李相軒先生の霊界からのメッセージ。
「地上人と霊界人の違う点」の1回目です。
(後半は、霊界にいる人について語られていますが、
天国にいる人に限られる内容であって、
地獄などにいる霊人には当てはまらない部分もあります。)
☆
地上人
まず、地上人について調べてみましょう。
地上人は、肉身の目で見て、触って、行動します。
地上人は、いつまでという限定された空間の中で、
制約を受けて暮らしていきます。
例えば、人間は、10年、20年、60年等々の
期間にわたって暮らします。
また、地上人は、自分が願ったとしても、
すべてがなされるのではありません。
地上人は、自分が考えている心を
相手に正確に表すことができません。
地上人は、食べたいけれど、
自分が動かなければ、食べることができません。
そして、地上人は、空間の中で行動しますが、
自分の理想の世界を描くとき、考えだけで終わります。
また、地上人は、肉体的な苦痛を受けるとき、
それを解決する方法について、よく分からないのです。
例えば、信仰者は、祈祷などの方法で
解決しようとする人もいますが、
非信仰者は、病院に行って解決しようとします。
☆
霊界人
しかし、霊界人は違います。
霊界人は、肉体的な制約がないために、
自分の活動範囲が無限です。
例えば、見るとか、触るとか、行動するということは、
考えると同時に起こるために、時間がかからないのです。
霊界人は、手を挙げて品物を移すとき、
考えると同時になされるので、時間が短縮され、
誰かの力を借りなくてもなされます。
霊界人は、自分の思いが、考えようとした途端に
相手に伝達されるので、特別な言語の表現は必要ありません。
霊界人は、自分の論理展開が大変正確で明確だと
感じられるとき、その伝達事項の正否によって、
それが相手の顔にすぐに表れます。
したがって、相手の気分の表現を自らが悟るようになるので、
自分の事情も早く表現することができます。
☆
霊界人は、最初から人間は神様の被造物である
ということをみな知っているために、
神様の心を傷つけることはありません
(これが天国人と地獄人の差です)。
霊界人は、自分の分野で熱心に働けば、
その場で最高の権威者になるとか、
ある賞金が下りるとかいうことに対する欲望がないために、
いつも平穏な顔をしています
(この点は、天国と地獄との間に差があります)。
すなわち、霊界人は、衣食住の問題解決のために
悩まされることがないので、顔の表情がいつも温和で謙虚です。
☆
結論的に、地上人と霊界人の違う点を要約すれば、
地上人は限定された空間の中で、
限定された時間の制約を受けて暮らしていきます。
すなわち、衣食住の問題を解決するために、
忙しく活動するので、生きるのが大変で、苦しいのですが、
霊界人は、制約するものがないために、無限に自由です。
衣食住の問題のために神経を使うことがないので、
無限に明るく謙虚です。
これは自分の肉身生活の結果が、
天国人として結実した際に当てはまることです。
☆
霊界で見た相対性原理
『原理講論』や「統一思想」で論じられている相対性原理とは、
相対が互いに授け受けすることにより授受作用し、
合性一体化するとき、それを通じて喜びを受けることが、
すなわち神様の創造原理の根本です。
それについて霊界で見たものと、
地上で見たものの違う点を話そうと思います。
地上では、主体と対象が授受作用を通じて合性一体化すれば、
一つになるので喜びます。
ところが霊界では、授受作用を通じて合性一体化するとき、
一つになって喜びを感じることが、地上とは少し違います。
例えば、相手に与えて、相手が受け入れるのに、
時間的に与えて受けるのではなく、考えとともに
すぐに合性一体化するため、外見から見るときは、
授受作用するように見えないのです。
このような相対性原理による合性一体化は、
完成した個体が集まった天国で起きることです。
李相軒(光言社刊
『霊界の実相と地上生活』【霊界の様相編】より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第二章 霊界で見た暮らしと地上生活
六 地上人と霊界人の違う点
(blessed lifeより)(9)
『霊界の実相と地上生活』【霊界の様相編】より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第二章 霊界で見た暮らしと地上生活
六 地上人と霊界人の違う点
(blessed lifeより)(9)
☆
霊界は行ったことがないので、
今一つピントこない部分もありますが。。。
地上の世界よりは、はるかに自由で、
どこにでも行ける世界であると聞くと、
本当に素晴らしいところなのだと思います。
かつて、お父様も
「霊界(天国)はあまりにも素晴らしいところで、
みんな行きたくなってしまうから、これ以上話さない」
そんなみ言を語られたことがあると記憶しています。
なによりも、天一国主人としての
自覚をもって、生活することの重要性を感じます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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