2022年03月25日

牢獄の第2弟子は総監督、「これから私は絶対に主に従う」 《金元弼先生》



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朴正華氏


金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
「朴氏、弟子となる」です。


先生は、牢屋の中ではなかなか語られませんでした。
しかし、神によって備えられた人には、
冒険をしてでも、話しかけられました。

昼食の時に、ミスター朴(朴正華(パク チョンファ)氏)に近寄りました。

この朴という人は、二〇〇〇人近い囚人の中で、
総監督をしていた人です。

しかし、初めて会う人ですから、
その人がどういう人であるか、
先生には全然分からないはずです。

ところが彼に話したことは、洗礼ヨハネは
自分の責任を果たしえなかったという内容でした。

彼は、「そんなことはありえない」と反対しました。
道を直くする立派な人であると信じていたからです。

この朴さんという人は、若いころに勧士(伝道師)という
職分をもっていた熱心なクリスチャンでした。
共産党が北の方の主権を握ると、そこに入っていって、
彼らに協力して働いていました。

しかし、その職務を怠ったという罪で、
牢屋にぶち込まれた人でした。
囚人の中の監督となったのはそのゆえであると思います。

もし彼が先生に反対し、“これは良くない”
と思うようになると、先生の立場は
非常に難しくなったでしょう。

それでなくとも、先生は刑務所の中で
要注意人物として注目を集めている立場でした。

そこで先生は彼に、「そんなふうに言ってはいけないのに」
というひと言を残して別れました。

 
ところが、その夜の出来事でした。
朴さんは、体が非常にきつくなって、
寝ようとしたら白いおじいさんが現れて、
「お前、五九六番が誰か知ってて反対するのか」
としかるのでした。

体が苦しくて苦しくてたまりませんでした。
「お前はその人の話を聞かなければいけない」
と厳しく言われ、「すみません」と
悔い改めたらすっかり体が良くなりました。

それは生涯において、初めての出来事でした。

 
先生は次の日にも、昼食の時に彼を訪ねました。

彼に会うとすぐ、「あなた、昨日
こんなことが起こらなかったのか」と聞きました。

彼はびっくりして、昨夜の出来事をお話ししました。
そうしたら、先生が今度は、
「イエス様を生んだマリヤは
よく使命を果たしえなかった」
ということをお話しされました。

これはもっと信じられませんでした。
彼は、「イエス様を生んだマリヤが
使命を全うできなかった」とは、
何のことだろうと考えたのです。

そこで彼は、昨日よりもっと怒りました。

 
その夜は、昨日よりももっと苦しい目に遭いました。

白いおじいさんが現れて、またきつく話しました。
「五九六番がどういうお方であると思うのか。
お前は、絶対に服従していきなさい」と言って、
今度は本当に耐え難いような苦痛を体に与えるのでした。

もうちょっとしたら息が絶えてしまいそうな苦痛なので、
監督は、「あのお方のお話を絶対信じるから
許してください」と言って悔い改めました。


彼は次の日に、先生に前日の夜のことを話しました。
そしたら先生は、もっと信じ難いお話をされたのでした。

今、その内容は覚えていませんが、
とにかく彼には信じ難かったのです。

二回もひどい目に遭いながらも、彼は
「とても信じきれない」と強く激しく反対しました。

それから三日間、本当に苦しい目に遭いました。
それで彼は心から悔い改めて、三日目に
“これから私は絶対に先生に侍る”と決心しました。

そして後、彼は牢屋の中での二番目のお弟子になりました。



朴正華氏が導かれた時の証しは有名ですよね。

それにしても、夢で先祖が三度も出てきて痛い目に遭い、
そのことをお父様がご存じであった、というのですから、
お父様はまさに霊能者ではないか、と思わされます。

そして神様も、劣悪な環境でありながら、
ちゃんと義人を準備していたのです。

お父様の信念と精誠によって、
このような出会いがあったのだと思います。

私たちも、どんな環境にあったとしても、
神様は準備されておられるのだ、
そう信じて歩んでいきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 09:29 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月24日

《善進様の証し》こうして私は父母様の愛を知りました! 家を離れた5年間の告白



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文善進(ソンジン)様(WFWP世界副会長)が
以前語られた、貴重な
信仰告白ともいうべき証しを紹介します。


答えがほしいとき、お父様のみ言を読んでいます。

私は真の子女という、回りからは原罪のない模範の子女、
完璧な人間という目で見られ、期待がありましたが、
内的には父母がいない心情で父母に話を聞いてもらった
こともなく、いつも奈落の底で何も感じませんでした。

怨み、疑心暗鬼、怒りもありました。
何故、私は生まれたのか?


7才の時に興進兄さんが聖和されました。

意識不明でベッドに横たわる兄さんに対して、
父母様が私に「もうすぐ、兄さんは霊界に逝くのだから
キスしなさい」と言われたのですが、
恐くて出来ませんでした。

お父様は「泣いてはいけない」と言われましたが、
私が一人部屋で泣いていたら、
天井に興進兄さんの霊人体が見えました。
兄さんは、「大丈夫だよ」と言われました。


アメリカで育ちましたが、アメリカという国は
大変な人種差別がありました。

孝進兄さんは、集団リンチにもあいました。
あるときは、切断された指が入った封筒が
家に送られてきました。
孝進兄さんは、身を守る為に武術を学ばれました。

真の家庭は、本当に苦難を受けてきました。


私が17才になった時に、お父様が
「祝福を受けなさい」と言われました。

私は、原理を聞いたことがなく、祝福に対して理解がなく
反抗期の高校生でした。

当時、お兄さんやお姉さんの祝福が難しい時期でもあり、
韓国の男性は嫌だと思っていました。
お父様に、「No、受けません」と言いました。

皆さん、お父様の性格を知っているでしょう?
お父様は、雷のような大きな声で
「受けないなら、出ていけ!」と怒鳴られました。

高校生の私は、主人(インソップ様)を
受け入れる事が出来ませんでした。

5ヵ月、回りからはお父様の言われるように
祝福を受けなさいと深刻なやりとりがありました。


7ヵ月後に「婚約しなさい」と言われ、
祝福を受けました。

私の祝福を受けた時の写真を見てください。
私の目は泣いていました。

初めて握手した時、主人の手は汗だくで
額にもいっぱい汗をかいていました。
私はどうしても受け入れる事が出来ませんでした。


その時、お父様は座りながら
「真実は真実だ」

「真実から逃れる事は出来ない。
自分の道を行くのなら行きなさい。
だが、これを知っておきなさい。
宇宙の根本、真実は真実だ。
自分の真実を探しなさい」


17才、高校生の私は、荒野の中に真実を探しに出ました。

5年間、日雇い、一日3つの仕事もしました。
ホームレスもしました。

生きることに希望が持てず、人生の価値もなく
孤独な所にいました。
そして癌になり、死の直前までいきました。

「外には何もありませんでした」と、私は家に帰りました。


父母様は、毎晩心配され眠られなかったと
他の人から聞きました。
あなたを愛され心配されていたと。

お父様は、その時怒るのではなく
「良く帰って来た」と言われました。

私はその時、天の父母様と真の御父母様の愛に
気付きました。

外の世界に真実の愛・真の愛はありませんでした。
真実は何なのでしょうか?
それは、愛なんだと気付きました。

父母は諦めず長い間待ちます。
子女が帰ってくるまで、諦めず待っているのが
父母様なのです。
真の愛とは何なのかを理解しました。


主人は、祝福を諦めず
5年間私を待っていてくれました。

あれから、22年になります。

最初に主人に会った時、緊張して握手したら
手に汗をかいていました。
今も、握ると手に汗をかいていますが、
心から愛しています。

2017秋季孝情清平特別大役事
2017.11.3


5年前の証しを紹介しました。

誰もが胸を痛めるような
ある意味では衝撃的な証しを
善進様はよくぞ語ってくださったと思います。
孝進様の証しも壮絶なものですね。。。

善進様も話されているように、
真の子女様は、栄光の立場にいるような、
そんな感覚を誰もが感じるかも知れません。

また、家庭連合に批判的な人たちは、
「真の家庭といいながら、そうではないじゃないか」
そのように野次を飛ばすでしょう。

確かに表面的に見たら、そうかも知れません。
しかし、その背後においては、
言うに言えない、辛苦の荒波に漂いつつも、
真の父母様から助け舟を出したくても、出すことが出来ない、
そんな小舟にたった一人で乗っているような、
真の子女様たちの姿を感じます。。。

しかも、それは、御自身の問題ではなく、
私たち祝福家庭の足りなさにあるということ。。。
「蕩減」と一言では片づけられないような、
その全てを受け止められるということは、
決して簡単なことではないと思います。

また、真の父母様も
どれだけ手を差し伸べたかったことでしょうか。。。
アベルの子女を犠牲にされながら、
カインの子女を愛される真の父母様に
私たちは感謝してもしきれない立場です。

真の父母様、ありがとうございます。
そして、善進様、真の子女様、
心から感謝いたします。




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posted by ten1ko2 at 09:07 | Comment(1) | ご子女様・真のご家庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月23日

実る前にあきらめていませんか── 「蕩減」は美しい言葉?! 《篠崎先生》

若き日の真の父が、「蕩減は満ちる」と気づいた瞬間とは



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篠崎先生の「喜びと幸せの生活伝道」
今回は、『蕩減条件』です。

 
神様の復帰摂理は再創造の道です。
再創造ですから、創造原理と同じように、
人間が責任分担を果たしてこそ、
その目的を実現することができます。

神様のもとに人を復帰し再創造していく伝道も、
責任分担として蕩減(とうげん)条件を立てる生活を
することによって勝利する道が開かれるのです。
条件がなければ、神様も、
私たちを所有することはできません。

真のお父様が指導してくださった
「蕩減条件」について考えてみます。

「蕩減」は美しい言葉

真のお父様は、「蕩減」は美しい言葉であると語られました。
皆さんは蕩減が美しいと感じますか?
「本当にそうなの?」と疑問に思う人も多いのではないでしょうか。

一方、そのみ言どおりだと感じる人は、
蕩減の深い意味を悟り、み旨の妙味を
味わったことがある人に違いありません。

 
私が信仰の初期に、ある先輩から聞いた話です。

「真のお父様が若き日に朝霧の中で
精誠を込めて祈祷をされていた。
その霧は一枚の葉の表面をいっぱいに濡(ぬ)らし、
やがて一粒の滴(しずく)を結んだ。
その滴は葉からピタンと落ち、流れて一個の石にぶつかった。
滴はあたかも石に吸い込まれるかのように石の下を濡らした。

それが何度も繰り返され、水滴は
石の下いっぱいに湛(たた)えられた。

最後の一滴が葉から落ちて石にぶつかった瞬間、
石の下の水は表面張力を破ってタラッと流れた。
同時に、石もコロッと動いた。

真のお父様はこの瞬間をごらんになり、
霧が石をも動かすことを通して、
『蕩減には有限性がある』と悟られたのです」

 
真のお父様は、第二次世界大戦後のキリスト教
および民主世界の失敗を蕩減復帰するため、
40年荒野路程を歩まれ、勝利して、
1985年8月16日に「一勝日」を宣布されました。

お父様はその路程を、
「過ぎてみればすべて愛であった」
と振り返られたといいます。

お父様が示してくださったように、
どんなに困難に見える蕩減復帰の道も、
私たちが精誠を投入し続け、
蕩減条件が満ちれば必ず開かれるのです。

 
伝道も同じです。
まだ霊の子が立っていないという人は、
往々にして蕩減条件が満ちる瞬間を迎える前に
諦めてしまっているのです。

「忍苦の絶頂を越えて天に尽くす精誠は、
必ず祝福の実を結ぶ」
と信じるのです。
決して諦めてはいけません。

勝利は最後の瞬間にもたらされます。
そこに、蕩減復帰の醍醐味(だいごみ)があるのです。

伝道において、正しい立場で迫害を受ければ
蕩減条件になりますが、
サタンの讒訴(ざんそ)条件が少しでも残っていると、
勝利したように見えても、後で必ずサタンが奪っていきます。

ですから、どんなに難しい立場にあっても、
真の愛を持って精誠を尽くし続けるのです。

【編集部注】
 「霊の子(霊の親)」は「信仰の子女(信仰の親)」のこと

篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第五章 み言に学ぶ伝道の秘訣
七、蕩減条件
(blessed lifeより(56))


雨乞いの祈りは、必ず聞かれる、といいます。
雨が降るまで祈るからです。

蕩減条件も、天は必ず聞かれています。
私たちも勝利するまで精誠を捧げる、
そんな思いをもっていきたいと思うのです。


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posted by ten1ko2 at 10:09 | Comment(0) | 統一原理・統一思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする