2022年03月31日

自慢の孝行息子・マンネが統一教会へ 「行くなら死ぬ」と言う父に 《大陸会長》



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世界家庭3月号に掲載されている
方相逸(バン サンイル)大陸会長の
メッセージ(証し)を紹介します。


尊敬する岩手教区の食口の皆さん、お会いできてうれしいです。
この場に臨むに当たり、何を話そうかとずっと考えてきました。

真の父母様が進めておられる摂理、私たちに託された使命、
家庭連合の五大方針などの候補があったのですが、
サモニム(藤之原和代・大陸会長夫人)の証し
(大陸会長のお父さんとの思い出を話された)を
聞くうちに考えが固まりました。

実は、サモニムの話しの最中に左足が痛くなり、
岩手にある父がここに来ているようにも感じました。
それで私も、父のことを含め、話しをしようと思います。

自慢の孝行息子が統一教会に

私は六人兄弟で、兄が二人、姉が一人、弟が一人います。
私は幼い頃からや兄姉を深く敬っていました。

村の人々が、「相逸は孝行息子の模範だね」
と言ってくれるほどでした。

そして、通りを歩いていて、私よりも年上の人を見かけると、
「こんにちは!」と元気よく挨拶しました。
挨拶の天才です。

それは、七たび身を地にかがめて
エサウに近づいたヤコブ以上です。
母は「おまえは犬にも挨拶をする」
と笑いました(笑い)。


私は統一教会(家庭連合)に導かれるまで、
キリスト教会に通っていました。

姉もキリスト教会の信徒だったのですが、
私が統一教会に入ったことを知ると、父に、

「相逸が統一教会という悪い宗教団体に入って、
頭がおかしくなってしまった。
文鮮明という教祖を『真のお父様』と呼んで、
生んで育ててくれたお父さんのことを
『偽りの父』と呼ぶんだよ」

と、統一教会の悪口を吹き込みました。

父はとてもショックを受け、
私にすぐにやめるように言いました。


ある日のことです。
父はガラスコップに農薬を注ぎ、
「おまえが統一教会に行くんだったら、
私はこれを飲む。どうする」と迫りました。

私の信仰は全く揺らぎませんでしたが、
大切な父親を傷つけることはできません。

私はしかたなく、
「統一教会はやめますので、こんなものは下げてください」
と言う以外にありませんでした。


私は、韓国南部の中心都市、
光州(クァンジュ)にある大学に通っていました。
実家と光州は百キロぐらい離れています。

親がめったに訪ねてこないこともあり、
私は一年生で伝道されてから四年間、
カープの学舎で暮らしました。

ただ、毎月、帰省するたびに、
父から「統一教会はやめたのか?」と聞かれました。

大学卒業後、私は木浦で学舎長を務めることになりました。
学生が誰もいない開拓学舎です。

その頃、父とこんなやり取りがありました。

「大学も卒業したし、どこに就職するの?」
「木浦にある会社に就職します」
「名前は?」
「カープといいます」(笑い)。

父は、カープのことまでは知らなかったのです。

方相逸大陸会長のメッセージ
 「祝福は奇跡的恩恵をもたらす神のみ業」
世界家庭3月号より


「カープ」のエピソードですが、
似ているようなことを私の先輩も
かつてされたことがあったような。。。

やはり、お父様ご自身も迫害の道を行かれましたが、
昔の先輩たちも同じような道を行かれたのだ、と思います。

「百聞は一見に如かず」なのに、
噂ばかりが先立ってしまって、
子供を愛するがゆえに、
子供の行く道を塞いでしまったりするわけです。

大陸会長の証しはまだまだ続きます。
表題の祝福の証しに入っていきます。
お楽しみに。




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2022年03月30日

私は夫(妻)の重荷にはならない! 強力な「愛の注射器」に 《奈田先生》



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奈田先生の「父母と共なる生活」
今回は、『夫婦観(夫と妻の在り方)』です。


具体的な夫と妻の在り方に関する
文先生のみ言を取りあげてみます。

文先生はまず基本的に、男性にとって
女性は母親であり、妻であり、姉であり、妹であり、娘である。

女性にとって男性は
父親であり、夫であり、兄であり、弟であり、息子であって、
お互いにそれらのすべての立場に立てるのが
理想的な夫婦だと言っておられます。

理解・協力・研究が必要

「夫婦はお互いに理解し、協力し、研究せよ」
と、文先生は言われています。

顔が皆違うように、人の運勢もみな違います。
それぞれの運勢によって組み合わせを
決められるというのです。

男性の運勢が悪ければ、女性の運勢が良いのです。
逆に女性の運勢が悪ければ、男性の運勢で埋めていくのです。

文先生はそのことを、
「夫婦とは山と谷を崩して平地をつくるようなもの」
と表現しておられます。

以前、「富士山を崩して琵琶湖を埋めてみようか」
などとおっしゃったこともありました。

 
「……理解できるような夫婦になるということは、
 人格的に立派な女性、
 立派な男性になることである。

「……最初の三年間は非常にぶつかるところが多いが、
 三年たてばいろいろな方面で、
 美しいところを発見し始め、
 深いところの情で結ばれる」

(一九七七・二・八)


「夫婦は絶対的統一の代表であり、
 それからずれるようなことがあってはなりません。

 車の両輪のごとく、
 また二本の足のごとくになって、
 調和をもって一つの目的に向かって
 進まなければなりません」
(一九七九・五・一九)


ですから、場合によっては、
一方が足踏みして待つような時もあるというのです。

「問題は、私たちは世界救済を完成した上で
 結婚しているのではないということです。

 私たちの前には救済されなければならない
 世界があります。
 ですから私たちの前には
 私たちの任務があり使命があるのです。

 男性と女性はこれから
 右足と左足のようになって歩くのです。

 そこには平等な立場での二者の
 共同、協力があって初めて
 前に進むことができます。
 
 夫は右足、妻は左足の立場です。
 そして早く確実に歩くためには
 両足が同じように動かなければなりません」
(一九八二・七・一)


これはアメリカの教会員に対して語られたみ言ですが、
大変細かいところにまで心が配られていると思います。

 
さらに、“愛の注射器”とか、
“愛の発電機”になれ、というみ言もあります。

「皆さん一人ひとりが
 強力な愛の注射器になろう〃
 と決意しなければなりません。

 “私は夫の重荷にはなりません”
 “私は妻の重荷にはなりません”
 “私は発電機になります”。

 与える要素、愛の注射器こそは
 すべての問題の解決策であり、
 万能薬なのです。
 愛は最高の力なのです」
(一九八二・七・一)


 
さらに、お互いによく研究し合わなければならない
とも言われています。

「結婚は現実には研究課題なのであり、
 男性は女性を研究し、
 また女性は男性を研究するところです。

 お互いを研究する過程において
 愛を発見していくのです。

 これが結婚の意味であり、あなたの発見は、
 ちょうど実験室での試験管の中の発見と
 同じようなものです。

 私がこう言ったら、彼がこう反応したとか、
 怒ったとか、すべてのことについて
 統計をとり、グラフに描くのです。

 何でもないようなふりをしていて、
 急に強くあなたの夫をつねって
 その反応を見てみなさい。
 すべてのことについて、
 その反応を観察することができるのです」
(一九七九・五・一二)



「自分の相対者がとても厳格そうに見えて、
 何も表現しないように見えたとしても、
 失望してはいけません。

 研究する余地がかなりあると思って、
 かえって喜ばなければなりません」


 「いつも話してばかりいる人は
 すべてにおいて失敗者です。
 とても味のある人は、話す代わりに聞く人です」

 「あなた方が互いに相会う時は、
 すばらしい思いを表現する代わりに、
 感情、喜び、幸福感を抑えて、
 ゆっくり研究し始めなさい」


 上げたり、下げたりで、何とかして
一つにしようとされる先生のお気持ちが伝わってきます。

父母と共なる生活
第五章 夫婦観(夫と妻の在り方)
一 理解・協力・研究が必要


夫婦の愛がどれだけ貴く素晴らしいものであるか。。

夫婦愛に関しての、
真のお父様のみ言はふんだんにあります。

しかし、昨今においては、夫婦は男性、女性ではなく、
同性でも同意義である、というパートナーシップ制度を、
日本においても導入しているところが増えております。

テレビなどマスメディアを通しても、
同性愛を助長するような、
そんな状況の中にあります。

夫婦の愛は、神様が創造された貴いものであり、
それを私たちが表していけるように、
実体で示していかなければ、と切に思います。

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posted by ten1ko2 at 09:28 | Comment(0) | 夫婦講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月29日

