2022年02月22日

真の父がメシヤの使命を受け入れたのは・・・ イエスと神が説得 《史吉子先生》



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史吉子(サ キルジャ)先生のみ言。
「総序論」の続きです。


お父様が16歳の時、イエス様に会われたのですが、
本来は儒教の家庭でした。

ところが、愛国者であった文潤国牧師の導きで、
文氏一家が全てキリスト教に改宗しました。

それでお父様も神様を知るようになり、
イエス様も知るようになり、熱心に祈祷をされるようになりました。

お父様がどんな祈祷をされたのか?

「神様、本当にいらっしゃいますか?
神様が本当にいらっしゃるのでしたら、
どうして私たちの国がこんなにひどい苦痛を
受けなければならないのですか?

私たちの国の人たちがさまざまな苦しい目に遭っているのに、
どのようにして根本的に解決しなければなりませんか?」
といった祈祷をされたそうです。

この問題をもってしつこい程、
とても深刻で切実に祈られたそうです。


そうするとイエス様が現れて、
「そうだ。あなたが願い、あなたが成したいと
願っている全てのことを私が成そうと来たのだが、
そのみ旨を全て成すことができなかった。

だから、これからは私と共に、
あなたがその仕事をしなければならない。」
と語られたそうです。

「私と一緒にやろう」と言う切実なイエス様のみ言を聞かれた時、
お父様はあまりにも驚かれたからか、
すぐには「はい!」と返事ができなかったそうです。

お父様に現れた、可哀想な主の姿を霊的に見た時、
大変驚かれたのです。

お父様がイエス様から受けた頼みは、
まるで空中にぶら下がって揺れている針に、
糸を通せと言うのと同じだったそうです。


ところで、16歳の少年が、どうして
針と糸のことを思ったのでしょうか?

私がお父様に直接質問したわけではありませんが、
見当がつく点があります。

お父様の家には、女の兄弟がたくさんいました。
昔は、 女性たちが昼間は畑に出て行って農作業をし、
夜は針仕事をしなければなりませんでした。

針仕事をするには、まず針に糸を通さなければなりません。
それでお父様は、お姉さんたちが小さな灯りの下で
針に糸を通そうと苦労するのをご覧になったのだと思われます。
皆さんも想像がつくでしょう。

あの頃は化学繊維も無く、電気も通っていなかった時ですから、
大家族の家では木綿で作った服やポソン (韓国固有の足袋)など、
夜遅くまで継ぎを当てなけらばならないものが
どれだけ多かったでしょうか?

その時のお姉さんたちが針に糸を通す姿をご覧になり、
その作業が難しいと思われたのでしょう。

明るいところで針を掴んでも糸が針の穴に
うまく入らないものなのに、針が空中にぶら下がって、
揺れているのですから、どうやって糸が針の穴に入るでしょうか?

それで、そのみ旨に従うのが、揺れている針に糸を通すように
難しいからできないと思われたのでしょう。


何はともあれ、イエス様の切実な頼みを受けられたお父様は、
「私はできません。」とお断りした後、
「私の思いどおりに暮しながら人生を生きて行けたら、
誰よりもいい暮らしができるだろう。」と思われたそうです。

ところが、その時にふと、
「人生の果てには究極的に何があるのだろうか?」
「何が残るだろうか?」と言う疑問と共に、
何も残るものが無いだろうと言う思いになったそうです。

「だとしたら私が、イエス様が願われた
この道を行かなければならないのではないか?」
と思われたそうです。

ところが、「ああ、私が恐れ多くも...。
どうしようか?」と思いになり、
急にお父様の目の前に畳々と重なる山々、高い山々が
列を成して現れ、 切り立った高い山々に
登っては下らなければならない、とてつもない
苦痛を受けることになるだろうと感じられたそうです。

お父様の故郷である平安北道定州に行ってみると、
家の前からちょっと離れた所に山と丘があります。
お父様は当時、ご自身の心にある霊感が浮かぶと、
手前の山 (猫頭山)に登られて熱心に祈祷されたそうです。


その時、神様が現れたそうです。

神様はあまりにも可哀想なお姿で現れて、
私の愛する子が地上にはおまえしかいないと言われながら、
イエスが成し得なかったことをあなたが引き受けて
やってくれなければ誰が引き受けるのかと、
切実に説得をされたそうです。

