史吉子(サ キルジャ)先生のみ言。
「総序論」の続きです。
☆
お父様が16歳の時、イエス様に会われたのですが、
本来は儒教の家庭でした。
ところが、愛国者であった文潤国牧師の導きで、
文氏一家が全てキリスト教に改宗しました。
それでお父様も神様を知るようになり、
イエス様も知るようになり、熱心に祈祷をされるようになりました。
お父様がどんな祈祷をされたのか?
「神様、本当にいらっしゃいますか?
神様が本当にいらっしゃるのでしたら、
どうして私たちの国がこんなにひどい苦痛を
受けなければならないのですか?
私たちの国の人たちがさまざまな苦しい目に遭っているのに、
どのようにして根本的に解決しなければなりませんか?」
といった祈祷をされたそうです。
この問題をもってしつこい程、
とても深刻で切実に祈られたそうです。
☆
そうするとイエス様が現れて、
「そうだ。あなたが願い、あなたが成したいと
願っている全てのことを私が成そうと来たのだが、
そのみ旨を全て成すことができなかった。
だから、これからは私と共に、
あなたがその仕事をしなければならない。」
と語られたそうです。
「私と一緒にやろう」と言う切実なイエス様のみ言を聞かれた時、
お父様はあまりにも驚かれたからか、
すぐには「はい!」と返事ができなかったそうです。
お父様に現れた、可哀想な主の姿を霊的に見た時、
大変驚かれたのです。
お父様がイエス様から受けた頼みは、
まるで空中にぶら下がって揺れている針に、
糸を通せと言うのと同じだったそうです。
☆
ところで、16歳の少年が、どうして
針と糸のことを思ったのでしょうか?
私がお父様に直接質問したわけではありませんが、
見当がつく点があります。
お父様の家には、女の兄弟がたくさんいました。
昔は、 女性たちが昼間は畑に出て行って農作業をし、
夜は針仕事をしなければなりませんでした。
針仕事をするには、まず針に糸を通さなければなりません。
それでお父様は、お姉さんたちが小さな灯りの下で
針に糸を通そうと苦労するのをご覧になったのだと思われます。
皆さんも想像がつくでしょう。
あの頃は化学繊維も無く、電気も通っていなかった時ですから、
大家族の家では木綿で作った服やポソン (韓国固有の足袋)など、
夜遅くまで継ぎを当てなけらばならないものが
どれだけ多かったでしょうか?
その時のお姉さんたちが針に糸を通す姿をご覧になり、
その作業が難しいと思われたのでしょう。
明るいところで針を掴んでも糸が針の穴に
うまく入らないものなのに、針が空中にぶら下がって、
揺れているのですから、どうやって糸が針の穴に入るでしょうか?
それで、そのみ旨に従うのが、揺れている針に糸を通すように
難しいからできないと思われたのでしょう。
☆
何はともあれ、イエス様の切実な頼みを受けられたお父様は、
「私はできません。」とお断りした後、
「私の思いどおりに暮しながら人生を生きて行けたら、
誰よりもいい暮らしができるだろう。」と思われたそうです。
ところが、その時にふと、
「人生の果てには究極的に何があるのだろうか?」
「何が残るだろうか?」と言う疑問と共に、
何も残るものが無いだろうと言う思いになったそうです。
「だとしたら私が、イエス様が願われた
この道を行かなければならないのではないか?」
と思われたそうです。
ところが、「ああ、私が恐れ多くも...。
どうしようか?」と思いになり、
急にお父様の目の前に畳々と重なる山々、高い山々が
列を成して現れ、 切り立った高い山々に
登っては下らなければならない、とてつもない
苦痛を受けることになるだろうと感じられたそうです。
お父様の故郷である平安北道定州に行ってみると、
家の前からちょっと離れた所に山と丘があります。
お父様は当時、ご自身の心にある霊感が浮かぶと、
手前の山 (猫頭山)に登られて熱心に祈祷されたそうです。
☆
その時、神様が現れたそうです。
神様はあまりにも可哀想なお姿で現れて、
私の愛する子が地上にはおまえしかいないと言われながら、
イエスが成し得なかったことをあなたが引き受けて
やってくれなければ誰が引き受けるのかと、
切実に説得をされたそうです。
そのような神様のみ声を聞かれると、
神様の悲しい心情と事情が骨の髄まで染みて
押し寄せて来たそうです。
お父様は、「ああ、私がキリスト教を通して
信じていた神様は栄光の神様、聖なる神様、
審判の神様としてしか知らなかったのに、
神様にこうして近くで接してみると、
神様はあまりにも可哀想で、あまりにも
苦しみを受けられる方なのだ。」と感じられたそうです。
そして道を行かれても、可哀想な乞食のおじいさんに会うと、
この方の姿がまさに可哀想な神様の姿なのだ
と感じられては、涙を多く流されたそうです。
それで、「神様、本当にいらっしゃいますか?
神様が本当にいらっしゃるのでしたら、
私は神様の懐の深い所まで
行くことができなければ何もできません。
本当に神様がいらっしゃるのでしたら、
私と一緒に寝転んで、私がいつでも実感できるように、
ただ私のそばに生きておられる神様として
いらしてくださらなければなりません。」と祈られたそうです。
☆
そして、「神様、天の法度は何ですか?」
とお伺いしてみたそうです。
お父様が神様に伺った初めての質問が、「天理法道」でした。
それは何かと言うと、
「宇宙の根本は果たして何であり、
神様と人間の本然の関係は何ですか?」と言う質問なのです。
それで神様の答えが、
「神なる私は人間の父母であり、おまえたち人間は私の子である。
私とおまえたちの関係は父母と子の関係である。」
とおっしゃったそうです。
そして、「全ての関係の中で、
父子の関係ほど根本的な関係は無い。
この父子の関係を通して、全ての関係が成されるのである。
しかし、悲しいのは、私が一度もおまえたち人間の前で
親らしいことができなかったことだ。
私の子を、怨讐が全て奪って行った。
私は今も私の愛する子を探して、泣きながら、
さ迷っている。」とおっしゃったそうです。
☆
お父様は、神様が最高に苦痛の場所、最高に寂しい場所に
いらっしゃると言うことを切々と実感され、
「父母であられる神様の苦痛と根を先ず解いて差し上げなければ、
人間の苦痛と恨は終わることが無いんだ。」と悟られてからは、
遂に「そうですか? それでは私がやってみます!」
と申し上げられたそうです。
神様は、「そうか、おまえがやってくれなければ。
おまえは朝鮮人の苦痛を悲しんでいるが、
この世界には苦しみを受けている民族がいくらでもいる。
おまえがこの世界の全ての民族を救い、
私に返してくれるよう願っている。」と頼まれたそうです。
お父様が神様とイエス様の頼みを受け入れられたのです。
☆
お父様は今まで、いかにして
ひどい苦痛を耐え忍んで来られたのか?
血を吐くような、再び立ち上がることのできないような所でも、
すっと立ち上がられ、み旨の道を行くことができたのか?
お父様は、「人類は今まで、神様が
語ることのできないほどの苦痛を経験しておられる、
可哀想な神様であることを知らずにいる。
私は先ず、神様の苦痛と恨を解いて差し上げなければならない。
私が神様の苦痛と恨を解いて差し上げなければ、
誰が解いて差し上げるのか?
神様の苦痛 と恨を解いて差し上げなければ、
人類の苦痛と恨を解くことはできない。」
と言う事実がわかったからだとおっしゃいました。
人類は今まで、「栄光の神様」としてのみ理解していたのに、
歴史上、初めてお父様が、「可哀想な神様」で
あられることを明らかにされたのです。
史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第1章総序論
第1章総序論
☆
真のお父様とイエス様との出会い、
そして、神様との出会い、
私たち、統一食口においては、誰もが知っております。
お父様の原点、というか、この道を歩むにあたって、
重要な出発点であると思います。
史吉子先生においては、針と糸の話から、
困難な道を出発された真のお父様の
決意と心情を感じさせていただきました。
お父様がこの出発の動機を変えずに、
生涯をかけてみ旨の道を歩まれたように、
私たちも、信仰の出発を不変なものとしながら、
天を証ししていく歩みを成していきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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