李ヨハネ先生の1977年に語られたみ言より
「み言をすべては語れない先生」
続編です。
☆
(文先生は)アメリカに行かれた時は、
もっと(み言を)話すことができません。
韓国と比べると、アメリカに行くともっと話せないのです。
アメリカの食口は、国民性や生活風習が違うのみならず、
信仰生活も違うのでたくさん褒めてあげ、
かばってあげなければならない立場だからです。
アメリカでは先生がさっと入ってくると、万歳を叫びます。
「先生万歳!」を三回叫んで座っている彼らに
悲しいみ言を語ることができるでしょうか?
先生のみ旨と理念に感銘を受け、出かけて活動してみると
アメリカでは聞く人がほとんど歓迎し、
次々と食口になるだけでなく、世界的に神の摂理が拡大され、
継続して勝利の基台が広がるため、
心がふくらみ、喜んで従順に従うのです。
☆
しかし、韓国の食口たちは感じが違うでしょう。
先生が帰ってくるとまず悲しみが先立ちます。
そして先生の顔を見上げることができなくなります。
先生がこの地上に来て苦労されたことを
私たちは知っているので、私たちのような者を連れて、
どれほどもどかしがっておられるのかと
先生の立場を考えるようになるため、
顔を上げられないのです。
☆
外国に出て見回してみると、その次に
日本の食口が心情的であることが分かります。
日本の食口も初めは先生に対して
ただ好きであったのですが、
今や彼らも先生をかわいそうに思うことのできる段階に
上がってきました。
どうにかして先生の恨を晴らしてさしあげよう
という姿勢へと、成長して上がってきました。
☆
ところで韓国の食口は信仰が成長したというよりは、
他人の事情を自分の事情として感じる
血(感性)をもっているようです。
韓国ではイエスを信じない人でも、
イエスが無罪でありながらも
十字架で亡くなられたという話を聞くと、
心からかわいそうだと思います。
韓国民族は、悲しみを多く受けた先祖の後孫なので、
とても情的です。
私たちは他人の悲しみを見ると嘆き、
他人の気の毒な事情を見ると胸が痛くなります。
☆
そのため外国の食口が私たちの国に来て帰ると、
「韓国を忘れることができない」と言います。
日本ではそこにいる時はサービスはいいのですが、
去れば忘れてしまう国柄なのに、韓国は、
そこにいる時は日本のようにサービスは際立たなくても、
去ったあとに何かしら韓国に対する印象を
消してしまうことができないというのです。
世界のいろいろな民族の中で、
韓国民族が一番深い印象を与える民族だともいいます。
女性の行く道 1977年10月20日 中央修練所
☆
1970年代のみ言ですから、40年前です。
やはり、昔のことなので、
心情的にはご父母様の相対圏に立てていなかったのでしょうか。。。
先輩たちのご苦労によって、
エバの国、母の国の使命を与えて頂くまでになりました。
今でも、民族的、国民的な差というのは、
あるのかもしれませんが、
どれだけ天の心情、父母様の心情に通じるか
信仰と精誠を立てていくかが大切だと思います。
その人自身の求める度合いに応じて、
神様・父母様の心情に到達していくのではないでしょうか。
その背後には、真の父母様の勝利圏、
時代の恩恵圏というものが、あるのだと思います。
そのような時代に生きていること、
ともに父母様とみ旨を歩んでいることに
改めて感謝したいと思います。
続きます。
*李ヨハネ先生のお名前について:
李耀翰と書いて、イ・ヨハンというのが正式なお名前ですが、
日本では、李(リ)ヨハネ先生としてもお馴染みです。
ご父母様が、文鮮明(ムン ソンミョン) 韓鶴子(ハン ハクジャ)であるように
元老の方々のお名前についても、日本語読みではなく韓国語読みに変えるべきであるかとは思うのですが、
このブログでは、シリーズとなった《李ヨハネ先生のベスト・アンサー》で紹介するに当たり、
親しみを込めて李ヨハネ先生とお呼びしています。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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