草創期、まだ正式な教会な教会として
登録するずっと前、
李ヨハネ先生が来られた頃の証しです。
☆
当時の集会は、はっきりした形式はありませんでしたが、
み言の宴会のようにそわそわしていました。
毎日人でにぎわっているので、
いつも聖日のような雰囲気でした。
働き蜂が蜜を運んでくるように、
各自が家から様々な物を持ちよってきました。
ある人が餅を作って来れば、ある人は食べ物を支度して来て、
み言を聞いて腹が減ると、時々準備した間食をとることができました。
先生のみ言を聞くと、時間の経つのも忘れてしまいました。
先生ご自身も寝る間もなく、み言にみ言を語り続けられました。
私の場合は朝食を取り、教会を訪問したり伝道対象者を訪ねたりして、
いつも夕方になって帰って報告しましたが、
先生は助言をくださりみ言を続けて語ってくださいました。
☆
その当時は、各自が生活報告を先生にしました。
家庭であったこと、教会で起きたこと、
各自の居所で起きたことを報告すると、
先生はその報告を聞いて
「こうしなさい。ああしなさい」と直接指示されたのです。
各自がみ言の通り暮らしたので、
話す内容が多く啓示を受けることが多かったです。
先生は報告する人たちごとにみ言を語られたので、
少しの時間もその場を離れることができませんでした。
時々胸苦しいときには、昼にちょっと凡一洞(ポミルドン)の裏山へ登られたし、
水晶洞(スジョンドン)では私も一緒に何度か登りました。
裏山を一周して来ると既に人々が集まっており、
彼らを相手に再びみ言を語られました。
☆
先生はご自分がどんな啓示を受けた
ということを語られたことはありませんでしたが、
食口たちの生活をすべてご存じでした。
山に行って不意に帰って来られたので分からないはずなのに、
そのとき家にどんなことがあったのかすべて知っておられ、
食口たちがどんな心を抱いているか見通しておられました。
誰かが先生の前で疑いを持つと、
それも分かり恐れているとその理由も皆ご存じでした。
また先生が冗談を言われるとき、
誰かが人間的とか批判的に考えて座っていると、
その心を皆明らかにされました。
毎日先生と暮らしている人も、
霊的役事によって恩恵を受けたときに弾んだ心が、
平常時のように静まって行くのを知り、
良くない心を指摘されました。
そして与えられるみ言の内容は題目をおかないで、
そのときそのとき各自の心霊を指導されました。
☆
相談のように各自の家庭の話、教会の話を聞いてみ言をくださり、
平壌であったこと、例えば獄中生活、腹中教や聖主教団の話、
平壌で会った人たちに対する話をされました。
また先生のお母様が面会に来られたときの話、
一緒に過ごした牧師の話、ソウルで牧会するとき
ジャンパーを着て説教された話をされ、
イエス様の悲しみ、神様の悲しみに対してのみ言を多く語られました。
特にその当時は悔い改めに対するみ言を多く語られ、`
信仰に対するはっきりとした姿勢を持つよう語られました。
先生ご自身も多く泣かれ、食口たちもイエス様の悲しみ、
神様の悲しい事情を聞き、よく泣きました。
またカイン・アベルに関するみ言が
当時の主な内容であったとすれば、
七〇年前後には蕩減法に関するみ言を主に語られ、
最近に至っては、真の愛に関するみ言をよくされるのをみると、
信仰の段階によってみ言をくださっておられるようでした。
☆
まだ、数少ない食口たちの集まりでしたが、
霊的な役事が起こり、みんな復活していたんですね。
お父様から直接指示を受けたなんて、
本当にうらやましい限りです。。。
地上では持つことができませんが、
霊界に行ったとき、こんな生活が出来たらな・・・
なんて思ってしまいました。
『各自がみ言の通り暮らしたので』
とありますように、
今の時代圏であったとしても、み言を守り、
天の伝統を守っていくならば、
霊的な役事が起こりうる時であると思います。
続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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