2022年02月19日

メシヤは私の釣りの師匠 〜ハドソン川の思い出〜 《小山田先生自叙伝》



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小山田先生の自叙伝より、
アメリカのハドソン川で、真のお父様から
釣りを教わったエピソードです。

アメリカのハドソン川で釣りを学ぶ

(一部割愛)
最初の一九七四年に戻ります。

当初、真の父母様は、ニューヨーク郊外の
テリータウンにお住まいになりましたが、
そこからさらに二時間の、統一神学校(UTS)のある
ベリータウンに行かれるようになりました。

真の父母様がベリータウンを選ばれた理由は、
すぐ近くにハドソン川や湖があったからです。

統一神学校の学生たちに水産業やボートに関する
教育と訓練を行える、格好の場所です。

ハドソン川には、たくさんの魚が棲息しています。
お父様は、礼拝を終えると必ずベリータウンに行かれたのです。

ベリータウンでお父様は私に、
「おまえは釣りをしたことがあるか?」とお尋ねになりました。

「あまりないです」とお答えする私に、
お父様は最初に魚の餌となる
ミミズの探し方を教えてくださいました。

次に魚がいそうな場所を探します。
そして「勘を働かせよ」とおっしゃいました。

ハドソン川は広いばかりでなく、
潜水艦が通れるくらい深い所もあります。
川の表面を見ると、下流に向かって
ただ流れているようですが、
中央付近では逆流している所もあるのです。

そして川には、水草が生えている場所があります。
その周辺に水が留まる所があり、そこに魚がいるのです。
川の流れから魚の居場所を見抜くことを教わりました。


お父様御自身が実践されたうえで指導してくださる

次に、お父様から釣り具の使い方を教えていただきました。
特にリールの扱い方です。

魚のいそうな場所に仕掛けを投入するのですが、
投げたあとは竿先に集中しなければなりません。

竿先がかすかに揺れるのですが、魚が食っているのか、
波のせいなのか、風のせいか、それを「見抜きなさい」というのです。

魚が食いついていれば、それが魚信(あたり)です。
それがあったときに竿を強く引くと針に掛かり、
釣り上げることができるのです。

このように釣り方の基本を学びました。


ハドソン川は大きな湖ともつながっており、
潮の満ち引きのような動きがあります。
水が川から湖に流れたり、
逆に湖から川に流れ込んだりするので、
その流れに合わせて魚も動くのです。

橋が架かっていると、橋桁の影になる所に魚がいます。
小さな滝があって魚の餌となる物が集まる所にも魚がいます。

お父様は、一つ一つ実験するかのように
魚のいる場所を探されるのです。

橋桁で釣りをしたことがあります。
お父様は、数百回、仕掛けを投げて魚を釣り上げてから、
私たちにも「やってみなさい」とおっしゃるのです。

まずお父様ご自身が実践され、
成功を確認されたうえで、
私たちにもやるように言ってくださるのです。

それがお父様のやり方です。

小山田秀生 自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」より
第十章 人類の食糧問題を解決する海洋摂理
「アメリカのハドソン川で釣りを学ぶ」


釣りの名人であられる真のお父様。
イエス様は釣りをされなかったかも知れませんが、
12弟子の何人かは漁師でありました。

初期キリスト教のころ、迫害が多かった時、
お互いがクリスチャンであることを示すために、
魚のマークを合言葉にしていたといいます。

もともと魚と縁があったのも、
意味のあることだったのかな、
そんなことを思わされました。

小山田先生の釣りの師匠でもあったお父様。
やはり、自らが実践をされた土台で指導をされるのは、
信仰指導に通じているのだと思います。




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2022年02月18日

惨めなことがあっても、朝起きるときは、必ず笑顔で起きるのです! 《篠ア先生》



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篠ア先生の「喜びと幸せの生活伝道〜み言の原点に立ち返る」より
今回は、『真のお父様がされた生活指導』

すぐに実践してみたくなる
貴重なお父様のみ言が紹介されています。


真のお父様は、次のように
具体的に生活指導をしてくださっています。

「毎日の生活できのうはいくら気持ちの悪いことが
 あっても、惨めなことがあっても、次の朝起きる時は、
 必ず笑いながら起きるのです。

 これは宗教生活には欠かせない行為です。
 それが習慣になれば、
 自然といい顔立ちになってきます。
 ……鏡を見ながら訓練するのです」


「一日三回、朝と昼と夕の食事の時に笑って、
 朝起きる時も笑う、そのような生活が習慣になれば、
 その人の顔を見れば自然と深い考え、
 喜びあふれる印象が残るようになります。

 寝る時もそうです。
 その日にどんなつらいことがあっても、
 寝る時には笑いながら、神様いい夢を見せてください、
 と望みつつ床に就くと必ず夢を見せてくれます。

 次の日になすべきことを夢の中で教えてくれるのです。
 そういう喜びの生活をしていけば、
 神様は喜ぶ人を喜ぶし、万物を喜ぶ人を喜ぶので、
 その人は必ず良い方向に向かっていきます。
 それが原理の観点です」


「今からでも始めましょう。
 朝起きて笑う。
 花が咲き、香りを吹きかけるようにしながら。

 家庭でもお父さん、お母さんであれば、
 子供たちにとって、それは教育に一番いいことです。

 仕事で人に会う時もそうです。
 いい印象を与えるのです。

 伝道しているのに、渋い顔をしていてはできませんよ。
 何か内心から素晴らしいことがあふれるような
 円満な顔をして、今に希望をもって、
 未来に希望をもって伝道するのです」


「自分の中に逆らうものがあれば、
 それはサタンの好む要素だ。
 サタンの餌よ、さようなら。
 そういう生活をしましょう。

 ……きょうは頑張ったけど、少し様子がおかしくて、
 基準が下がったとしたなら、
 あすは一歩でも上げるようにするのです。

 毎日の生活の中で自分の心情の安定基準を
 平均化させないと、それが少しでも傾いた場合には、
 全体に影響してしまいます。

 しかしその傾いたり下がったりした基準を
 自分ながら整備し、反省し、
 あすのために祈るようにして
 マイナスを迎えていったならば、発展していくのです」


(以上、『伝道ハンドブック 第一集 みことば篇』19〜21ページ)

篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第五章 み言に学ぶ伝道の秘訣
四、訓読生活と霊界動員
真のお父様がされた生活指導
(blessed lifeより)


今回は、お父様のみ言のみですね。
お父様ご自身が生活で実践された内容を
私たちに指導してくださっています。

まさに「生活伝道」ですね。
真の父母様のみ言は、とてもポジティブです。

まずは、笑顔の生活。
朝起きて、悪い時も心掛けていく、ということ。
実践していきたいと思います。






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posted by ten1ko2 at 10:02 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月17日

神を信じる良い人が、格段によい霊界に行く?! 宗教によっても違う 《李相軒先生》



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李相軒先生の『霊界の実相と地上生活』より
今回は、「霊界で見た地上生活」後半です。


宗教人と非宗教人の差

信仰をした人と、しなかった人の差は非常に大きいです。
そこにも相当な階層があります。

信仰をしていて、かつ善なる人は、
本当に神様の霊界の恵沢を受けることができますが、
信仰をしながら良心的でない人は、
信仰をしなかった人と、ほとんど同じです。

神様を知らない立場で、人生を生きた人はみな、
神様と関係ない所にとどまるようになります。


神様が特恵を施すときにも、非宗教人は、
恵沢が与えられるのが遅いのです。

天国にも特恵があるのかと思うでしょう。

神様が人間に神霊によって特恵を与えられ、
人間を愛されるように、天国にも特恵があります。

階層別に、自分の位置で自由の身となって、
願う所へ移っていくときがあります。

これは地上人の祈祷とも関係があります。
その時は、神様の命令によって移動するのです。


食口(シック)たちの位置は、他の宗教人たちとどのように違うか

一言で言って、あまりにも大きな違いがあります。
すなわち、霊界圏が違うのです。

食口たちの各自の人生により、少しずつ違いはありますが、
全体としての霊界圏の位置が違うのです。

大きな違いというのは、神様に対しての位置のことです。

神様の対話を感じることも、聞くこともできない
他の宗教人たちの領域があります。

しかし、統一食口たちは、最初から大部分が
神様と呼吸することができる位置にいます。


ここでもいくつかの階層があります。
グループによる差があるのです。

申し訳ないことですが、李相軒が見た霊界を明らかにすることで、
我々食口が地上の人生を整理できるだけでなく、
ここに正しく来る助けになるようなので、申し上げます。
それが真の父母様のための道だと考えるからです。

36家庭の位置は大変なものです。
家庭の階級においては最高です。

しかしながら、最高の位置において
赤裸々に自分の誤りをすべてあらわにして
生きていく苦しみは、本当に表現しがたいものです。

地上にいる時、女性問題、公金問題、そのほかの
問題に引っ掛かった家庭は、地獄にいるのではなく、
神様のそばにいながら、あらわになった姿で
生きていかなくてはなりません。

それは言葉で言えない苦しみです。


例えば、他の女性と性関係を持っている場面が随時、
皆の目に見えるのです。

また、公金を自分勝手に使いながら、酒場に行って、
女と堕落しながらお金をばらまく姿が
はっきりと見えるのです。

一言で、地獄よりもっと恐ろしい所です。

そのほかの家庭が犯した罪も、
罪の質によって階層がたくさんあります。
しかし、大部分は、神様の近くにある霊界圏にいます。

罪を犯した者たちが、集まっている監獄もあります。
ここで罪人が集まって、自分の罪を蕩減(とうげん)する
方法があれば、どれほどいいでしょうか?
しかし、ここでは、自ら解決しうる罪の蕩減方法はないのです。


神様の特恵

霊界人は、地上にいる後孫の祈祷、献金、奉仕などの
功績を通じて、監獄の門が開かれれば、
そこから出てくるようになります。

その後、引導者が現れて、自分の位置に合うように導くのです。

高位の家庭が、神様のそばで自分の罪を
すべて蕩減して平安に生きていくときはいつでしょうか?
自分が犯した罪を、後孫が蕩減してからのことです。

後孫が祈祷して精誠を捧げれば、それを見る霊界人は、
苦しくて逃げようとします。
ところが、逃げていってもまた
帰って来なければならない所が、自分の位置です。

地上人の祈祷と精誠があれば、蕩減期間が短くなりますが、
大部分はそれを知らないために、
苦しみを受ける期間が長いのです。

霊界で苦しみの期間が長ければ、地上の後孫は、
知らず知らずのうちに、体の調子が悪くなります。

先祖が苦しんでいるので、後孫も具合が悪くなるのです。
つまり、先祖が犯した罪のために、後孫が罰を受けるのです。

天道に逆らえば、行く道がありません。
義の道に従っていくべきです。

(1997年6月9日)

(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第二章 霊界で見た暮らしと地上生活
四 霊界で見た地上生活

(blessed life)(7)より
霊界で見た地上生活


私たちの人生は、必ず、蕩減法則が適用されます。
地上でどんな人生を送るか、
それが霊界の位置を決定するのです。

口ではどんなに良いことを言ったとしても、
罪を犯して、人に見つからなかったとしても、
霊界では隠すことができないのです。

そして、霊界でその罪を消すためには、
地上で後孫が清算しなければならないのです。

私たちも、いずれは霊界に行きます。
すなわち、「先祖」になるのです。

後孫に迷惑をかける「先祖」にならないよう、
正しい人生を送らなければ、と思うのです。


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「霊界の実相と地上生活【霊界の様相編】」
 36家庭の李相軒先生(1914〜1997)が
 霊界のさまざまな事実を証しされたメッセージ
(blessed lifeで連載中)


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posted by ten1ko2 at 09:26 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする