松本ママの「信仰は火と燃えて」
今回は、『試練と導き』です。
☆
広島に行く人も九州に行く人も、
みんな一度は大阪に立ち寄るので、
私のいる所はおのずと出入りが激しくなりました。
当初借りていた部屋は二階でしたので、
階下のおじいさんが迷惑がり、
いつもいまいましいと思っていたのでしょう。
日曜日に聖歌を歌うと決まって
「うるさい! やめろ!」とどなるのでした。
ですから、私たちは遠慮して小さな声で歌わなければならず、
水道も下にしかなかったので、
とても不自由な生活をしていたのです。
けれども、お金がないので、すぐ引っ越すこともできず、
しばらくそこで我慢をしていました。
☆
ところがある朝のことです。
私が伝道に出掛けようと思って下りていくと、
おじいさんが下で待っていて「松本、きょうすぐ出てくれ、
すぐ引っ越してしまえ」と言うのです。
けれどもそれはあまりにもむちゃな話で、
12月の寒い季節にすぐ出ろと言われても行く所がありません。
そこで、「おじいさん、それは無理な話です。
1カ月余裕をくれませんか」と頼んでみました。
けれどもおじいさんは「すぐ出ろ」の一点張りで、
何を言っても聞き入れてくれません。
揚げ句の果てに「理屈を言うんじゃない、
このバカヤロー!」と言って、
思いきりこぶしで殴りつけたのです。
おじいさんは、軍人あがりなので力が強く、
私は脳震盪(のうしんとう)を起こしたようになってしまいました。
☆
その時の惨めさ、無念さに耐えかねて、私は、
はらはらと涙を流しながら立ちすくんでいました。
神様のことで論争して殴られるたら我慢もできますが、
「出て行け」と言って、神様のことなど何も知らない
無知な男に殴られたと思うと、たまらなく
無念な思いが込み上げてきて、絶叫したいほどでした。
その瞬間に、「ああ無念だ。なさけない! 悲しい!」
と、絶叫する涙の声が聞こえたのです。
「ああ残念だ、わが娘よ」という神様の声が、
ザーッと迫ってくるのです。
私の目からはらはらと出てくる涙が、
神様が泣いている涙のような気がしました。
神様の悲しい叫びと涙を見て、とっさに私は、
「お父様、泣かないでください。
大丈夫です。こんなこと問題じゃありません。
過去に多くの殉教者がいるではありませんか。
イエス様は十字架にかかったじゃありませんか。
このくらい殴られたって痛くありません」
と神様を慰めていました。
☆
そんなことをしているうちに、三回目、
四回目の拳がとんできました。
おじいさんは、真っ青になって「ハッハッ」と
あえぎながら殴っているのです。
私は、おじいさんを抱え、部屋の中に連れて行きました。
そして、水を飲ませ、背中をさすりたがら、
「おじいさん、きょう中に家を探しますから我慢してください。
気を鎮(しず)めてください。
すぐ出て行きますから」と言ってなだめ、その家を出ました。
外に出ると、殴られて髪も着物もくしゃくしゃに乱れた自分の姿が、
ドアガラスに映っていました。
その格好を見ると、再び無念の思いが込み上げてきて、
惨めでたまらなくなってくるのです。
路傍伝道用の旗を持って立っている自分の格好が、
乞食(こじき)のように思えてきて、
伝道に出掛ける力も出ず、どこかの公園のベンチで、
一日中でも泣いていたい気持ちでした。
☆
私の運命はどうしてこう惨めなのだろう。
どうしてこんなに殴られなければならないのだろう。
食べる物も食べられない。
着る物も着られない。
こんな惨めな格好をして伝道なんかできやしない。
人に笑顔で話もできない。
神の国が来るといって人に希望を与えることができない。
こんな惨めな私がどうして他人に
希望を与えることができるだろうか。
どこかへ行ってさんざん泣きたい。
そんな気持ちで、しばらくとぼとぼ歩いて行きました。
そのうち、「これはサタンの声だ!」とハッとしたのです。
☆
私は天宙復帰という偉大な使命を帯びているのに、
このくらい殴られけられたからといってそれが何だ。
イエス様は十字架にかかったじゃないか。
さっき、「天のお父様、泣かないでください。
私は痛くありません。
こんなこと問題じゃありません」
と言ったくせに、まさしく今の思いはサタンの声だ。
サタンよ退け!
どこかに行って座って泣きたいなんて
もってのほかだ。
☆
そう思い直すと私の心は強くなり、
訓練に来ていた河津さんを連れて
一日の歩みを始めました。
まず、くず屋を3時間ぐらいやってから関西大学に行って伝道し、
夕方は、梅田駅と天王寺駅で路傍伝道、
夜は他のキリスト教会の集会に参加して、
その日は特に一生懸命に働きました。
サタンの声に負けないで、自分の悲しみを押しのけて、
「お父様、心配しないでください」と言って、
夜の11時ごろまで頑張ったのです。
夜、そっと部屋に帰ると、黒板の前に座って
きょう一日やったことを神様に報告し、祈りました。
「天のお父様、私は負けませんでした。
あすも負けないでしょう。
あさっても負けないでしょう。
あすもこのおじいさんが私を殴っても、
私はくじけません。
早く他の家を探しながら、一生懸命やります。
絶対にサタンに負けて座ったりしません。
お父様、安心してください」
と、泣きながら祈ってその夜は休みました。
☆
その翌朝、6時ごろになると、また下のおじいさんが私を呼ぶのです。
私は「困ったな」と思いながら下りていきました。
ところが、きのうとは全く様子が違っているのです。
きのうは心臓まひを起こすほど怒ったおじいさんが、
きょうは私を抱き抱えるようにして、
「きのうは年がいもなくあんなことをして、
本当にすまなんだなあ。
あんたは神様の仕事をやっているのに、
私はそういうあんたを殴ったりして、堪忍しておくれ、
堪忍しておくれ」と泣くではありませんか。
あまりに意外な出来事に、私はただ驚くばかりでした。
その一週間後、思いの外早く家が見つかり、
引っ越すことができるようになりました。
引っ越しの日、手伝いに来ていた田中さんに、
そのおじいさんは「私は60年の人生を過ごしてきたけれども、
松本さんのような人格者は見たことがない」
と言っていたということでした。
西川先生にこのおじいさんの話をすると、先生はとても喜んで、
「向こうが謝ったということは、サタンの息子が
神の娘に自然屈服したということだ。
松本さん、本当によく忍耐したね」と言って褒めてくれました。
私の心が喜びに震えたことは言うまでもありません。
松本 道子・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
「試練と導き」
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=13570
(blessed lifeより) 11
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
「試練と導き」
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=13570
(blessed lifeより) 11
☆
おじいさんの迫害を乗り越えた松本ママ。。。
マイナス的な思い、弱気になることもあったのですね。
それでも強い信仰をもって、
見事に乗り越えていかれたのでした。
松本ママのような方がおられたので、
今の家庭連合がある、ということを思った時、
本当に感謝なことであると、切に感じるのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)