そのような神様のみ声を聞かれると、
神様の悲しい心情と事情が骨の髄まで染みて
押し寄せて来たそうです。

お父様は、「ああ、私がキリスト教を通して
信じていた神様は栄光の神様、聖なる神様、
審判の神様としてしか知らなかったのに、
神様にこうして近くで接してみると、
神様はあまりにも可哀想で、あまりにも
苦しみを受けられる方なのだ。」と感じられたそうです。

そして道を行かれても、可哀想な乞食のおじいさんに会うと、
この方の姿がまさに可哀想な神様の姿なのだ
と感じられては、涙を多く流されたそうです。

それで、「神様、本当にいらっしゃいますか?
神様が本当にいらっしゃるのでしたら、
私は神様の懐の深い所まで
行くことができなければ何もできません。

本当に神様がいらっしゃるのでしたら、
私と一緒に寝転んで、私がいつでも実感できるように、
ただ私のそばに生きておられる神様として
いらしてくださらなければなりません。」と祈られたそうです。


そして、「神様、天の法度は何ですか?」
とお伺いしてみたそうです。
お父様が神様に伺った初めての質問が、「天理法道」でした。

それは何かと言うと、
「宇宙の根本は果たして何であり、
神様と人間の本然の関係は何ですか?」と言う質問なのです。

それで神様の答えが、
「神なる私は人間の父母であり、おまえたち人間は私の子である。
私とおまえたちの関係は父母と子の関係である。」
とおっしゃったそうです。

そして、「全ての関係の中で、
父子の関係ほど根本的な関係は無い。
この父子の関係を通して、全ての関係が成されるのである。

しかし、悲しいのは、私が一度もおまえたち人間の前で
親らしいことができなかったことだ。

私の子を、怨讐が全て奪って行った。
私は今も私の愛する子を探して、泣きながら、
さ迷っている。」とおっしゃったそうです。


お父様は、神様が最高に苦痛の場所、最高に寂しい場所に
いらっしゃると言うことを切々と実感され、
「父母であられる神様の苦痛と根を先ず解いて差し上げなければ、
人間の苦痛と恨は終わることが無いんだ。」と悟られてからは、
遂に「そうですか? それでは私がやってみます!」
と申し上げられたそうです。

神様は、「そうか、おまえがやってくれなければ。
おまえは朝鮮人の苦痛を悲しんでいるが、
この世界には苦しみを受けている民族がいくらでもいる。

おまえがこの世界の全ての民族を救い、
私に返してくれるよう願っている。」と頼まれたそうです。
お父様が神様とイエス様の頼みを受け入れられたのです。


お父様は今まで、いかにして
ひどい苦痛を耐え忍んで来られたのか?
血を吐くような、再び立ち上がることのできないような所でも、
すっと立ち上がられ、み旨の道を行くことができたのか?

お父様は、「人類は今まで、神様が
語ることのできないほどの苦痛を経験しておられる、
可哀想な神様であることを知らずにいる。

私は先ず、神様の苦痛と恨を解いて差し上げなければならない。
私が神様の苦痛と恨を解いて差し上げなければ、
誰が解いて差し上げるのか?

神様の苦痛 と恨を解いて差し上げなければ、
人類の苦痛と恨を解くことはできない。」
と言う事実がわかったからだとおっしゃいました。

人類は今まで、「栄光の神様」としてのみ理解していたのに、
歴史上、初めてお父様が、「可哀想な神様」で
あられることを明らかにされたのです。

史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第1章総序論


真のお父様とイエス様との出会い、
そして、神様との出会い、
私たち、統一食口においては、誰もが知っております。

お父様の原点、というか、この道を歩むにあたって、 
重要な出発点であると思います。

史吉子先生においては、針と糸の話から、
困難な道を出発された真のお父様の
決意と心情を感じさせていただきました。

お父様がこの出発の動機を変えずに、
生涯をかけてみ旨の道を歩まれたように、
私たちも、信仰の出発を不変なものとしながら、
天を証ししていく歩みを成していきたいと思います。



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2022年02月21日

好きなことをすると「心が安定」、さらにみ旨にも貢献?! 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラムの体験談より、
「好きなことをしたら塩の柱に?」

(女性 40代)

私が「自己牧会プログラム」に出合ったのは3年ほど前です。

当時の私は子育てに行き詰まり、それを夫にも
なかなか理解してもらえず、「自己破滅」の状態でした。

その解決のために、「自己中心的な囚(とら)われを脱ぐ」ワークや
「光を投げ放つ」ワークなどに取り組むようになりました。

初めは目立った変化はなかったのですが、
やめるとおかしくなることが分かるので、
自身の「心の安定」のために続けていました。

そのうち、少しずつですが囚われから解放されて、
「自己破滅」のどん底からは抜け出すことができました。

すると今度は、何かしらみ旨に貢献したい
という思いが強くなっていきました。


そこで、「み旨に貢献するために何をしたらいいですか」
と良心に尋ねてみたところ、しきりに
「絵を描きたい」という思いが湧いてきたのです。

私はみ旨に献身的に歩むことを決めた時、
進みたいと思っていた絵の道を天にささげました。
ですから、その絵を再び始める日は来ないだろうと思っていました。

また、「一度ささげたものだから、
もし再び始めたら、塩の柱になってしまうのではないか」
という恐れもあったのです。

それでも、「絵を描きたい」
という思いを抑えることができません。

そこで良心に「塩の柱になりませんか?」と聞くと、
「大丈夫、なりません」という答えを感じたのです。
このように背中を押されて、
私は恐る恐る絵を描くようになりました。


まず、好きなことをやっていると心が安定することを、
改めて発見しました。

また、以前描いていた絵も光の絵が多かったのですが、
「光を投げ放つ」ワークをしながら光の絵を描いていると、
絵とワークが連動して、とても癒やされました。

こうして生活が一変しました。
今では、ほそぼそと描き溜めたもので展示会を開いたり、
公募展に出品して入賞したり、という感じになってきています。

私が喜んでやっている姿を見て、夫も子供も、
「お母さんの絵、好きだな」と言ってくれたり、
それぞれ好みの絵を言い合ったりと、
家族の幸福な会話の一つになっています。

誰しも自分で、「これはだめなんじゃないか」
「これはこうでないといけないのではないか」
とブレーキをかけている部分があると思います。

でも実はそこにも神様の願いがあって、
「やってもいいんだよ」という神様の声を感じるなら、
それに従うと、新しい道が開けることを知りました。

神様は、私が自ら閉じ込めてしまっていた私の本性を、
ワークを通して解放してくださいました。
本当の私に気付かせてくださり、心を安定させてくださって、
私の人生を生きたものにしてくださいました。

これからも、家族や周りを元気にする絵を描きながら、
楽しくみ旨に貢献していきたいと思っています。

(冒頭の絵)筆者が描いた光の絵

私の心の中にいる神様 109
好きなことをしたら塩の柱に?
(blessed lifeより)


いやぁ、なんとも素敵な証しですね。。。
自分の夢というか、やりたいことを実現する、というのは、
本当に素晴らしいことだと思います。

天一国時代になって、
かつては、イサク献祭するようなことを
現実化する時が来ているのだな、と感じました。

私の本心が喜ぶことを
家族も喜び、神様も喜んでいる。。。
本当に最高ですね。

「私も頑張ろう!」
と前向きな気持ちにさせられました。

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posted by ten1ko2 at 09:03 | Comment(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月20日

《鮮鶴平和賞》コロナ・パンデミック収束に貢献の2組が受賞 フンセン首相にも功労賞 

「平和とは漠然とした夢ではなく、具体的な行動」


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創設者特別功労賞を受賞したフン・セン首相に
賞牌を下賜される真のお母様


中和新聞に掲載されていた第5回「鮮鶴平和賞」の記事より
抜粋して紹介します。


グローバル感染症対策の貢献者
に「鮮鶴平和賞」を授与


創設者特別功労賞には
カンボジアのフン・セン首相


  2月12日午前10時、韓国・清平の清心平和ワールドセンター
  (HJグローバルアートセンター)に真のお母様をお迎えして、
  第5回「鮮鶴平和賞授賞式」が行われました。

  全世界と韓国の元・現職首脳をはじめ、政官界、学会、
  財界、言論界、宗教界の指導者が会場に約500人、
  さらにオンラインで多くの人が参加しました。



受賞者に純金メダルと賞牌が贈られる

第1部の平和賞授賞式
司会 申榮日・元KBSアナウンサー

鮮鶴平和賞委員会委員紹介
 ニュート・ギングリッチ元米国下院議長、
 ダン・バートン元米国下院議員、
 トーマス・マクデビット・ワシントンタイムズ財団理事長、
 トーマス・ウォルシュ天宙平和連合〈UPF〉世界議長、
 文姸娥・神韓国UPF議長、
 尹煐鎬・韓半島平和サミット共同実行委員長

歓迎の辞
ジョゼ・マヌエル・バローゾ鮮鶴平和賞委員会委員長
(欧州連合欧州委員会委員長などを歴任)

「今回の鮮鶴平和賞は、グローバル感染症対策を
主題として受賞者を選定しました。
私たちには平和のための健康、そして
健康のための平和が何よりも必要です」

受賞者
英国・オックスフォード大学ジェンナー研究所
ワクチン学教授、サラ・ギルバート博士

全世界にワクチンを公正に分配するシステム
「COVAX(コバックス)ファシリティー」を主導した
「GAVIアライアンス」


受賞挨拶 ギルバート博士

「これまでアストラゼネカ・ワクチンは、
少なくとも170か国で使用され、
25億回分を超える供給がなされました。
今や全人類の60パーセント以上が、
1回以上のワクチン接種を完了しました。

今後は公平なワクチン供給のために
全世界のワクチン製造施設の数を増やしたうえで、
疾病を管理し、診断する先端技術も
たゆまず開発しなければなりません。

政府と国際機関が協力しながら、
人類の共通の敵である病原性微生物に対する
防御力を強化していくべきです」


受賞挨拶 「GAVIアライアンス」
セス・フランクリン・バークレー最高経営者

「コロナパンデミックは多くの人の生命を奪い去り、
多大な経済的被害をもたらしました。
多くの国が自国民に必要な量以上のワクチンを買い占める状況もありました。

経済的な被害とパンデミックを終わらせるために、
私たちは協力しなければなりません。

鮮鶴平和賞の精神であるパートナーシップと
利他主義の精神を考慮すべきであり、
この精神は2000年以降、私たちの団体が追求してきた精神とも相通じます」


■フン・セン首相が自叙伝をお母様に奉呈

第2部の創設者特別功労賞授賞式
受賞挨拶 フン・セン首相

「私は一生を捧げてカンボジアの平和のために努力しました。
その過程で多くの苦難に耐え、生命の危機を甘受せざるをえませんでした」

「平和がなければ、希望も発展も民主主義に対する尊重もありません。
それゆえ私は、文鮮明・韓鶴子総裁ご夫妻の
『平和とは漠然とした夢ではなく、具体的な行動である』
という信念に同意します」

天一国10年天暦1月12日(2022年陽暦2月12日)
韓国・清心平和ワールドセンター
https://www.kogensha.jp/news/detail.php?id=9546
文章を箇条書きに要約するなど、
大幅に割愛し、抜粋して紹介しました
文責:ten1ko2


鮮鶴平和賞の受賞者は、コロナパンデミックに関連した
二人の人物に与えられました。
今の時を表す、キーパーソンに与えられたと思います。

そして、今回、創設者特別功労賞を授与されたフンセン首相は、
鮮鶴平和賞をはじめ、開会式から、閉会式まで、
ほとんどの行事に参加していました。

フンセン首相は、平和サミットの式典に対して、
アメリカや韓国主導の大会ということもあり、
ロシアなどから参加しないように忠告を受けていたそうですが、
彼は、全く意に介さず、参加しました。

彼のFacebookにも、今回の平和サミットの記事が
数多く、堂々と掲載されています。

フンセン首相の言葉にもあるように、
カンボジアは内戦があったり、多くの苦難があり、
彼も様々な体験をされました。

ウィキペディアにありましたが、
彼は若いころ、銃弾を受けて左目を失明しているんですね。

そんなこともあり、「平和」に対しては、
熱烈な願いがあって、お母様のビジョンに相対して、
見事に共同委員長として、今回の平和サミットで、
重責を全うされました。

北朝鮮と国交のある、稀なる国カンボジア。
フンセン首相の活躍が期待されるところです。





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※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
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posted by ten1ko2 at 09:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする