2022年06月30日

つらく悲しいときに 落後者にならないために・・・ 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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パロの夢を解釈するヨセフ


李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生
「幸運な者、ヨセフ」の〆となります。


 
悲しみに出遭っても大きな希望をもつ

神は悲しみの神でいらっしゃいます。
御自分の願いをこの地上に成就させることができず、
人間の僕となって、昼夜仕えてこられました。

人間が罪のために悩むとき、
その罪の荷を引き受けてこられたのであり、
時代ごとに個人と家庭を立てて、
御自分の国をつくりあげるために、
不信を受けつつ、悲しみと恨みの道を歩まれたお方です。

私たちの短い信仰の道程の中においてさえ、
神は私たちのためにどれほど苦労されたでしょうか。

この世からつまはじきにされる道だということを
覚悟の上で入ってきた私たちではありますが、
私たちが途中でためらうとき、
神は私たちに冒険をさせ、
決断を下させたのではないでしょうか。

御自分は高貴な道、永遠なるものをもっておられ、
人間にそれらを与え、
連れていこうとされる立場であるにもかかわらず、
私たち一人一人に懇願しながら、そして
私たちを慰めながら、励ましながら
導いていかなければならない神ではなかったでしょうか。

このようにつらい悲しい道を行かれた神であるがゆえに、
苦労の、悲しみの道を行く人と
共におられる神でいらっしゃるのです。

悲しいことに出遭っても、大きな希望を抱く者を見るとき、
神は彼と共におられるという事実を、
ヨセフの路程を通してはっきりと知ることができます。

私たちは、わずかの苦労、悲しみでも、
自分の弱さを弁明し、自分を支持する同調者を
求めようとしますが、ヨセフは心を強くもって、
自分の責任を探して進み行きました。

私たちが恨み言を言うとすれば、
その背後におられる神を
より悲しませてしまうことになるでしょう。

私たち以上に、悲しみと恨みの心情を
抱いているお方がいらっしゃいます。
「苦しい」と言うのをやめましょう。
私たち以上に、無念な思いで
苦労されているお方がいらっしゃるのです。

原理的に見れば、だれもが
ヨセフのような道を行かなければなりません。
だれもが、原理の道を行くようになっています。

神が人間に対する願いがあり、計画があり、
私たちが行くべき原理の道を与えておられるのです。

私たちはどのような峠を越えて、
この道に入ってきたのですか。

私とは、神が共におられることのできる
峠を越えた私でなければならないのです。

過ぎた日の苦労したことを、
今になって後悔する人はいないでしょう。

純真な気持ちでみ言に従った私たちですが、
ちょっとした苦労を「嫌だ」と言って
士気を落としてしまい、戻ろうとしても恥ずかしく、
進むには誇るべきものがなくて、
悩んでいるという人はいませんか。

「このような落伍者になる人は、
私たちの周囲にはいない」とは言えないのです。

「信じたのは、現実を知らない
愚かさだったのではないか」と悩む人もいます。

自分よりも良い生活をする信仰の先輩を見て、
その人の背後にある天との関係を見ることはしないで、
打撃を受ける人もいます。

カインは、アベルと天との関係を見て
寂しく思い、打撃を受けました。


    
役事は悲しみを神と共に味わってこそ

今日の私たちの課題とは、
どのようにして天国を実現するかということです。

果たして神が自分と共にいてくださるのか、
悲しみと恨みの道に出遭ったとしても、
ヨセフのように雄々しく、一つの中心に向かって
進んでいくことができるだろうかということです。

神も悲しみを抱いたお方です。
イエス様も苦労と悲しみの道を歩まれました。
私たちの師も、悲しみに浸った
苦労の道を歩んでおられます。

私たちには、いまだ苦労と悲しみを
味わいながら行く道が残されています。

私たちは家々を回りながら、
「苦労を通して悲しい心情を味わうために
行くのだ」このように考えなければなりません。

「私が行く所で天が証してくれるかどうか見てみよう。
受け入れない人に対して、天が審判するかどうかを
見てみよう」と安易に考える道でなく、
私たちには、悲しみに遭わなければならない道が
残っていることを知らなければなりません。

その悲しみを共に味わう者を通して、
神が役事されることを、きょう、
ヨセフの路程を通して学びました。

14・幸運な者、ヨセフ
「悲しみに出遭っても大きな希望をもつ」
「役事は悲しみを神と共に味わってこそ」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰

(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


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ヨセフがヤコブと再会


苦しい時、悲しい時、「私だけ・・・」
という思いになってはいけない、のだと思います。

神様もともに苦しみ、悲しまれてきたのだ、
そのことを実感することができるとするなら、
神様をもっと身近に感じることができるでしょう。

お母様が神様の心情を話される時、
すぐに泣かれる姿を見るたびに、
ともに苦しみと悲しみを乗り越えてこられたからだ、
そのように思います。

神様とともに心情を共有する、
そんなものになっていきたいと思うのです。




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2022年06月29日

独生女を叫ぶとサタンの不可侵圏ができる! キリストと出会った幸運 《入山部長》



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入山部長のみ言。
「キリストに出会った奇跡」
を一部抜粋して紹介します。
『創造原理と聖霊』です。


聖霊に関する真のお父様のみ言です。

「聖霊とは何ですか?
 聖霊は聖霊なのですね。

 ハトのような聖霊、水のような聖霊、
 油のような聖霊、そう言っているのですが、
 くだらないことをよく言っています。

 それで、何の神様ですか?
 母の神様なのです。
 母の神様。

 この母の神様が、霊的に基盤を築いて
 実体の体をもって来られる主と
 実体で互いに会うことのできる時が、
 まさしく小羊の宴をする時なのです」
『宗族的メシヤ』70~71ページ



小山田秀生・神日本元老牧会者会会長(43双)は
次のように説明しています。

「聖霊とは、イエスが肉体をもって完成したときに、
 イエスの妻の立場に立って神の理想を実現する人に入る神の霊です。
 母の霊、妻の霊です。

 ところが、イエスが十字架にかかって亡くなったため に、
 形を持たない母の霊、妻の霊となりました。
 ですから 『助け主、慰め主、贖い主なる聖霊』というのです。

 人間の堕落を見ると、エバが動機となりました。
 それを償うために、聖霊は神の方向に
 信仰を持たせる母親の役割をするのです。

 ですから、聖書は、イエスを信じても
 聖霊によらなければ、誰も『イエスは主である』
 と言うことができないと言っています。

 聖霊の働きによってイエスにとりなしをしてもらい、
 神との間をとりなしてもらうのです。
 それで聖霊が地上のキリスト教を全部担当し、
 イエスは神の身代わりとして霊界を動かしていきます。

 これが教会におけるイエスと聖霊の関係です」



このように、聖霊とは「母なる神」です。
神様の創造理想の中にあった母の位置、
それが実体化した女性こそが聖霊です。

しかし、エバが堕落したため、
その位置は空席となりました。

その位置に立つべきだったのが
イエス様の相対者として準備された女性でしたが、
悲しいことに実体を迎えられず、
そのまま空席となっていたのです。

ですから、復帰摂理歴史とは
「聖霊の実体」を探し求めた歴史とも言えます。
これは、神の創造原理を知らなければ分からないので、
堕落人間には聖霊が理解できなかったのです。


しかし今、私たちは、はっきりと知っています。
現代は、聖霊の実体である韓鶴子・
真のお母様が顕現された奇跡の時代なのです。

真のお母様が、「私が独り娘だ」と宣言されると、
「お母様を特別視する言葉だ」
と言って騒ぐ人たちがいました。

しかし、原理的に考えてみれば、答えは明白です。
あまりに騒ぐので、私はむしろ、
「サタンがいちばん恐れる言葉なんだな」と思いまし た。
「独り娘」と叫べば、サタンが退くのです。


ところで、皆さんは自分の口で何回くらい、何人に、
「韓鶴子・真のお母様こそ聖霊の実体であり、独り娘である」
と宣布したことがあるでしょうか?
意外とないのではありませんか?

地域集会 という「場」づくりをしている目的は、
その宣布のためです。

教会や地域集会、家庭で
「韓鶴子・真のお母様こそ独り娘である」
と大反響させれば、そこにサタン不可侵圏が生まれ、
良いことがたくさん起こってくるでしょう。

真のお母様は「真の父母」であり「キリスト」なのです。
私たちは今、そのお母様と共に歩んでいます。

どれほど感謝なことでしょうか。
どれほど奇跡的なことでしょうか。
私たちは生きてキリストに出会った幸運な者たちなのです。

冒頭のみ言のように、
人類はその方を探し求めてさまよってきたのであり、
その方が私たちの信仰の目的であり、
希望の目的であり、愛の目的なのです。

伝道局副局長 入山聖基
地域化礼拝シリーズ
第7回「キリストに出会った奇跡」
世界家庭2021年6月号



神様が準備していた母の霊。
本来ならばエバに宿るべきものでしたが、
エバが堕落したために、
メシヤの相対に準備しました。

しかし、イエス様は真の父母になれなかったので、
その霊が真のお母様に宿られた、というのです。

【「韓鶴子・真のお母様こそ独り娘である」
と大反響させれば、そこにサタン不可侵圏が生まれ、
良いことがたくさん起こってくる・・・】

いわゆる「真のお母様と一つになる」
このことによって、奇跡が起きる、ということだと思います。

私は、このことを確信し、一つになろうと思っている者の一人です。

毎日、毎分、毎秒、証ししていきたいし、
宣布しながら、ともにある者になっていきたいと思うのです。


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2022年06月28日

美容院で、また来たいと思えた出来事 良心のお蔭で神(髪)対応 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラム。
今回は、「起こる全てのことに意味がある」です。


(女性 50代)

美容院に髪を切りに行った時のことです。

待たなくて済むように朝一番に行ったおかげで、
2番目に並ぶことができました。

少しの間に後から何人もお客さんが来て、
お店はたちまちお客さんでいっぱいになり、
早く来てよかったと思いました。

美容師さんは、50代くらいの男性一人でした。

やがて美容師さんが、「座ってください」と言ったのですが、
私ではなく、後ろにいた70代くらいの婦人に
言っていると思って、動きませんでした。

すると、美容師さんがイライラした様子で、
大きな声でもう一度「座ってください!」と言ったのです。

それで「あぁ私のことか」と気が付きましたが、
怒られたようで、一瞬嫌な気持ちになりました。

「自己牧会プログラム」に出合う前の私だったら、
間違いなく、「もう二度とこんな美容室、来ない」
と固く決意して、気まずい時間を黙って過ごしていたと思います。

でも今は、「自己牧会プログラム」を通して、
「起こる全てのことに意味がある」と学んできたので、
思い直して、嫌な気持ちを手放すワークをしました。

すると、「あの美容師さんは、一人でたくさんの
お客さんをさばいていかないといけないから、
いっぱいいっぱいになっているんだな。
だから、自分の思いどおりに行動しない
客に対してイライラしてしまったんだ」と、
美容師さんの気持ちを推し量ることができました。

また、そこは安いチェーン店なので、
お客さんも私のような中年のおばさんや高齢者ばかりで、
話が通じないことも多いんだろうなと、
同情する思いも湧いてきたのです。

私はもともと話すのが苦手なので、
カット中は黙って雑誌を見ていることが多いのですが、
その時は美容師さんと話をしてみたいと思いました。

私の番になったので、まず
「先ほどは気が付かなくてすみません」と謝ってから、
待っている間に見た縮毛矯正のことについて尋ねて、
髪の悩みを相談してみました。

美容師さんは、ぶっきらぼうでしたが、いろいろ教えてくれました。

役に立つ情報に感心してお礼を言うと、美容師さんは、
会計の時にクーポン券を2枚もくれて、
「ぜひ一度、試してください」と言ってくれたのです。

誰でも、褒められ、感謝されたら、
心の固い壁がなくなるんだなぁと思いました。

以前だったら、目の前の相手の堕落性ばかり見て主管され、
嫌な気持ちになったまま終わっていたのですが、
今は相手の事情や心情を思いやり、
寄り添うことができるようになったのが感謝です。

自分自身も気持ちがスッキリし、
クーポン券ももらえたし、また行こうと思いました。

何でもない日常の中に天国を見いだしていくことに
喜びを感じた一日でした。

私の心の中にいる神様 127
起こる全てのことに意味がある


「何でもない日常の中に天国を見いだしていく」
本当にそうですね。。。

私たちは、み旨を歩んでいるわけですが、
日常生活も、ある意味では「み旨」だと思います。

そういう意味では、心情の転換、切り替えが必要な時があります。
そのために、自己牧会プログラム、心に神様を迎えること、
これがとても大事なことだと思います。

「起こる全てのことに意味がある」
天一国の民として、天の心情をもって、
日々の生活を成す私でありたいと思います。




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