李相軒先生の『霊界の実相と地上生活』より
今回は、「霊界人と地上人の生活」を紹介します。
☆
霊界人の暮らし
霊界人は、地上の生活によって、霊界での
自分の暮らしの位置が決定します。
一カ所に落ち着いていれば、特別な特恵がない限り、
千年過ぎてもその位置で暮らすようになります。
霊界の位置が平安な位置にいる人たちの後孫も
平安に暮らしています。
しかし、地上で自分の人生を過った人は、
霊界に来ても地獄のような不便な所で暮らすようになり、
後孫はいつも苦労し、様々な問題が生じるのです。
地獄の暮らしのように、霊界で苦痛を受けている
人を見れば、その周囲は暗く、監獄のように自由がないのです。
食べるものも、着るものもありません。
そのような位置にいる者の後孫の地上生活も開けていきません。
そのため占いを見に行ったり、祈祷師を探したりします。
そうして、先祖の問題が発見されると、
祈って精誠を捧げます。
そうすれば霊界にいる先祖が特恵を受けます。
霊人は、その位置から移動したり、そこでの待遇が変わったりします。
それは誰がそのようにするのでしょうか?
それが、きょう話そうとする主題です。
☆
地上では金を使ったり、権力を借りたりしますが、
霊界にはそれがありません。
風が吹き、花が咲き、鳥が鳴くのは、誰かが命令したものではないように、
自分が変わるのも、誰かの命令によるものではありません。
自然に、自分が分かってそうするようになっています。
霊界の罪人も、後孫たちが精誠を捧げれば、
自然に自分が変わっていくことが分かります。
☆
地上でムーダン(巫女〈みこ〉)が踊りを踊りながら
先祖を呼び出すのは、その先祖にとって慰めになるだけで、
位置を変えることにはなりません。
しかし、次元の高い正しい祈祷によって特恵を受ければ、
神様の命令によって天国の使者が訪ねてきて、
より高い位置へ連れていきます。
☆
地上人の暮らし
それゆえ、地上の暮らしがとても重要です。
霊界で特別な恵沢を受けて位置が上がっていく
ということは、時間がかかりすぎます。
また無知なので、よく分からないのが常です。
ですから、いつも永遠の世界に焦点を合わせて生活し、
地上での人生を整理しながら暮らす人が、賢明な人です。
どうせ来るようになるこの国、誰も避けることができないこの国は、
必然的なものなのです。
ですから、瞬間を誤って暮らす愚かな信仰者にならないよう願います。
膨大なこの国の暮らしについては、すべてを表現することはできませんが、
一言で要約すれば、自分の人生の実であり、結実です。
自分の農作業の収穫です。
もっと易しく言えば、罪を犯せば地獄に、
善良に生きれば天国に行きます。
永遠の世界のために正しく生きなければなりません。
(一九九七年六月十六日)
世界平和統一家庭連合
(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第二章 霊界で見た暮らしと地上生活
五 霊界人と地上人の生活
『霊界の実相と地上生活』(8)
(blessed lifeより)
世界平和統一家庭連合
(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第二章 霊界で見た暮らしと地上生活
五 霊界人と地上人の生活
『霊界の実相と地上生活』(8)
(blessed lifeより)
☆
死後の世界、霊界は必ず存在します。
北谷先生の「死んだらわかるけど、それでは遅い」にもあるように、
地上の人生と永遠の世界は通じています。
すなわち、どんな人生を送るのか、
それが霊界の位置を決定してしまうのです。
最近、「明日死んでも悔いのない人生を生きよう」
そんな思いにさせられます。
でも、そう思って一日出発しても、
無駄な時間を過ごしたり、感情のままに行動する、
そんなこともあったりして、反省することも多いです。
今日も後悔しないように、精一杯の歩みを捧げていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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