2022年03月26日

マルタ的見方をする人は、多い 両親にみ言を伝えるときは、洗礼ヨハネを立てるべし 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言より、
マルタとマリヤを題材とした話の
3回目です。


マルタの見方


私たちは、人を習慣的に取り扱うことが多いのです。

だから、私たちはよく知っている人、
小学校の時からよく知っている人には、
なかなかみ言を伝えにくいのです。

なぜかというと、小学校当時と同じと思って、
「おい、お前、今どういう意見をもって、
どういう位置で、価値をもったのか?」と言うからです。

歳は同じだけれども、今まで会わなかった期間、
統一教会に来て特修を出て、伝道を三年くらい
したあとに会った時には、その人は子供の時は知っていたけれども
この三年間の私たちは知らなかったのです。

ですから、(その人が)謙遜になって、
「どんな内容をもったのだろう、
どんな価値をもったのだろう」という思いで尊敬すれば、
私たちはその友達に昔の因縁を土台として
自分の秘密が話せるようになるのです。

それなのに、小学校時代に遊んだ者と決定して
扱うものだから、言おうとしても言えない。

言っても、「でっかいことを言うな、
いつそんな哲学者になったのか。
世界的に人類を救う? 
でっかいこと言いやがって」と、
かえって冗談話になってしまう。


だから皆さんも、み言を悟ったあとに、
父母のところへ行ってはいけないのです。

なぜなら、み言によって神様と因縁を結んで、
神にとって貴重な自分だということを信仰して帰ったのに、
自分の価値を知らない人は、以前と同様に
自分の産んだ者として、無価値に取り扱うからです。

入信したあとには、以前知っていた者と会っても、
かみ合わないのです。
だから会わない。

ではだれを通じて会うか? 
必ず中間の人を通じて会うのです。


お父さんお母さんには、自分が会わずに
自分の友達を通じて話すのです。
両親の知らない、自分の親しい友達に
家に行ってもらうのです。

その人が何回も行って、あなたの息子であるけれど
私は先生として侍るんだという心情でもって、
「あの先生、私たちの教会長……」と侍れば、
両親は、今現れた青年が自分の息子を先生と
言って侍ってきたので、
自分がその人の前で「お前!」と言えないのです。

「なぜ息子のことを先生とあなたたちは言っているのか」。

「ええ、立派な人で、兄弟(教会員たち)に尊敬されているし、
こういう内容をもっている」。

「ああ、そうですか」と、友達を通じて
自分の息子がああいう内容をもっている、
社会的信用をもっていると思うのです。

直接に行けば、外的に血統的に見るから
無視されてしまう。
霊的に相当損をしてしまうのです。


マルタは目に見えるもので判断したのです。

ハム(ノアの息子)もお父さん(ノア)の裸になった体を見て、
その原因を知ろうとしないで、
ただ外的に見たから恥ずかしくなったのです。

それも同じ考え方です。
今まで尊敬していたのなら、
酒に酔ったお父さんを見た時も、
尊敬しながらその理由を知ろうとしたなら、
ハムは失敗しなかったのです。

「なぜ今まで飲んだことのないお父さんが飲んだのだろう。
今までのお父さんと、全然違ったきょうの
この結果が現れたのはどういうわけだろう。

神様から何か啓示を受けてなのか、私たちに原因があるのか、
お父さん自体が酒が好きになってそうなったのか。
これはどういうわけなのだろう」。

こういうふうに分かろうとすれば、失敗しないのです。

8.永遠に生きる信仰
「マルタの見方」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰

(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


人は、外見や過去に出会った人として、
判断してはいけない、ということですね。

そういう意味でも、「私」を証ししてくれる、
信仰の子女を立てることが
どれだけ重要であるか、と感じます。

今、真のお母様に侍る義人たちも
どんどんと現れてきています。

家庭連合を「統一教会時代のままである」
そのように見つめる人たちもいます。

時代が変わっていることを知ってほしいし、
過去のままで見つめて欲しくないと思います。

また、「私自身」も本当の意味で、変わった、といえるように、
義人を立てる歩みをしていかなければ、と思うのです。



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posted by ten1ko2 at 09:03 | Comment(1) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする