李相軒先生の『霊界の実相と地上生活』より
今回は、「霊界で見た地上生活」前半です。
☆
貢献が多い地上人は霊界でどのように記録されるか
地上生活とは、人間が霊界に来る前に、
自分の人生をどのように生きたかという、
生活それ自体がこの霊界に記録されていく過程です。
例えば、地上で大統領として貢献をしたとしましょう。
その人は、霊界でどのように記録されるでしょうか。
自分個人のための人生ではなく、国家のために生きたので、
その功績がこの国、霊界に記録されます。
同時に、細々とした物質の不正、淫乱、誤った思想など、
あらゆる記録が、まるで自分の自叙伝のように記録されます。
このような暮らしの姿が、地上で最後に整理されるとき、
霊界のどこに、どのように導かれるのでしょうか?
神様が、無条件に現れて、
「あなたは国の大統領として過ごしたから、
どうぞこちらにいらっしゃい。御苦労だった」
と言えば、どれほどいいでしょうか。
しかし、とんでもありません。
国の大統領もこの国に入ってくるときは、
警護員の一人もなく来ます。
自分の人生の基準の前に立つようになるのです。
☆
肉身の生命が終わったのち、少なくとも
40日が過ぎてから、完全な霊界人になるのです。
その人は、40日間、地上と霊界を往来しながら、
自分の居る所を定めます。
定めるに際して、神様は介入しません。
先祖たちが協助するにはしますが、
先祖たちも100パーセントは協助できません。
まるで風が吹けば、風のなすままに動いていくように、
自分の居る所は、自分自ら探していくのです。
誰も審判しません。
それぞれ審判の位置が違うのです。
そして自分の居所に行き、落ち着けば、
誰がさせるのでもないのに、
自然に自分の引導者が現れて導くのです。
☆
霊界の級数によって、審判する雰囲気が違います。
国の大統領を務めたとすれば、恵沢がないわけではありません。
しかし、国に大きな貢献をしたことは恵沢の条件になるとしても、
自分の存在価値が善の立場に立てなかったなら、
断固とした処罰を受けるようになります。
それが霊界です。
それゆえ、この国、霊界では、大統領だとか、
あるいは、一番下だというような階級的な差が、
霊的基準を左右するのではありません。
いかに正しく人生を生きたかという道徳的な基準が、
その人の価値を評価する所です。
☆
「霊界では、学力の差による差別待遇はありませんか。
地上では、学力のある人と、学力のない人の
位置が違いますが、霊界ではどうですか。
学力がなくて末端で働く人たちは劣等意識を持ってはいませんか」
と李相軒(イ・サンホン)院長に尋ねると、
「霊界でも、自分の専攻によって、働く分野が違います。
しかし、劣等意識というものは、地上とは違います。
自分自身の人生の基準の価値を知らず、誤って暮らしたことが、
最も恥ずかしさとして現れるのです。
学力水準の差に左右される地上とは全く違います」
と答えられました。
(1997年6月9日)
(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第二章 霊界で見た暮らしと地上生活
四 霊界で見た地上生活
(blessed life)(7)
「霊界で見た地上生活」より
第一部 霊界の実相と地上生活
第二章 霊界で見た暮らしと地上生活
四 霊界で見た地上生活
(blessed life)(7)
「霊界で見た地上生活」より
☆
肉体での地上生活だけではなく、
その後の霊界での生活があることを
万民が知ることができたら、
どれほど、地上の生活も変化するでしょうか。
さらには、霊界があると信じていても、
霊界ではみんな天国に行くのではなく、
地上でどのような生活をしたのかによって、
それが霊界での生活に直結していることを知ったなら、
みんな正しい地上生活を送るかしれません。。。
学歴、また大統領などの地位、
そういったものは、霊界では一切評価されません。
そのことを改めて自覚しながら、
愛の人格を持てるように
正しい生き方を心がけていかなければならない、
そのように思うのです。
「霊界の実相と地上生活【霊界の様相編】」
36家庭の李相軒先生(1914〜1997)が
霊界のさまざまな事実を証しされたメッセージ(blessed lifeで連載中)
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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