北谷先生の「死んだらわかるけど、それでは遅い」より
今回は、『出雲の神々と共に清平修錬会に』
アンビリーバボー(!)なエピソードですが、
すべて事実に基づいています。
☆
一九九六年、姉夫婦が家庭連合の聖地、
韓国の清平に母を連れて行きました。
清平では恨霊(悪霊)の分立が行われていました。
聖歌を賛美しながら自分の手で体を叩いたり、
参加者同士で背中を叩いたりして恨霊を追い出すのです。
これを霊分立の役事と言います。
ところが、母はこれを見て、つまずいてしまったのです。
「こんなことで、霊の整理ができるはずがない」
母は、自分の教会の信者さんたちの霊を整理するために、
毎日、夜中までお加持をしながら苦労していましたから、
清平の役事がとても簡単に見えたのだと思います。
その歴史的な背景や背後に込められた
精誠については、何も知りませんでしたから。
「もういいから、帰ろう」と言う母を、
姉夫婦が引きとめ、終わりまで役事に参加するよう説得しました。
それで母は思い直して続けることになりました。
その母が清平の祈祷室に入った途端、
母に須佐之男大神(すさのおのおおがみ)が入ったのです。
☆
須佐之男大神は、昔、朝鮮半島から追われて
日本に来た人と言われています。
韓国に対して恨みがあったので、それを晴らすために
朝鮮半島を攻め、統治するようにまでなったというのです。
須佐之男大神は母に入って、
「許せー、許せー、許せー」と言いながら出てきました。
須佐之男大神は、清平の役事を受けて、
「恨みに恨みで返してはいけない。
許さなければならない」ということが分かったのだと思います。
それで、「許せー」という言葉で、
その気持ちを伝えてきたのだと思うのです。
その後、須佐之男大神は、役事を受けてからすぐに
霊界の百日修練会に参加しました。
須佐之男大神はその修錬会で、神様の本当の願い、
真の父母様(文鮮明・韓鶴子ご夫妻)の偉大さ、
そして清平役事の背景や苦労などを知り、
様々な疑問がすべて解かれたようでした。
☆
その年の十一月、講演会のために島根県の出雲に行きました。
その時は母も一緒だったので講演会が終わった後、
共に出雲大社にお参りに行ったのですが、
その時、出雲の祭神の中心である大国主命(おおくにぬしのみこと)が
母に入ったのです。
私は大国主命に尋ねました。
「今、歴史がどのように動いていて、
霊界がどのようになっているか、知っていますか。
天の神様が何を願っておられるのか、知っていますか?」
すると大国主命は母の口を通して、
「実はこの間、会議があって、須佐之男大神さんが来られた。
その時に少し話してくれたのだが、
すべてを聞いてはいないから、よく分からない」
と答えたのです。
日本では、陰暦十月(陽暦では十一月前後)を
「神無月(かんなづき)」とも言います。
それは毎年その頃に、 出雲大社に全国の神様が集まって
一年のことを話し合うので、他の地では
神様がいなくなるということに由来しています。
出雲では逆に、この月を「神有月(かみありづき)」と言います。
私は大国主命の言葉から、年に一回、
国中の神様が集まって会議をするというのは、
伝説ではなく本当だったのだと、この時知りました。
☆
私はちょうど、その年の十二月に清平で四十日の修練会に
参加することになっていました。
そこで大国主命に、
「あなたたちを一緒に清平に連れて行ってあげます」
と伝えました。
そうして私は、大国主命をはじめとする
出雲の神々と共に清平に行ったのです。
その修錬会中、なぜか頻繁に会う日本の韓国人牧会者の夫婦がいました。
縁を感じて、「どこから来たのですか?」と尋ねると、
「出雲からです」と言うではありませんか。
出雲の神々が引き合わせたのだと思いました。
出雲の神々と共に清平修錬会に
光言社刊 北谷真雄 / 著
「死んだらわかるけど、それでは遅い」より
光言社刊 北谷真雄 / 著
「死んだらわかるけど、それでは遅い」より
☆
いやぁ、霊界って本当に凄いですね〜
ありきたりな感想ですが。。。
出雲の神々といえば、日本の神話の世界の方々です。
日本では神とまつられていますが、
かつては肉体をもった人だったのでしょう。
そういう神道の高級霊の方たちが、
清平に行ったということは、みんなみ言を聞いて、
絶対善霊になっているということになるのでしょうか。。。
地上の私たちには推し量ることができませんが、
私たちが清平に行く時には、地上の私たちでなく、
霊人たちもともに参加しているのだと
改めて感じることができました。
今は、清平に行くことができませんが、
日本での映像修錬会などで、多くの霊人たちが
私たちとともに参加して、解怨、祝福を受けています。
だからこそ、感謝し、精誠を込めて、
役事を行っていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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