2022年02月13日

何も語らない、獄中の処世術 監房長が最初の弟子に! 《金元弼先生》



220213.jpg


金元弼先生のみ言。
今回は、「牢屋で最初の弟子を得る」です。

裁判の後、興南に行くまでの1ヵ月半を
過ごされた平壌刑務所でのエピソードです。
(1948年4月7日〜5月)


牢屋の中には柵があります。
あるものは鉄格子のような柵です。
そこから全部見えるようになっています。

少し空気が入るようになっているのです。
ここから物を入れます。

この片方にトイレがあります。
トイレといっても、おけのようなものが置かれていて、
この上に座って用を足すのです。
ですから人のいる中でしなければなりません。
見える中で……。
においも全部出ます。
もし、下痢でもしたら大変です。

入り口だけは格子ですから、
空気の流通は非常に良かったのです。

その部屋に最初に入って長くいる者は班長になるわけです。
そして風通しのいい所に座るのです。
最後に入った者は、トイレのすぐ隣に座らなければなりません。

死刑囚は長い日々をかけて判決が下されます。
牢屋の中で、金さんは一番長くおりましたから、
班長になっていました。

寝るとき、下は床だけで何もありません。
そして寝るのも、そのままで、毛布一枚を下にして寝るのでした。
また一日中寝ているのではないのですから、
朝の一定の時間に起こし、夜も一定の時間に寝かせるのです。

昼間は横になることもできません。
正座の形できちんと座っていなければならないのです。
足も長く伸ばすことができません。

最初に入った者は、いい所に座るのです。
そしてこの人が出てしまったら、その位置を代わるのです。

牢屋の経験のない人は、入ったら
どのようにしたらいいのか全然分かりません。

しかし、先生は学生の時から幾度も牢屋に入った
経験がありますので、入るや否やあいさつをして、
自らトイレの近くに座られました。


一九五五年に先生が牢屋に入られた(七・四事件)ときは、
私も一緒に牢屋に入りました。

同じ部屋ではないのですが、その経験によって、
先生はどれほど牢屋の生活に慣れておられるか
ということをつくづくと知ることができました。

 
社会ではいくら教授であっても、高官であっても、
いったん牢屋に入れば泥棒と全く同じです。

先に入った者が親方になっていて、長官であっても、
大臣をした人でも、後からそこに入ったら
丁寧にあいさつしなければいけません。

「私は大臣をしたから、牢屋の中でも自分は大臣だ」
と言ったら、みんなから殴られて生き残れません。
皆さんはそういうことが分からないですね。

牢屋には牢屋の規則があるのです。
ですから、意地の悪い者たちは、「這いなさい」
と言ったり、いろんなことをさせます。

布団なんかをかぶせて殴ります。
誰が殴ったか分からないのです。


先生はそういう経験をよくされました。
それであいさつをして、すぐ全く同じ生活に入りました。

ところが、先生を待っていた青年は
班長ですから風通しのいいところにいるのです。

その青年は、先生が入ってくるのを見ると、
我知らず心が引かれていったというのです。
そこで彼は規則を破って、先生を自分の隣に呼んだのでした。

先生は共産主義の社会の様子をよく御存じなので、
牢屋の中では絶対に何も語りませんでした。
共産党の牢屋にはたくさんの思想犯が入っていました。

共産党は秘密党員を思想犯や政治犯のようにして、
その中に入れます。
そして、思想犯や政治犯のように気軽に話をするので、
味方だと思ってつい話をしてしまいます。
そうしますと、その人の秘密を知られてしまうのです。

 
三日目に彼は先生に、「私たちに
お話をしていただけませんか」と願ったそうです。

そこで先生はこの人たちに、今まで先生がみ旨のために、
人類のために歩んでこられたその路程を
ロレンスという人の名に例えてお話しされました。

その話が終わってから、先生はこの青年に向かって、
「あなたは誰にも言えない自分だけの悩みをもっていないか」
とおっしゃり、おじいさんが現れた時の話を
暗にその青年にお聞きになったのです。

先生はこの青年に意味があるということが分かっておられたのでした。
彼は先生のみ言を聞く中で、おじいさんが現れて教えてくれたのは
この方であるということに気が付いていました。

それでその青年は驚いて、今までの出来事を
先生に詳しく話したのでした。

彼は深く感激し、先生の弟子となることを誓いました。
そして牢屋の中の最初のお弟子になったのです。


このように先生が神のみ意、神のみ旨を成就せんとして
心情を尽くし、誠を尽くして行く道で、
たとえどういう困難が襲ってきても、
神は愛する子のために、神だけが知っている
準備をされるということをお話ししたいのです。

だから皆様も、神に愛されるようなみ旨を携えて行く道に、
どういう難しいことがあろうとも、
つらいことが襲ってこようとも
心配しなくてもいいというのです。

先生は牢屋に入られる時、全く心配なさらなかったのです。

I 平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「牢屋で最初の弟子を得る」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


お父様の監獄での歩み。
どんな環境にあっても神様と共に歩まれる、
強い信念の塊であることを感じました。

どんなに難しくてもつらいことがあっても、
心配しなくてもいい、
神様は私を愛して下さっている、
そのことを実感していれば、
心配する必要がない、ということを
私たちに教えてくださっています。
本当に励まされます。

今日は、韓半島平和サミットの集大成、
100万人希望前進大会です。
大会の勝利を祈っていきたいと思います。





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posted by ten1ko2 at 08:57 | Comment(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月12日

40日の最後の最後に・・・「名古屋のサタンの首落ちたり」 《松本ママ奮戦記》



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1961年9月名古屋教会設立(右が金ばあさん)


松本ママの「信仰は火と燃えて」から
今回は、『名古屋のサタンの首落ちたり』です。


講義の約束ができた喜びをさっそく金ばあさんに報告すると、
金ばあさんも一緒に喜んでくれました、

40日の最後に与えられた大切なチャンスにどんな講義をするか、
集まる人たちのことを考えながら、夜もすがら祈り考えました。

私は、クリスチャンにはぜひ救世原理を語りたいと思いました。

そこで、そう心に念じながら
「天のお父様、あす3人のクリスチャンに救世原理を語ります。
イエス様の十字架問題とその悲しい心情を訴えたいと思いますから、
どうぞ私の唇を聖(きよ)めて、
あなた自ら語ってください」と必死で祈ったのです。

一晩中、あまりにも真剣に祈ったので、
翌朝には唇が乾ききって皮がむけ、血がにじみ出ていました。

黒板をさげてバスに乗り、春堂さんの家に着くと、
約束どおり3人の婦人が待っていました。

待ちに待ったこの日、私は「天のお父様、よろしく頼みます」
と祈りながら、細心の注意を払って真剣に救世原理を語りました。


イエス様のゲッセマネの心情を訴え、
そしてイエス様を遣わしてこの地上に神の国をつくろうと
4000年間待ち続けてこられた神様の歴史的心情を訴えました。

そして最後に「十字架にかかりしイエスを見よや」
という聖歌を涙ながらに歌うと、
聴いている3人の婦人も共に泣き、私の話に共鳴してくれたのです。

私は、彼女たちが感動してくれたことがうれしくて、
この喜びをどう表現していいか分からず、
お手洗いで涙をぽろぽろ流しながら、
天に感謝の祈りをささげました。

次は、人間の原罪は何かという罪の問題を扱った
堕落論の講義をしました。
ここで彼らの心の中に、はっきりとした
問題意識をもたせなければと思ったのです。


ところが、講義が終わりに近づいたころ、
不思議な女が来て不思議な話をしているといううわさを聞いて、
竹内みつゑさんという婦人が、
3人の赤ちゃん(子供?)を連れてやって来ました。

この婦人はとても熱心なクリスチャンで、
途中からでしたがそばへ来て、じっと話を聴いているのです。

そして、最後に締めくくりとして、人間の罪の根、
原罪は淫行(いんこう)にあると結論づけると、
彼女はかみつきそうな顔をして怒り出しました。

「どこの聖書に、原罪が淫行だと書いてあるんですか。
私はクリスチャンとして10年間信仰を守ってきましたが、
淫行のことなど思ったことがありません。
とんでもない話です。あなたは異端です」
と、私にくってかかるのです。

