2022年03月10日

私が神様がわからなかったのは、神が存在しないからではない 《周藤先生・自叙伝》

無神論の私に強烈な気づきを与えた、不思議な体験


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周藤健先生の自叙伝より
『おまえは誰かを、自分の生命以上に
 愛したことがあるのか』

1年間患った病気から、祈祷の力によって
劇的に回復した若き日の周藤先生です──


それまでの私は、単に神様が分からないというだけでなく、
神様を無視し、反対し、反逆していました。

そのように反逆する者を抱き締め、
じっと一緒に耐えてくださり、
悔い改めの涙にぬれる一週間を通過させて、
人生で初めて手を合わせたとき、その瞬間をばっとつかんで、
力を与え、癒してくださった神様でした。

この体験のおかげで、神様が存在していること、
神様が愛のお方であられること、
人間は神様と通じ合えることを理解することができました。

神様を否定し、無視していた私を、
神はお見捨てになりませんでした。

神様は、私の傲慢さが打ち砕かれるまで、
苦難の路程を通過させてくださったのです。
私が神様を呼び求めるのを待っておられたのでした。

悔い改めによって心が浄化された後、
神様は聖霊を送られ、私をかき抱いてくださったのです。

神様が分からなかったのは、神様が存在しなかったからではなく、
自分があまりにも不純な存在で、清い神様には
相対できなかったためであることが分かりました。


(とこ)を上げて、外を歩き始めたとき、
不思議な体験をしました。

一年間、家で横になっていたので、足が弱ってしまい、
思うように歩けず、 四、五日は家の周囲の百メールか
二百メートルくらいを行ったり来たりしていました。

そのとき、なんと、自然が私に語りかけてくるのです。
言語ではないけれども言語であり、
文章ではないけれども文章になっていて、
何と言っているかが分かりました。

自然は、「よかったね、よかったね」
「おめでとう、おめでとう」と言ってくれました。

万物には心があり、言葉があるのです。
私が癒されたことを共に喜んでくれました。
青空と風に揺れる木々の緑の葉は、
私のために踊っているようでした。
太陽も私のために輝いているように感じるのです。

このような感覚が一週間くらい続きました。
それまでこのような喜びをしたことがなかったので、
世界中の人々に大声で知らせたい気持ちでした。


この間、もう一つ教えられたことがあります。

それは、私は親戚にいろいろとお世話になったり、
愛されて恵みを受けたりしてきたのですが、
心の一番の奥底に、
『自分を本当に愛してくれる者がいない』
という思いがあったのです。

私は、『なぜ一人として、全存在をかけて
私を愛してくれないのだろうか』と考えました。

まだ、祈りとは言えない祈りの中で、
『おまえは誰も自分を愛してくれない
と思っているかもしれないが、
おまえは誰かを自分の生命以上に愛したことがあるのか』
という声にも似たインスピレーションを受けたのです。

『おまえは、一人も命を懸けて、
 愛した人がいない。
 だから、一人も命を懸けて愛してくれる人がいないんだ。
 分かるか』

これは、私には、ショッキングな体験でした。


このことが、後ほど私が、ろう学校の教師を何年か務め、
キリスト教会に入り、さらに再臨摂理に導かれる道へと
つながっていくことになります。

そのときは、このような自分自身を
どうすればいいのかという結論を持たないまま、
もう一度、大学に戻らなければならなくなりました。

私は大学の友人にお願いをして、下宿を探してもらいました。
一週間くらいたって、下宿が見つかったというので
行ってみると、そこは大阪府池田市でした。
下宿のすぐに隣には、キリスト教会がありました。

私はキリスト教に特別に関心があったわけではありませんが、
日曜日の朝、遅く目が覚めると、
美しい讃美歌が聞こえてくるのです。

その美しい讃美歌に引かれて、
私はキリスト教会に行ってみることにしまし た。
このことがやがてイエス様との出会いの道を
開いてくれることになるのです。



神様が存在することを知った時の喜びというのは、
格別なものだと思います。

み言を知り、神様と出会った皆様も同じような
体験をしてこられたのだと思います。

私は、神様がいると初めて信じたのが、2日修のあとでした。
それからライフトレーニングに繋がりはじめてから、
とても気分が浮ついたような、毎日が新鮮だったことを覚えています。

周藤先生は、「自然が話しかけた」と言われていますが、
真の父母様のような、創造本然の人間であるならば、
自然とも対話できるのかも知れません。

そして、学生時代、キリスト教会の近くに住まれたのも、
神様の導きですよね。

周藤先生が食口になるまでの一つ一つの歩みが、
しっかりと繋がっているのだな、と感じます。

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