松本ママ奮戦記『信仰は火と燃えて』は、
いよいよ終わりに近づきました。
最終話の「世界に広がる救いの輪」を
2回に分けて紹介します。
☆
1974年アメリカのマディソン・スクェア・ガーデンで、
先生の大講演会が開かれました。
(1973年に脳血栓で倒れたのですが、なんとか回復し)
この時にはまだびっこをひいていましたが、
私はどうしても先生の講演を聴きに行きたくて、
「なんとかしてほしい」と懇願すると、
本部の人たちが奔走して、春日千鶴子さんを
付き添いにつけてアメリカに行くことが
できるようにしてくれたのです。
当日は、2万人もの人が入りきれずに場外にあふれ、
大変な混雑でした。
その中で、二列目のスペシャル席で西川先生と
並んで座らせていただき、胸をわくわくさせて
文先生が出てこられるのを待っていました。
☆
瞳(ひとみ)をじっとこらして先生の顔を見上げると、
その目にはなんと涙があふれているではありませんか。
その涙を見ると、これまで先生が歩んでこられた
険しい涙の道が、走馬燈のように浮かんできました。
16歳のときに天の啓示を受けてから、
生きて十字架の道を歩いてこられたのです。
涙と汗と血を流し、神様のみ旨のために
歩んでこられた先生は、韓国、日本に土台を築き、
ついに現代のローマであるアメリカヘと渡られたのです。
そして、苦労に苦労を重ねてアメリカの人々を伝道し、
その土台の上でこの日、3万人の聴衆を前にして
講演をするまでになったのでした。
☆
この大会は、50州を講演して回った
最後の締めくくりとしての大会でした。
韓国でお会いした先生は、
本当にかわいそうなお父さんでした。
ところが、今やアメリカまで来て、
会場からあふれんばかりの聴衆を前にして、
「キリスト教の新しい未来」というテーマで、
堂々と講演をしているのです。
この日を、天の父はどれほど待っておられたことでしょう。
また誰よりも、先生御自身が待っていたこの日なのです。
この喜びの日を迎え、天の父の喜びを感じて、
感極まって涙を滝のように流しているのでした。
講演会は大成功のうちに終了し、
私の心は喜びに満ちていました。
そして、“ああ、先生はこれからますますアメリカで活躍される。
私も寝てなんかいられない!”と
すぐ日本に帰国したのでした。
☆
1976年には、ヤンキー・スタジアムで
さらに大規模な講演会が催されました。
その時も参加しましたが、天のみ旨が
アメリカでどんどん発展しているのを見て、
私はうれしくて仕方ありませんでした。
人に支えてもらわなければ歩くこともできない身で
ありながら、道を歩いているとうれしくて、
自分が病気だなんて忘れてしまうほどでした。
ヤンキー大会の時には、大変なハプニングがありました。
昼まで天気が良かったのに、
突然嵐のような雨が降ってきたのです。
ヤンキー・スタジアムには屋根がありません。
私はどうなることかと驚き、
「天のお父様、この日をあなたは待っておられたのに、
どうして雨を降らすのですか」と祈っていました。
兄弟たちは雨の中で歌を歌い始めました。
どうすることもできない状況の中で、
大会の責任者である神山さんが
「先生、だめです」と泣いて訴えると、
先生は「そんなこと言うんじゃない」と
とても怖い顔をされました。
この時は、先生にとっても
深刻なひとときだったのでしょう。
ところが大会の開始時間が近づくと、
嵐のような雨がうそのように晴れ上がり、
星まで見えてきたのです。
まるで奇跡を見ているようでした。
☆
こうしてヤンキー大会も5万人の人を集めて
大成功のうちに終わり、その4カ月後には、
ワシントン・モニュメントにおいて、
なんと30万人の人を集めてフェスティバルが開かれたのでした。
そこには世界中の人々が集まり、
気絶せんばかりのすばらしさでした。
イエス様はどんなにかローマにおいて、
このような大会を開きたかったことでしょう。
その恨みを晴らすかのように、
先生は世界中の人々を前にして、
神様の心情と願いを堂々と語られたのでした。
この先生の力強い言葉は、人々を励まし希望を与えました。
こうして多くの人々が復活していく姿を
見ることは、私にとって限りない喜びでした。
この喜びは私の体にいい影響を与え、
血の循環も良くなって、目に見えて快復していきました。
松本 道子(1916〜2003)・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
「世界に広がる救いの輪」
信仰は火と燃えて 17
世界に広がる救いの輪
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=14060
(blessed lifeより)
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
「世界に広がる救いの輪」
信仰は火と燃えて 17
世界に広がる救いの輪
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=14060
(blessed lifeより)
☆
マジソンスクエアガーデンでの大会は、
お父様のアメリカでのデビュー戦、
といったようなものでした。
お父様を間近で見られた松本ママが、
お父様の涙をみられた、と言われていますが、
そのようなお父様だったとは、今まで知りませんでした。
お父様においては、やはり、感慨深いものが、
あったのだろうと思います。。。
松本ママの信仰手記の最終話より、
今日は、真ん中の部分を抜き取って、
ご紹介しました。
次回は、お話が前後しますが、1973年に
松本ママが倒れられた時のお話からお送りします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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