せっかく苦労してここまで講義が進んできたのに、
あとから来て水を差すものですから、
私は「ああなんということだ」と、
失望のどん底に落ちてしまいました。

そして、怒るまいと思ってはいたのですが、
ここでかき回されてはたまらないと思うとつい、むっとして、
「あなたは途中から入ってきたのではありませんか、
初めから聴かないで、これは間違っていると
結論を出すことはできないでしょう」と言い返してしまいました。

そうなると、竹内さんも私に劣らず勝ち気な人ですから、
その場で激しい口論が始まりました。

そして、「このままではがまんできません。
このまま退くことはできません。
初めから聴かなければ分からないというなら、
初めから聴こうではありませんか」と言い出したのです。


けれども春堂さんは、自分は約束どおり聴いたので、
もう自分の家ではやらないでほしいと言います。
そこで竹内さんの友達の家に行くことにしました。

私は口論しながら、この人は最初から聴けば
きっと分かると思ったので、黙ってついていきました。

着いた所は、大野幸子さんという人の家で、
そこで翌日の講義の約束をしました。

あすは最初の創造原理からやろう。
私は講義の約束がとれたのがうれしくて、
興奮して金ばあさんの家に帰って行きました。

翌日、大野さんの家に行くと、8人くらいの人が集まっていました。

竹内さんはきのうの話に憤慨し
「とんでもないことを言う人が来ました。
皆さん話を聴いてみましょう」と、
仲間のクリスチャンに呼びかけ集めていたのです。


私はドキドキしながら、ただひたすら
天のお父様にお願いして
「どうか最後まで聴いてくれますように」
と祈って講義を始めました。

神様を実証的に証(あかし)し、
本来の神様と人間との関係を解く創造原理から始めて、
クリスチャンが最も関心をもっている復活論まで、
私は機関銃のように一気に語りました。

舌が腫(は)れてよく回らなくなっても、
跳んだり歩いたり、体中で表現しながら、
涙を流し、汗を流しながら語り続けました。

聴く人たちも、御飯を食べずに聴いていました。
彼女たちにしても、講義の内容にびっくり仰天して、
食べることも忘れるほどだったのです。

そして、夜には人が13人に増え、
気がついたら夜中の1時でした。


そこで、いったん講義をやめて寝ることにしました。
その時には、もう貧血で倒れそうでした。

意識ははっきりしているのですが、ふらふらするのです。
それでも、興奮しているため全く眠くないという状態でした。

その日はちょうど、開拓を始めて40日目でした。
あと1日か2日したら、もう東京に帰らなければなりません。
そこで、最後に終末論だけは話しておきたいと思いました。

終末には、天変地異が起こり、日と月が
光を失って星が天から落ちると聖書には書いてあります。

クリスチャンたちは、イエス様が、
雲に乗って再臨される時だと信じてきました。
その終末について、聖書に書かれている内容が
何を意味するものなのか、
この婦人たちに伝えたいと思ったのでした。

「もし再臨の主が雲に乗ってアメリカに来られたとしたら、
日本では見えません。
また、東京に現れたとしても、名古屋では見えないでしょう。
せっかく待ってきたのに会えなかったら、
これほど残念なことはないでしょう。

主が雲に乗ってどこへ来られるのか。
星が落ちるとはどういうことなのか。
聖書の中の神様の言葉が何を意味しているのか知りたくありませんか。
私はもう東京へ帰らねばなりません。
どうか最後にこの終末論だけ聴いてください」

と必死で頼むと、彼女たちも終末論には関心がありますから、
ぜひ聴かせてほしいということでした。

 
翌日、今度はそこにいた13人の中の一人、
松本静永さんの家で講義をすることになったのです。

「終末には太陽と月が光を失い、天変地異が起こる
といわれていますが、これは宇宙が滅びるという意味ではありません。

神様がつくったもので人間以外は何一つ堕落していません。
それなのにどうして全知全能の神様が、
創造本然の神様の願いのままの姿をしている
森羅万象を滅ぼすことがあるでしょうか。

そんなことをしたら失敗の神様になってしまいます。
『世は去り、世は来たる。
しかし地は永遠に変らない』
と聖書にはあるではありませんか。

終末は歴史的に見ると善悪の交差点に当たります。
現代はまさにその終末の時で、科学文明も進み、
民主主義が発達し、主の再臨の準備はととのっています。

あとは再臨主を迎え、善の実体であるその方を中心として、
悪を滅ぼし、天国の建設が始まるのです」

 
今までとは全く違う観点から、希望に満ちた終末の話を聴き、
彼女たちは泣いて喜んで、「ハレルヤ、ホザナ」
と口々に叫びながら、私の周りに集まってきました。

そして、「松本先生、どうぞ行かないで
私たちを指導してください」と言って私を引き止め、
その中の小牧さんというおばあさんは、
まだ開業していない幼稚園を教会として献納してくださいました。

そのうえ金ばあさんが来て、
娘さんからもらったといって
5万円という大金を献金してくれたのです。

40日間、さんざん殴られ、けられて、
食べるものも食べず、汗と涙で訴え続け、
七転び八起きという言葉のごとく、10回転んでも
11回転んでも、最後には立ち上がって、忍耐してきた
その実りとして、42日目にして、13人の女性が神様の前に目覚め、
立派な教会が与えられ、献金まで与えられて、
名古屋に初めての統一教会ができたのでした。

信仰と努力と忍耐が一番問題だと言われた
西川先生の言葉を守り、30億人類があなたを裏切っても、
私は絶対に裏切りませんと、殉教の精神をもって
神様に固く約束した言葉を胸にきざんで、
バカにされても水をかけられても、血を流すことがあっても、
一分一秒も休みなく、涙で祈り、汗を流して
名古屋中の人々に語りかけてきた日々でした。

そのド根性を見て、神様は最後に、予定した人、
13人に一遍に会わせてくださったのです。


この日、私はさっそく西川先生に電報を打ちました。

「ナコヤ(名古屋)ノサタンノクビオチタリ」

すると電報局の人が驚いて、
「首が落ちたって、この電文間違っているのではありませんか」
と言うのです。

私は「間違いありません、そのままで
打ってください」と言って打ってもらいました。


西川先生は、大阪にいたのですぐ来てくださいました。
もう畳二枚のトタン小屋ではありません。

守山の森の中の大きな幼稚園に、
「名古屋統一教会」と看板を掲げ、
中には13人の神の娘たちがいるのです。

ちょうど9月で、西川先生が着いた時すごい嵐になりました。
ピカッ、ゴロゴロッという雷とザァーッという
雨の音を聞きながら、その夜はぐっすり眠りました。

嵐の中の三日間、私は思いきり寝ました。
汚いどんぶりでしたが、小牧さんが
冷や麦を愛を込めて作ってくれたので、愛を込めて食べました。
その冷や麦のおいしかったこと。

嵐がやんでから、皆で草を抜き、ガラスをふいて
大掃除を済ませてから、西川先生の説教を聴きました。

その説教で、13人の婦人たちは
涙で顔がくしゃくしゃになるほど泣きながら、
神様のために働こうと固い決意をしたのでした。

松本 道子・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
「名古屋のサタンの首落ちたり」
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=13327
(blessed lifeより)


松本ママ、本当におめでとうございます!
40日の開拓伝道、見事に勝利されました。

何度読んでも、涙なくして、読むことのできない、
感動の路程ですね。

松本ママの歩みは、多くの食口の心に
刻まれていることでしょう。

このような熱い思いでみんな歩むことができたら、
さらにさらに発展するに違いありません。

ある知人がこんなことを問いかけてきました。
「松本ママは霊界で何をされているでしょうね」

おそらく、最前線におられ、
お母様の手助けをされているでしょう。

もしかしたら、「今のままじゃだめだ。
もっとみ言を伝えなさい!」と、
私たちを𠮟咤激励してくださっているかもしれません。

私自身も刺激を受けた以上、
何か行動に移さなければと思うのです。




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2022年02月11日

「お父さんのことはすまなかった」 恨みの霊が謝罪?! 《北谷先生 死んだらわかるが…》



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北谷先生の「死んだらわかるけど、それでは遅い」より
今回は、『四十四年ぶりに謝罪した恨霊』です。


私の家族は、一年に二回、正月とお盆に、
本山である岡山の木山神社にお参りに行くのが習慣でした。

姉と私が家庭連合で献身的に歩むようになってからも、
母と兄夫婦は、変わらずにお参りを続けていました。

一九九一年に父が六十三歳で亡くなりました。
その十三回忌を迎える二〇〇三年の正月、
いつものように母と兄夫婦で岡山にお参りに行ったのですが、
帰ってきた直後、兄に異変が起きました。

普通ならどうということもない、
母と兄嫁のたわいない会話に異常に反応し、
激しく怒り出してしまったのです。

それは、霊界に操られた結果でした。
その操っている霊人は、北谷家の先祖によって被害を受け、
その報復として父を交通事故に遭わせた恨霊(恨みを抱えた霊)でした。

その恨霊は、母が人助けをしながら善の条件を立てることによって
善霊が働いて、それまで木山神社に封じ込められていました。

そこで説得を受け、修行を積んでいた恨霊は、
悪なる業ができないでいたのです。

地上でも、罪を犯した人を刑務所に入れて
更正するよう教育しますが、それと同じです。

父の事故は一九五九年ですから、もうその年で四十四年になります。
その恨霊は、父を交通事故で一思いに殺したかったと思うのですが、
父は一命を取り留め、その後三十数年を生きました。

それを見てきた恨霊は、謝るために、
母と兄夫婦が岡山にお参りに行った際に
兄に付いてきたのだと思われます。

その恨霊は、兄をガーッと怒らせた後、母に入りました。

そして母を通して、
「今やった(兄を怒らせた)のは私だ。
人間は簡単に操れる」と言いました。

その後、父の事故について、
「やり過ぎた。すまなかった」と謝罪しました。

そこで兄が恨霊に、
「今、霊界がどのようになっているか知っていますか?
すべての霊界が清平で、神様を中心として
再出発する時が来ているのですよ」と伝え、
「清平に連れて行ってあげますよ」と言いました。

すると恨霊は喜んで、
「連れて行ってください」 と答えたのです。

人間は堕落以来、サタン、悪霊に支配され続けてきました。
悪霊は、夫婦げんかや親子げんかを起こさせ、
近所とのトラブルを引き起こし、
人間関係をことごとく壊してきます。

かっとなるのは、悪霊に操られているからです。
自分で思いもしないような暴言を吐いたり、
暴力的な行動に出たりするのは、悪霊のなせる業なのです。

自分の心をいかに主管するか、
霊に操られない自分になるにはどうしたらよいか――。

それは人間の力だけでは難しいでしょう。

私の心に神様をお迎えし、
神様と共にある生活をすることによって、
初めて可能になるのです。

光言社刊 北谷真雄著
「死んだらわかるけど、それでは遅い」より




「お兄さんに悪霊が入った」というのは、
原理講論にある、「悪霊人たちの再臨復活」
の具体的な例だと思います。

ちょっとユニークだな、と思ったのが、
その悪霊が「『やり過ぎた。すまなかった』
と謝罪しました。」というところです。

悪霊も良心の呵責がある、ということだし、
地上の結果をすべてコントロールすることは、
できないのだな、と感じました。

私たちが感情的になり、
突然、言葉が暴力的になったり、
実際に暴力をふるったり、
それは、もちろん「私」がしているのですが、
悪霊も働いている、ということなのです。

またお兄さんに入った悪霊は、
北谷家に恨みを持っていた霊です。

そう考えると、私たちの先祖に対しても、
恨みを持っている霊も全くいないということは、
おそらくあり得ないのではないか、と思います。

地上と霊界は直結しているのであり、
霊界の解放なくしては、
正しい地上生活を送ることはできないのだ。。。
そのことを改めて感じます。





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posted by ten1ko2 at 07:22 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする