松本ママの「信仰は火と燃えて」
今回は、『信仰と奇跡』です。
☆
翌年の夏、名古屋で伝道した竹内みつゑさんが、
実地訓練のために大阪にやって来ました。
ところが彼女が来て40日ほどたったころ、
息子が熱を出して死にそうだからすぐ帰って来い
という電報が来たのです。
彼女は困って「どうしたらいいでしょうか」
と相談に来ました。
「私は行くなとも、行きなさいとも言うことはできません。
あなたが帰っていけば息子の熱が下がるのか、
帰っても熱はそのままあるのか、それは私には分かりません。
神様に祈って、あなたの知恵と責任で考えてごらんなさい」
私にこう言われて、彼女は必死に祈って考えたようです。
神様のみ旨を進めていかなければならないことは分かっています。
自分が行ったところで死ぬべき子供が生きるわけではありません。
しかし行ってあげたいのが親の心です。
心は苦しいけれど、どうしたらいいのか、
彼女は非常に心配しながらその夜は寝たのでした。
☆
ところが翌朝、「ママ、私やっぱり行かないわ」
と、こう言うのです。
その訳を尋ねると、「ゆうべ夢を見たの」ということでした。
夢の中で彼女が歩いていると、道端で
人がどんどん車にひかれて死んでいくというのです。
また、水に流されて大勢の人が死んでいく。
それを見て、この人たちを助けなければいけない
と思っていると、
「ああ、私の子供たちを助けてくれっ」
という天の声が聞こえたというのです。
「私は、神様の多くの子供を救わなければいけないんです。
たった一人の自分の子供のために退くことはできないわ。
だから、私は行きません」
と、真剣な顔で言うのでした。
☆
そして、家には行かず、福岡の開拓へと出発しました。
するとその3日後、再び家から連絡が来て、
子供は3日間熱を出したが、
3日後に熱が下がって良くなったということでした。
彼女は、「天のお父様、私はあなたの大勢の子供を
救わなければならないのに、どうして
自分の子供のためだけに行くことができましょうか。
アブラハムも自分の子供を天の前に捧げました。
私は行きません。
どうか天のお父様、彼を守ってください。
よろしくお願いします」と祈って
子供が死ぬかもしれないという時に、
親として非常に苦しい、心が引き裂かれるような
心情で前進していったのでした。
その信仰があったからこそ奇跡が起こって、
3日目に子供の熱が下がったという知らせが来たのです。
こうして彼女は福岡の開拓者となり、
地区長までやるようになりました。
いろいろなことがありましたが、
くず屋と路傍伝道、訪問伝道、
そして日曜日のクリスチャンセンターでの
早天祈祷会と私の日々の生活は変わらず、
いじめられ、侮辱されながらも、
神様の心情を慕いながら1963年を過ごしていきました。
松本 道子・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
「信仰と奇跡」
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=13489
(blessed lifeより)
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
「信仰と奇跡」
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=13489
(blessed lifeより)
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前回の記事でもお伝えしたように、
竹内みつゑさん(長谷川夫人)は、
松本ママが名古屋で最初に伝道された方です。
その後、福岡で責任者をされていた時、
お父様が来日され、劇的な出会いを
もっていかれるようになります。
証しを読ませていただく中で、
アブラハムのイサク献祭の話を思い出しました。
愛する子供が熱を出したのに
み旨を優先して開拓伝道にまい進された・・・
これは家族や周囲から見れば
非常識にしか見えないと思います。
しかし、神様に祈った上での選択でしたから、
きっと天に守られたのでしょう。
長谷川夫人は、日本の草分け、
本当に何もない中を、基準を立ててくださいました。
今のこの時代は、家庭を愛することが
できるようになりましたけれども、
草創期の先輩たちは、み旨か家庭か、
どちらかしか選べない、
そのような局面を何度も通過されながら、
乗り越えてくださいました。
そういう先輩たちの歩みがあって、
今の私たちがいるのだ、ということを
決して忘れてはならない、と改めて思いました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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