浅川先生の「天活”のすすめ〜天国への準備はできていますか」
今回は、『お好み春夏秋冬』です。
☆
私たちは、1日24時間、朝、昼、晩のサイクルで、
当たり前のように生きています。
地球が自転しながら、太陽の周りを公転しているからです。
太陽の側になったときは昼となり、
反対側になったときには夜となります。
こうして、朝、昼、晩が生じるのです。
ところが、霊界では、地球が24時間で1回転する
という原則がありません。
そのため、朝昼晩の順番がないのです。
天国人の好みで変わります。
☆
地上で暮らす人たちが、朝に起きて夜に寝るように、
霊界生活においても、起きたり寝たりすることができます。
しかし、朝に起きて、夜寝るというのではなく、
朝も夜も考えによって変わるようになります。
朝がすがすがしく散歩に最適だと考えれば、
気のすむまで朝が続きます。
少々眠りたくなったら、周囲が暗くなって、
たちまち夜に変わります。
時間によって状態が変わるのではなく、
人の心に合わせて変わるのです。
お好み朝昼晩です。
☆
この世では、日本には春夏秋冬の四季があります。
春になれば、暖かくなって、桜が満開となり、
タンポポが咲きます。
夏になれば、太陽がまぶしく、
セミが鳴き、ひまわりが咲きます。
秋になり、木々は紅葉となり、コスモスが咲きます。
冬が到来して、雪が降って、肌寒くなります。
この世では、時と気温の変化によって、
咲く花の種類が変化し、木々の葉の色も変わります。
☆
ところが、天国では、天国人の心によって変化するのです。
天国人が、桜の満開を堪能して、
春の気分を味わいたければ、
桜はたちまち満開となります。
冬の気分も味わいたければ、
桜の花に雪が積もるのです。
春に咲く桜の花に、冬の雪がアレンジされ、
摩訶(まか)不思議な光景が目の前に展開します。
霊界の自然は季節によって変化するのではなく、
天国人の好みによって千変万化するのです。
春の次に秋が、秋の次に夏が、夏の次に冬が到来し、
さらに季節が混在して見事な演出をするのです。
地上においては春夏秋冬という
四季による変化がはっきりとしていますが、
霊界においては人間の心によって春が訪れたり、
夏が訪れたりと、季節の多様な姿を現しています。
☆
地上と違う点は、四季の期間が
一定に定まっていないという点です。
そのため天上には常に美しい季節が続くこともあります。
地上においては美しい紅葉は秋にしか見ることができませんが、
天上ではいつでも美しい紅葉を見ることができるのです。
人間の心の状態によって木そのものが美しい紅葉に染まるし、
木や花や草などが人間の心に共鳴し、
色とりどりの紅葉に変わったり、
草原に変化したりします。
浅川勇男・著(光言社刊
『“天活”のすすめ〜天国への準備はできていますか』より)
第一章 天国の自然環境
お好み春夏秋冬
(blessed lifeより)3
『“天活”のすすめ〜天国への準備はできていますか』より)
第一章 天国の自然環境
お好み春夏秋冬
(blessed lifeより)3
☆
(あくまで真の愛をもった
天国人のいる天国での内容で
すべての霊人に当てはまるものではありません)
天国人のいる天国での内容で
すべての霊人に当てはまるものではありません)
天国の自然環境は、『お好み朝昼晩』であり、
『お好み春夏秋冬』である、ということですね。。。
地上での常識が覆されるというのは、
なんとも不思議な世界ですね。。。
改めてのコメントになりますが、
これは、浅川先生の持論ではなく、
統一原理を解明された文鮮明先生のみ言を元に、
浅川先生がまとめられたものです。
文鮮明先生は、お若いころから
霊通されて、あらゆる体験をされ、
そのことを土台として、
霊界に関して、私たちに示してくださいました。
もちろん、上述の補足のごとく、
真の愛を体恤した、天国人が行くところである、
そのことを理解しなければならないと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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