永遠に「春はあけぼの」…もアリ?! お好み次第、天国の四季と朝昼晩 《浅川先生“天活”のすすめ》



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浅川先生の「天活”のすすめ〜天国への準備はできていますか」
今回は、『お好み春夏秋冬』です。


私たちは、1日24時間、朝、昼、晩のサイクルで、
当たり前のように生きています。

地球が自転しながら、太陽の周りを公転しているからです。
太陽の側になったときは昼となり、
反対側になったときには夜となります。
こうして、朝、昼、晩が生じるのです。

ところが、霊界では、地球が24時間で1回転する
という原則がありません。
そのため、朝昼晩の順番がないのです。

天国人の好みで変わります。


地上で暮らす人たちが、朝に起きて夜に寝るように、
霊界生活においても、起きたり寝たりすることができます。

しかし、朝に起きて、夜寝るというのではなく、
朝も夜も考えによって変わるようになります。

朝がすがすがしく散歩に最適だと考えれば、
気のすむまで朝が続きます。

少々眠りたくなったら、周囲が暗くなって、
たちまち夜に変わります。
時間によって状態が変わるのではなく、
人の心に合わせて変わるのです。

お好み朝昼晩です。

 
この世では、日本には春夏秋冬の四季があります。

春になれば、暖かくなって、桜が満開となり、
タンポポが咲きます。
夏になれば、太陽がまぶしく、
セミが鳴き、ひまわりが咲きます。

秋になり、木々は紅葉となり、コスモスが咲きます。
冬が到来して、雪が降って、肌寒くなります。

この世では、時と気温の変化によって、
咲く花の種類が変化し、木々の葉の色も変わります。


ところが、天国では、天国人の心によって変化するのです。
天国人が、桜の満開を堪能して、
春の気分を味わいたければ、
桜はたちまち満開となります。

冬の気分も味わいたければ、
桜の花に雪が積もるのです。

春に咲く桜の花に、冬の雪がアレンジされ、
摩訶(まか)不思議な光景が目の前に展開します。

霊界の自然は季節によって変化するのではなく、
天国人の好みによって千変万化するのです。

春の次に秋が、秋の次に夏が、夏の次に冬が到来し、
さらに季節が混在して見事な演出をするのです。

地上においては春夏秋冬という
四季による変化がはっきりとしていますが、
霊界においては人間の心によって春が訪れたり、
夏が訪れたりと、季節の多様な姿を現しています。


地上と違う点は、四季の期間が
一定に定まっていないという点です。
そのため天上には常に美しい季節が続くこともあります。

地上においては美しい紅葉は秋にしか見ることができませんが、
天上ではいつでも美しい紅葉を見ることができるのです。

人間の心の状態によって木そのものが美しい紅葉に染まるし、
木や花や草などが人間の心に共鳴し、
色とりどりの紅葉に変わったり、
草原に変化したりします。

浅川勇男・著(光言社刊
『“天活”のすすめ〜天国への準備はできていますか』より)
第一章 天国の自然環境
お好み春夏秋冬
(blessed lifeより)3
(あくまで真の愛をもった
天国人のいる天国での内容で
すべての霊人に当てはまるものではありません)


天国の自然環境は、『お好み朝昼晩』であり、
『お好み春夏秋冬』である、ということですね。。。
地上での常識が覆されるというのは、
なんとも不思議な世界ですね。。。

改めてのコメントになりますが、
これは、浅川先生の持論ではなく、
統一原理を解明された文鮮明先生のみ言を元に、
浅川先生がまとめられたものです。

文鮮明先生は、お若いころから
霊通されて、あらゆる体験をされ、
そのことを土台として、
霊界に関して、私たちに示してくださいました。

もちろん、上述の補足のごとく、
真の愛を体恤した、天国人が行くところである、
そのことを理解しなければならないと思います。


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posted by ten1ko2 at 08:40 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする