2022年02月06日

正論を言っても解決しない! まず湧いてくる「私の思い」を清算 《蝶野部長*精誠篇》F



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蝶野知徳(ちょうの とものり)本部家庭教育部長
「精誠篇(せいせいへん)」続きです。


「私たちは神様からの本性ではなく、
 ほとんど先祖の血で思い話している!」


というと、ちょっと暗くなる話ですが、
(創造)本性というのは、ほとんど使ってないのです。

ほとんど使ってないというのは、ちょっと語弊があるかもしれませんが、
それぐらい本性ってすごいんです、皆さん。

本性が出てきたら、皆さんはびっくりすることでしょう。
自分ってこんなにスゴいのかといって、
三日三晩ご飯も食べれないぐらい
号泣するというのです、自分がすごすぎて。

そしてその感謝を天に捧げることでしょう。
「神様、このように素晴らしい自分をありがとうございます」
と言って栄光在天するその日が、
個性完成の日だということです。

ご飯を食べられないくらい、自分が素晴らし過ぎて
慟哭して泣くというのです、
皆さん、どう思いますか。

神様が与えてくださった本性の素晴らしさというのは、
「犠牲になりたい」と言って、喉から血が出るほど叫んでいる。。。
そのように、良心の基準がそうだといいます。

(現在の自分からは)考えられない自分があるのです。
それ(本性)を使ったら、皆アボニムやオモニムのようになるでしょう。
イエス様のようになるでしょう。


(しかし、本性を発揮していない)ほとんどがこれです、皆さん。

「そこに原理とか正論を乗せても
 自分の思いが清算、蕩減されていない限り
 蕩減の関係も終わらない!」


教育上の、こういう講義ではいいのですが、
皆様の私生活において、
正しいことを自分の配偶者などに(言うことがあります。)
(例えば)夫婦のケンカではお互い、正論を言うでしょう。
どちらが正しいかで、ケンカします。

でも、自分の血統的な情で、
正しいことを言っても導かれません。

ところが私たちは、『自分の方が正しいので
導かれるべきだ』という思いがあるのです。
それは要求心であって、愛ではありません。
反対です。

ですから、私たちはまず、正しいことを言うという前に
この自分の思いを清算しないとダメなのです。

それなりに、一理あること言いますね、夫婦喧嘩では。
しかし、その思いが失敗しています。

それ(私の思い)で、話したり、行動したりすると、
自分からは、先祖の因縁が出てくるだけなのです。
神様ではない、先祖のものが出てくるということです。


ですから、「蕩減の観点や、神様の願いの観点などと
無関係に湧いてくる私の情や思い、これをどうするか?」

下のところね、「情」と「思い」というものが入ります。

この「情」と「思い」がわくのは、どうしようもありません。
で、み言を聞くと、『あーこれは堕落性だー、
我慢しないといけない』と。

そして、抑えます。
抑えると、どうなりますか?
やがては爆発するようになっているわけですね(笑)。

生ゴミもずっと出さないと?
夏場とか、ガスで膨らんできます(笑)。
膨張力を持つわけです。


それを清算できない、
自分が変われていない!

人を許せないことで悩んでいるように見えますが、
実際は違います。

み言を聞きながらも、許せていない自分に
落ち込むというのです。
食口の悩みは、そこだけなんですよ。

ですから、み言を聞いた人は、悩みが増えるわけです。

だから、「み言を聞いてそのみ言と一つならないと
ストレスが増えるよ」
と、お父様のみ言にもあります。

しかし、こうやって体を従えていくんだと、
うんとこしょ、どっこいしょとやる、
これが信仰だというふうに思って。。。
自分の霊性や、心霊が(どうでしょうか。)

だから、行動は聖人並みなのに、
内面はカインの情だということも多いのです。
ここは少し心配しないといけないのではないでしょうか。

蝶野知徳・精誠篇1 

父母による子女の家庭教育 精誠篇より
「内的蕩減と生活信仰」
摂理される私、実体基台のために
このみ言は、2018年に蝶野部長が
広島の家庭教育部長だった頃
全国の教区から要請があり出張して語られたものです。
(文責:ten1ko2)


「本性ってすごい
自分ってこんなにスゴいのかといって、
三日三晩ご飯も食べれないぐらい
号泣する」

これは、お父様のみ言ではなく、
蝶野部長が感じられた世界だと思います。

蝶野部長は、ご自分の本性を
心から求め求めて、
精誠を尽くしていかれたのでしょう。

私の思いが
神様、父母様と一つになったら、
すなわち本性を中心としたものになれば、
どれだけ素晴らしいことでしょうか。

そのためのみ言の訓読であり、
祈祷であり、み旨の実践であり、
自己牧会プログラムである。。。

そんなことを思わされます。


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