自己牧会プログラム
今回は、「捜し物が輝いてそこにあった」です。
☆
(女性 60代)
自己牧会プログラムで、
「天の父母様(神様)に祈ると、
天宙的・世界的な解答が来て、
私だけの神様である良心に祈ると、
私にふさわしい答えが来ます」と教えられ、
とても納得して実践しています。
最近、良心に捜し物の場所を教えてもらうという体験をしました。
提出する報告書に個人コードを
記入しなければならないのですが、
それが記されているファイルが見当たりません。
いつも入れてあるはずのボックスになく、
その周りにもなく、「困ったなぁ、
おかしいなぁ、外には持ち出してないのに」と、
だんだんイライラしてきました。
やがて、「ああ、私は一体何をしてるんだろう!」
と自分を裁き始めた時、
「スマホが見つからなくて、良心に聞いたら教えてくれた」
という証し(「良心は私の全てを知っている」を参照)を思い出し、
「そうだ、良心に聞いてみよう」と思い立ちました。
☆
自覚を取り戻して良心にアクセスし、
「良心さん、あのファイルはどこにありますか?」
と尋ねながら、もう一度周辺を見て、
報告書を記入中の机を見たら、あれっ、ちゃんとありました。
資料の上に他の書類が重なっていて気付かなかったのです。
私の感覚としては、その時、
わずかにはみ出ていた資料の端が輝いて見えました。
気付かせてくれた良心に感謝し、
自分を否定したことを謝って、事なきを得ました。
自己牧会プログラムでは、
「思考に呑(の)み込まれずに自覚を取り戻した時、
全てがはっきりくっきり見えます。
それが神様と共にある生活です」
と教えていますが、それを実感した出来事でした。
私の心の中にいる神様 106
捜し物が輝いてそこにあった
(blessed lifeより)
捜し物が輝いてそこにあった
(blessed lifeより)
☆
今回、証しをしてくださった方のように、
50代、60代になってくると、
忘れることって、多くなってくる気がします。
私事ではありますが、先日のことです。
事務所に物を取りに入った時、
部屋にいた総務の婦人とちょっと会話しただけで、
何を取りにきたのかわからなくなってしまいました。
これが一度や二度ではないのです(笑)
総務さんが、
「ちょっと戻って、また部屋にはいったら思い出しますよ」
そうやってみると本当に思い出したりして。。。
日常生活のちょっとしたことですが、
良心に尋ねることをクセにしていると、
導かれるのだと思わされます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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