自己牧会プログラム、
今回は、「後から気付いた天国人の心」です。
☆
(女性 60代)
私は週3日、夕方から4時間ほどパートで働いています。
もうすぐ丸6年になろうとしています。
仕事に追われて大変だと思う時もありますが、
それ以上に楽しく働かせてもらっています。
その職場での最近の出来事です。
入社1年目の他部署の女性が書類を持ってきて、
何も言わずに置いて出ていきました。
すると、私の上司に当たる女性が、
「一言も言わないのね」とボソッと言われたのです。
そこから、そのかたはせきを切ったように、
「今年の新人さんはものを言わない。
必要なこともそうでないことも言わない。
『社会人としての常識だから』とそれを指摘すると、
その上の立場の人間に直接言いにいき、こちらが注意を受ける。
仕事のことなのに、とにかく理不尽なんだ」
と不満をぶつけてこられました。
それに対して、私も完全に同調して、
同じような否定的な意見、自分の固定観念に基づいた
思いや考えを口にしてしまったのです。
その場は大変盛り上がったのですが、
その後、帰途に就きながら、
「私はあんなことを言うために、
その場面を与えられたのではなかった」と気付かされました。
まずは彼女の大変な思いを受け止め、慰労してあげる。
そして、あいづちは、
「そうだったんですね、しんどいですね」
でよかったのに……。
そうできず、多くの罪を繁殖させてしまったのです。
これでは「天国人の心」とは程遠いなと申し訳なく思い、
後悔の念が強く残りました。
その夜私は遅ればせながら、
「職場で大変な思いしながらも働いておられる皆さんが
幸せになりますように。一つになれますように」
という思いを込めて光を送りました。
これで何かを変えることができるかどうかは分かりません。
でも、これからは、職場の皆が一つになれるように
という思いを乗せて、
明るく笑顔で働かせていただこうと思っています。
私の心の中にいる神様 107
後から気付いた天国人の心
(blessed lifeより)
後から気付いた天国人の心
(blessed lifeより)
☆
ちょっとした、言葉、行動の背後に
私から湧き上がる思いがある、ということ。
それを忘れてはならないな、と思います。
感情で動いてはいけないな、
そのことをつくづく感じます。
神様から与えられた環境であり、
神様によって与えられた人間関係である、
そのことをしっかりと意識しながら、
一日、一日の歩みを成していきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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