小山田先生の自叙伝より、
アメリカのハドソン川で、真のお父様から
釣りを教わったエピソードです。
☆
アメリカのハドソン川で釣りを学ぶ
(一部割愛)
最初の一九七四年に戻ります。
当初、真の父母様は、ニューヨーク郊外の
テリータウンにお住まいになりましたが、
そこからさらに二時間の、統一神学校(UTS)のある
ベリータウンに行かれるようになりました。
真の父母様がベリータウンを選ばれた理由は、
すぐ近くにハドソン川や湖があったからです。
統一神学校の学生たちに水産業やボートに関する
教育と訓練を行える、格好の場所です。
ハドソン川には、たくさんの魚が棲息しています。
お父様は、礼拝を終えると必ずベリータウンに行かれたのです。
ベリータウンでお父様は私に、
「おまえは釣りをしたことがあるか?」とお尋ねになりました。
「あまりないです」とお答えする私に、
お父様は最初に魚の餌となる
ミミズの探し方を教えてくださいました。
次に魚がいそうな場所を探します。
そして「勘を働かせよ」とおっしゃいました。
ハドソン川は広いばかりでなく、
潜水艦が通れるくらい深い所もあります。
川の表面を見ると、下流に向かって
ただ流れているようですが、
中央付近では逆流している所もあるのです。
そして川には、水草が生えている場所があります。
その周辺に水が留まる所があり、そこに魚がいるのです。
川の流れから魚の居場所を見抜くことを教わりました。
☆
お父様御自身が実践されたうえで指導してくださる
次に、お父様から釣り具の使い方を教えていただきました。
特にリールの扱い方です。
魚のいそうな場所に仕掛けを投入するのですが、
投げたあとは竿先に集中しなければなりません。
竿先がかすかに揺れるのですが、魚が食っているのか、
波のせいなのか、風のせいか、それを「見抜きなさい」というのです。
魚が食いついていれば、それが魚信(あたり)です。
それがあったときに竿を強く引くと針に掛かり、
釣り上げることができるのです。
このように釣り方の基本を学びました。
☆
ハドソン川は大きな湖ともつながっており、
潮の満ち引きのような動きがあります。
水が川から湖に流れたり、
逆に湖から川に流れ込んだりするので、
その流れに合わせて魚も動くのです。
橋が架かっていると、橋桁の影になる所に魚がいます。
小さな滝があって魚の餌となる物が集まる所にも魚がいます。
お父様は、一つ一つ実験するかのように
魚のいる場所を探されるのです。
橋桁で釣りをしたことがあります。
お父様は、数百回、仕掛けを投げて魚を釣り上げてから、
私たちにも「やってみなさい」とおっしゃるのです。
まずお父様ご自身が実践され、
成功を確認されたうえで、
私たちにもやるように言ってくださるのです。
それがお父様のやり方です。
小山田秀生 自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」より
第十章 人類の食糧問題を解決する海洋摂理
「アメリカのハドソン川で釣りを学ぶ」
「真の父母様の御跡を慕って」より
第十章 人類の食糧問題を解決する海洋摂理
「アメリカのハドソン川で釣りを学ぶ」
☆
釣りの名人であられる真のお父様。
イエス様は釣りをされなかったかも知れませんが、
12弟子の何人かは漁師でありました。
初期キリスト教のころ、迫害が多かった時、
お互いがクリスチャンであることを示すために、
魚のマークを合言葉にしていたといいます。
もともと魚と縁があったのも、
意味のあることだったのかな、
そんなことを思わされました。
小山田先生の釣りの師匠でもあったお父様。
やはり、自らが実践をされた土台で指導をされるのは、
信仰指導に通じているのだと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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