのですが、十三回忌では、
家庭連合の追慕式をすることに決めました。

母や兄夫婦も了解してくれたので、
私は姉と相談しながら、式次第を練りました。

他の追慕式の式次第と決定的に違っていたのは、
供養される本人である「父」の挨拶を入れたことです。

当日は、父方、母方のおじ、おば、いとこなど、
五、六家庭が集ってくれました。

皆、 神妙にお坊さんが来るのを待っていたのですが、
頃合いを見計らって母が、「きょうは、 お坊さんは来ません。
主人(私の父)が霊界から、真雄(私のこと)に
やってくれと言ってきたので、きょうは
家庭連合のやり方で法要を行います」と宣言しました。


司会は姉が担当し、私が主礼を務めました。
式次第が進み、私が「これから父が挨拶をします」
と言うと、その瞬間、父の霊が母にズバッと入りました。

そして父は、母の口を通してこう言ったのです。
「死んだらわかるけど、それでは遅い」

「おまえたちな、死んだらわかるけど、
それでは遅いぞー。
だから今から私の言うこと を聞きなさい。
今からやる儀式はすべて受けなさい」

私は主礼として二十分ほど、祝福の意義と価値
について話をし、その後に聖酒式を行いました。

参列した親戚たちは、家庭連合を
受け入れてはいませんでしたが、
母には心情的に屈伏していました。

母が無償で人助けをしてきたことをよく知っていましたし、
誰もが多かれ少なかれ、母の世話になっていたからです。

ですから、母の口を通して語られる
「今からやる儀式はすべて受けなさい」
という父の言葉に、皆黙って従いました。


一人一人に献花と焼香をしてもらいました。
父方の叔父(父の兄弟の中でただ一人生きていた父の弟)が
焼香をした時のことです。

父とその叔父の父、つまり私の祖父が霊界から出てきて、
母に入りました。

そして叔父に向かって、
「この家族(母や兄夫婦、姉夫婦、私たち夫婦)に礼を言いなさい。
皆が救われたから、礼を言ってくれ」と伝えてきたのです。

私たちは家族で力を合わせて、清平での先祖解怨(先祖の怨みを解放する)、
先祖祝福(先祖に祝福を受けてもらう)などを進めていたのです。
そのことによって、先祖たちは霊界で救われたのです。

この父の追慕式を通して、私たちには、氏族の祭祀をする役割があり、
冠婚葬祭を司るのが天の願いであり、
先祖の願いなのだということが、はっきりと分かりました。


光言社刊 北谷真雄 / 著
「死んだらわかるけど、それでは遅い」より


本当にアメイジングです。
お母さんは霊能者なので、
様々な霊人が自由自在に入りますね。

実際に北谷家においては、
すでに霊界に行かれたお父さんが、
切実な思いで、祝福の貴さを訴えておられます。

しかし、私たちの先祖においても、
このお父さんと同じ思いなのではないでしょうか。

私たちが霊的に鈍いので、
先祖たちの訴えがわからないのです。

なので、この北谷先生の証しが
私たち先祖の訴えかけであると思い、
祝福の貴さを多くの人たちに
宣べ伝えなければならないと思うのです。



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2022年02月24日

裏切られても決して裏切らない 信徒たちのために日に3度祈られた主 《金元弼先生》



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平壌刑務所にて、まさに興南が近づいていましたが、
ご自分を案じる祈りはされなかった
お父様(文先生)でした──

金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
「食口(シック)のために祈られる」です。


平壌に残った人たちはどうなったでしょうか。

多くの食口(信徒)がいましたが、
若い青年は五、六人しかいませんでした。
あとは全部婦人や壮年の方々でした。

(文)先生が四六年に平壌に来られて、足かけ三年になります。
実際は一年ハカ月ですが、足かけ三年です。
(1946.6.6〜1948.2.22
 平壌刑務所に送られたのが1948.4.7)


最初に霊能者たちが入ってきて、
「三年後には、先生はこの世の中に顕現する」と
何人もが同じことを予言しました。

私も、三年後に先生は現れるんだと
本当に信じていました。

それは、天国が実現されることだと思っていましたから、
メンバーは、その時になったら勉強も職業も
何も必要ないと考えたのです。

皆さんもそう考えたことがあるでしょう。
その時の食口たちは、全員そうした雰囲気でしたので、
いくら迫害があっても何も問題ではありませんでした。

しかし、先生は我々に
そういう話をされたことはありませんでした。
そういう啓示をなぜ受けるか
ということをよく御存じだったからです。

「三年後に顕現する」ということについて、
先生のお考えと啓示を受けた人との考えには
大きな隔たりがあったのです。

啓示を受けた人は、
自分を中心として神の啓示を考えました。
それは「お前がメシヤだ、主である」と啓示を受けたとき、
その人は自分がメシヤと考えるのと同じことです。


再臨の主を迎える準備の集団(腹中教)について
お話ししましたが、
幹部が集まろうとしたのではないけれども、
投獄というかたちで集められた時に、
「お前たちを迎えるだろう」という啓示に対して、
彼らはメシヤが来て彼らを迎えると考えたのでした。

本当にそう信じていたのです。
ところが現実は、メシヤが来て彼らを迎えたのではなく、
共産党の官憲が来て迎えたのでした。


三年の後には、反対のことが起こり、
先生は牢屋に入られたのでした。
それで霊能者たちは、「三年後には現れると言ったのに、
どうして牢屋に入るようになったんだろう。
私の啓示はなぜ間違ったのだろうか」
と天の教えを疑い始めたのでした。

この疑いが発展していきますと、二〇〇〇年前のイエス様は、
イエス様を捕まえようとした人の目をくらまして、
危機から逃れることができたのに、
先生は官憲が来たときに、あらかじめ知って、
その目をくらまして逃れることをせず、
なぜ連行されてしまったのだろうか
という思いが募ってきました。

そして、「私が受けた啓示が間違っているのだろうか。
人々がお前の啓示はサタンから来たのだと言ったごとく、
私が間違っていたのだろうか。
本当に神が教えてくれたものであろうか」
とこのように発展していくのです。

 
霊能者には、神のみ言、啓示を受けたら
必ずこれを実体化し体得するということが
非常に大切なことです。

神霊は真理の基盤の上に立たなければなりません。

ところが、真理の基盤をもたないで、ただ神霊だけという人は、
ちょうどめくらの人が鈴の音を聞いて歩いて行くようなものです。
鈴の音が止まったら、
その時には方向が分からなくなるというのです。

啓示というのは、いつもいつも教えてくれるものではありません。
メシヤに対する重要な啓示は、疑いをもった時に、
「いやメシヤだ」と教えるようなものではありません。

一度教えてから、み言に従わないときには、
反対の言葉を通じて教えるのであって、
再びそれを繰り返して教えるものではありません。


ノアに神が教えたときにも、ノアに難しいことが起こったら
また教えてあげるといったものではありませんでした。
一度しかありませんでした。

モーセにしても同じです。
イスラエル民族をエジプトからカナンの地に導きなさい
と教えているけれども、途中でこんなことが起こるだろう、
そしたらこういうふうにしなさいと、一つ一つ教えてはいません。


私は後になってつくづく感じましたけれども、
先生は牢屋の中で、食口たちがみんな疑いをもって、
先生を裏切ることをよく知っておられたのです。

しかし、先生は一日も欠かさず、
一日に三度私たちに対してお祈りを続けてくださいました。
一人一人を思い描きながら、その人のためにお祈りされるのです。

普通「お前と私は死んでも一緒に行こう」と約束します。
そしてそういう間柄の人であっても、ある時に裏切られたら、
「お前が私を裏切ったんだから、私もお前を裏切る」
というのが普通の人の対人関係です。

しかし先生は、先生に誓った人が先生を裏切っても、
その人を決して裏切らなかったというのです。

I 平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「食口のために祈られる」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


1948年当時、真のお父様はまだ28歳でした。
その頃から、食口たちに対して、
裏切ったとしても、一切そのことを気にされず、
変わらない愛情で祈りを捧げていかれた、
その心情の世界は本当に素晴らしいものだ、と思います。

真の愛を持たれた、真の父母様である、
本当に実体で示してくださっておられると感じます。

一日に三度も祈られた真のお父様。。。
私たちも、相続しなければなりませんね。


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2022年02月23日

大阪の大きな坂を越えよう 準備された小さな巨人、周藤健登場 《松本ママ奮戦記》



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名古屋の開拓伝道を勝利した
松本ママは、次に大阪の教会長として
赴任することになりました。

「越えるべき大きな坂」を紹介します。


大阪には、既に岩井裕子さんが伝道に行っており、
根拠地は鴫野(しぎの)という町にある長屋の二階でした。
下には60歳ぐらいの軍人あがりの夫婦が住んでいました。

さあ、きょうからここが私の開拓地です。
大阪に着いた日、まず町の中をぐるっと回ってみました。

非常に雑然としていて、人々の理性基準が低いというのが、
大阪に対する私の第一印象でした。

なにしろ日常のあいさつに「もうかりまっか」という具合で、
お金もうけのことしか考えないので、
町の中は汚れ放題に汚れているのです。

大阪は大きな坂です。
関西に入るにはまずこの大きな坂を
越えなくてはならないと思うと、
町の中を歩きながら気が引き締まるのを感じました。


さっそく駅での路傍伝道、そしてキリスト教会探しから始めました。

大阪にはクリスチャンセンターというのがあり、
毎週日曜日に早天祈祷会を行っていました。
6時半ごろ集まって、みんなで朝の祈祷をし、
朝食をとりながら親睦(しんぼく)会をするのです。

そこには全国からやって来たクリスチャンや牧師が集まっていました。
私は、こんなに伝道対象者が大勢いる!と小躍りして喜び、
神様はなんてすばらしい所を与えてくださったんだろう
と感謝して、毎週クリスチャンセンターに通うことにしました。

しかし、ここでもクリスチャンの心の壁は厚く、
最初は喜んで受け入れてくれるのですが、
統一教会と分かると次第に敬遠し始め、
あいさつもしなければパンフレットも
受け取ってくれなくなりました。

けれどもそんなことであきらめる私ではありません。
必ず分かってくれる人がいると信じて通い続けました。

 
また大学にも行ってみました。
しかし、ここでも誰もパンフレットを受け取ってくれません。

そこで、伝道方法をいろいろ変えてみました。
大きな布に終末論の図解説明を書き、
それを広げて説明したりもしました。

それでようやく人が集まってくるようになり、
10人ぐらいの人が教会に集うようになったのです。

 
教会が発展するか否かは私の気持ち次第で、
私が力強く張り切っている時は人が増えてくるのですが、
疲れてグッタリしていると、いつのまにか人が減ってしまいます。

ですからどんなにつらい時も
決して弱音を吐くまいと決心して頑張りました。

路傍伝道は梅田駅と天王寺駅の二箇所でやっていました。

大きな布に“救いとは、人間祖先の堕落によって始まった
罪悪世界を創造本然の世界に復帰し、
神の天宙創造の理想を実現することである”

と書いて、その旗を掲げて路傍伝道をしたのです。

 
するとある日、周藤健さんという人が
突然教会に訪ねてきました。

小さな男がちょこちょこ来たので、初めは
あんまり大物ではないと思っていたのですが、
あとで聞いてみると学校の先生だというではありませんか。
私は驚いて、真剣に講義を始めました。

彼は、天王寺の駅の近くにある聾(ろう)学校の先生で、
路傍伝道をしているのを聞いて“不思議だなあ”と思ったそうです。
どこか普通のキリスト教と違う感じがするのですが、
もらったパンフレットを見ると世界基督(キリスト)教統一神霊協会と書いてあり、
やっぱりキリスト教なのです。

そこで彼は、掲げている旗に書いてある救いの定義を読んで、
なるほど、これは一遍聴いてみようと思って訪ねてきたのでした。

それも毎晩来るのです。
私が路傍伝道を終えて8時か9時ごろ帰って来ると、
ちゃっかり2階に上がって待っていました。

クリスチャンだったので、まず最初に
メシヤ降臨と再臨の必要性を講義して、
次に創造原理、堕落論と入っていきました。


彼は「ほおっ」と言って驚きながら聴いているかと思えば
堕落論の時などは、先生ともあろう者が、
はらはらと涙を流して泣くのです。

そして、
「もう遠くなくしてメシヤが来るんですか。
 この言葉は誰が語ったんですか」
と聞くのでした。

そこで私は、
「もうすぐメシヤは来ます。
 私はそういう啓示を受けました」と答えたのです。

すると彼は目を輝かせ身を乗り出してきました。

「では、メシヤが来たら、奇跡が起こって
 聾(耳の聞こえない人)の人たちがみんな治るのでしょうか」
「治りますとも」

こうして彼は希望に満ちて、
私のたどたどしい講義を1カ月間聴き続けてくれました。

 
その後、彼を東京にいる西川先生に紹介しました。

上京した彼は彼なりに判断し、考えるところがあったらしく、
2日もしないうちに帰ってきて、
緑のメガホンを一つ買って一緒に路傍伝道を始めました。

聾学校の高等部を教えながら、夕方になると
パンフレットをまいたり、路傍伝道をしたりするのです。

「2000年前のイエス様の声が再び聞こえてきました。
 御通行中の皆様……」


そうして伝道するうちに、彼は献身しようと考え始めました。

すると同じ学校で先生をしている60歳のおばあさんが、
「あなたはクリスチャンでしょ。
 この惨めな聾学校を捨てて献身するとは何ごとですか」
と言って彼の心を打ち砕くのです。

子供たちのことを言われると、
彼の決心は根底から揺らいでしまいました。

そして、
「やはり私は学校を辞めることはできません。
 時々はあなたのことを手伝いますから、
 私のことはあきらめてください」と言い出したのです。


私は、彼はもっと大きな使命をもっている人だと思ったので、
もう必死になって祈って、毎日学校に訪ねていきました。

「あなたはイエス様のゲッセマネの心情を忘れたのですか。
 聾学校の生徒を教えることも本当に大切なことだと思います。
 でも、あなたにはもっと重要な使命があるのではありませんか。

 彼らに真の救いをもたらす人はあなたしかいません。
 そのためにもまずあなた自身が神様のために働いて、
 彼らを主の前に紹介しなければならないのではありませんか」

こう涙をもって訴えると、彼は、確かにそうだとうなずくのです。
彼にとってはどちらの言うことももっともなことで、
いったいどうすればいいのかと相当迷い考えたことでしょう。

天に大きく用いられる器だからこそ、
それだけ試練も大きかったのです。


しかし、何日間も迷い考えた結果ついにその試練を乗り越え、
東京での40日間の修練会に参加して、
そのまま献身してしまいました。

そこまで決心するためには、彼自身も内心ずいぶん闘ったことでしょう。
けれども私としても、彼をなだめたり発破(はっぱ)をかけたりしながら、
彼の救いとその使命を思って神の前に日々祈り続けたのでした。

しかし、試練が大きかっただけに、
一度決心すると誰よりも熱心で、
たちまち彼はすばらしい原理講師になったのです。

寝る間を惜しんで原理講義を勉強し、
心に響く独特の講義をするので、
彼の講義を聴くとみんなはらはらと涙を流して泣くのです。

決意するまでは大変苦労しましたが、
神様が必要としている大物を東京に送ることができ、
天と共にその喜びをかみしめました。

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▲周藤健氏と倉森董代さん(1962年10月)


松本 道子・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)

https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=13409
信仰は火と燃えて 9
越えるべき大きな坂
(blessed lifeより)


松本ママは、大阪に対して、
良いイメージを持っていなかったのですね。。。

しかし、それでも精誠を尽くして歩む中で、
周藤先生との出会いがありました。

周藤先生の証しも、当ブログで紹介していますが、
本当に純粋な方でいらっしゃるな、と改めて思いました。

周藤先生は、原理講師として、
日本の草創期の先輩たちを導き、
アメリカでもご活躍されました。

まさに大きな坂を越えて、
「小さな巨人」を導いていかれた
松本ママでした。

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posted by ten1ko2 at 10:06 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする