2022年06月21日

自然の中で悟りと教育を! HJモナパーク 千年樹アララギ奉献式祝祷《映像も》



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2000年の歳月を生きてきたアララギの木が、
80年経ったナナカマドの木を抱き、母親が、子どもを抱くような形をした
オモニワン・千年樹アララギ
(HJグローバルニュースより)


「HJモナパーク
千年樹アララギ・森の道奉献式」での
真のお母様の祝祷です。


尊貴なる天の父母様。
失った子女を探し求めてきた歩みは、
どれほど大変で寂しかったでしょうか。

きょう發旺山でこの日を迎え、あなたが
数えきれないほど「求めなさい、探しなさい」
と語られたそのみ意を深く推し量り、
發旺山、モナパークを中心としたこの場所に、
息子と子女たちは、これまで天がこの一日のために
準備してこられた実質的な記録の歴史を
きょう探し出し、天の前に奉献する、
このうれしく感謝するこの日がくるまで、
あなたの創造理想実現のための、
その遠大なる美しい夢を成すために、
どれほど、どれほど苦労してこられたでしょうか。

二千年前、イエス・キリストを探し出されるまで、
四千年という蕩減復帰の苦しい歳月を経て、
あなたはもう一度、希望を広げられる
独り子を送ってくださいましたが、
そのみ旨を成すことができず、十字架で亡くなる
息子をご覧になる天の父母様の心情を
今日、私たちは知っております。

天の父母様、「再び来る」と言ったメシヤを待つ
キリスト教文明圏内で、彼らは天のみ旨を奉じる
と言いましたが、天の深い心情と事情を知らない中で、
たくさんの理解できない過ちを犯しました。

けれども、あなた様の創造は必ず、
始まりと終わりが一つに実を結び、
あなた様が思い描かれた地上天国の生活を、
子女たちと共にしようとされたその夢があったので、
二千年を経てこの地に独り娘を送ってくださり、
真の父母として摂理を繰り広げることのできる
過程で、天はどれほど、どれほど
焦燥し、待ってこられたでしょうか。

遂に新たな摂理歴史を出発し、天一国基元節を
宣布して、天一国安着を大陸次元で成し、
今やこの民族が天の前に忠と孝を
尽くすことのできるこの機会を下さるにおいて、
この無知な人間たちに自然を通して、
天はこれまでどれほど、どれほど恋しがり、
失った子女を探して苦労してこられたのかを
見せてくださいました。

このモナパークの自然を通して、
もう一度天の前に感謝と栄光をお返しし、
これまで罪悪で汚れたすべての苦しい事情を、
この場所に来て、天が待ってきた
この視点で見せてくださった
この自然の驚異の中で、天に侍り、天の摂理と
一つになれる私自身にならなければなりません。

変わることのない自然が語ってくれるように、
真の父母を通した真の家庭、天寶の
この天一国の民たちが、さらには
全世界の民たちが天の深い愛を感じ、
天に侍る私と、家庭と、国になるとき、
どんなに難しい逆境が押し寄せてこようとも、
必ず天は共におられることを
悟らなければなりません。

この美しい園の自然を通し、
特に千年樹アララギの道を通して、
多くの悟りと教育を受けて実践する、
美しい生活を営むことのできる
この千年樹アララギのこの場所はどれほど、
どれほど、天には栄光であり、
人類には大きな祝福であるのかを
実感することのできるきょうとなったことを、
天の前に感謝して奉献、宣布申し上げます。
アーヂュ。



發旺山(パランサン)HJモナパーク
千年樹アララギ・森の道奉献式
真の父母様の祝祷 (2022.6.13)
https://www.ipeacetv.com/vod/vod_view.asp?vId=13517&page=1
↑こちらから祝祷の映像も見られます


2年前、HJモナパーク奉献式での祝祷を紹介しました。
   冬ソナならぬ夏も龍平 韓国一高い新名所など続々奉献・・・ 《7.16のみ言・祝祷》

モナパークのモナとは、Mother Nature、
最初の二文字をとって、MoNaとのことです。

「母なる自然」という意味が込められているモナパーク。
お母様の祝祷は、とても心情のこもった、
涙ながらのお祈りでした。。。

神様の創造の心情、
人類に対する真の愛の世界を感じつつ、
神様の思いが込みあがってきたのだろうと思います。

この時の映像を見るとわかるのですが、
お母様は目を開けながら祈られています。

実は、お母様は立った状態で目をつぶられると、
ふらついてしまわれるので、
このような祈祷をされるのだ、
以前田中会長から伺いました。。。

「あのアララギの樹齢が1943年でしょう」
というような心情でスタッフたちは歩んできたといいます。
真のお母様が生まれたのが西暦1943年なので、
つまり千年樹アララギを真のお母様の姿のように考えて
大切にしてきたということでしょうか。

早く、このモナパークに行ってみたい。
そんな思いを強くもちました。



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2022年06月20日

同じ世界を体験したら誰も批判できない 14人の出産と産後 《鄭中和先生》3



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鄭中和(チョン ヂュンファ)先生の証し
「真のお母様にお仕えして」続編、
御聖婚された真のお母様は──


真のご子女様のご出産

その後、真のお母様は、すぐに身ごもられました。

そして、そこで譽進様を出産され、それでお父様も、
そのお宅との間を行ったり来たりされ、
お母様も礼拝を受けに来られたりされながら、
そのようにして1年間を生活されたと思います。


そのころの記憶ですが、真のお父様は、
出産に対して大変に厳しく指導されました。

私たち36家庭のときも、
「妊娠中には、悪いものを見てはいけない。」とか、
「病気見舞いにも行ってはいけない」
「喪中の家にも行ってはいけない」
「汚いものを見てはいけない」などと、心構えを正しくして、
良いことだけを考えるようにおっしゃいました。

そして、出産も病院でするのではありません。

「この既存の世の中の医者や、助産婦の所に
行くのではなく、家をきれいにして、そこで、
私たち食口が赤ん坊を取り上げなければならない」
と、おっしゃったのです。

ですから、お母様も同じでしょう。


お母様も、初産のときには、とても苦労をされました。

譽進様は大きかったのですが、
「病院にも行ってはいけない」
と、お父様がおっしゃったので、
家で出産されたのです。

そのとき、折よく、助産婦であった
金信旭先生がいらっしゃいました。

そのかたは、霊的にも明るく、
信仰も本当に素晴らしいかたでありましたが、
その金信旭先生が、真のご子女様の
ほとんどを取り上げられました。*

真のお母様は、そのようにして
病院にも行かれずに出産なさったので、
現代医学の恵沢をお受けになることができなかったのです。


そして、ご出産のときは、
私たちは皆、礼服を着て、外で精誠を尽くすのです。

お生まれになる真のご子女様をお迎えするために、
特別な儀式をしながら、その部屋の外でお待ちしたのです。

これは余談ですが、私たちは、
『初産は、間違いなく男のお子様であられる』
と、思っていました。

ですから、36家庭の古い食口たちは、お母様が出産なさる、
その部屋の近くに集まって精誠を尽くし、
一般の食口たちは、前本部教会で、
お母様の出産の苦痛を共に感じながら祈祷をし、
また、朴普煕会長が、大きなケーキを準備して、
「王子様が来られる」と、飾っていたのです。

ところが、女のお子様でいらっしゃったのです。

けれども、そのころからお父様は、お母様に
「12人の子女を生まなければならない」
と、おっしゃっていました。

ですから、王子様であられても、王女様であられても、
このように早くご懐妊することができてお生みになり、
お子様が本当に健康であられたので、
喜びの思いのほうが、大きかったことでしょう。


しかし、当時の困難な環境の中でのご出産について、
真のお母様は、後に回想されながら、
「非常につらかった」と、言われたことがありました。

不十分な医療環境以外にも、生活環境は、
あまり良くありませんでした。
韓国の家は、すきま風が多く、
そのころは、暖房施設もよく整っていなかったのです。

譽進様がお生まれになったのは、12月の寒い冬でした。
とても寒く、そのときは、暖房部屋といっても、
練炭で暖を取っていた時であり、また、ストーブも、
灯油ではなく、練炭ストーブであったのです。

それで、お母様が産後の健康回復をされるまでには、
多くの時間がかかりました。

お母様は、本当に苦労されたのです。


孝進様を出産なさるときにも、本当に苦労されました。

マリアが、イエス様を馬小屋で、
それも、かいばおけに産んだとされているように、
真のお母様にもお部屋がなかったのです。

お父様のお部屋は、前本部教会の2階にありましたが、
その部屋は、オンドル部屋ではなく、畳部屋にベッドでした。

けれども、お母様が出産される部屋は、
オンドルでなくてはならないので、トイレの横にある、
台所の横の小さな畳四畳にもなるかならないかの部屋を、
急いでオンドル部屋に改造したのです。

そこは、窓といっても、日の光がわずかに入ってくる窓が
高い所にあるだけで、日光もよく入って来ない部屋でした。
ちょうど地下室のような暗い部屋だったのです。

それでも、孝進様のご出産のときは、
譽進様のときよりも、少し安産でした。


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真のお母様は、非常に忍耐心が強く、
感情的な表現もなさいません。

真のお母様は、どのようにして、
真のお母様の位置と、
真のお母様としての威信等を
立てることを身に着けられたのでしょうか?

大母様が、信仰の正道を歩まれたかたであり、
そのお嬢様であられるからといって、
真のお母様が、その学生時代に、
大母様からまめまめしい家庭教育を
受けられたということでもないのです。

大母様は、いつも伝道や奉仕に出掛けておられましたし、
お母様は、寄宿舎や、また、叔父様の家から学校に通われて、
実際は寂しく成長されたのです。


そうであられたにもかかわらず、真のお母様は、
たくましく、雄々しくあられました。

私たちは、真のお母様に絶対的に侍る立場にいましたが、
私たちよりも、もっと上の世代の婦人たちの中には、
そうではなかった人たちもいました。

しかし、それらを見事に消化され、
その位置を守られたのです。
そのお姿を拝見して、私たちは、とてもすごいと思いました。


今でも、お父様は、そのことについてのみ言を語られますが、
「最も難しかったことは、真のお母様を、
神様が願われる真のお母様として成長させることであった」
と、おっしゃいます。

私たちは、一つひとつの出来事を何気なく見ていましたが、
お父様がごらんになるときには、すべてのことにおいて、
真のお母様を“完成した母”になるように育てられ、
教育されなければなりませんでした。

「証言」より
*自叙伝「平和の母」によれば
5人目まで青波洞(チョンパドン)教会で
出産し、6人目からは
病院で産まれたということです。


お母様が最初の御子女様をご出産される時、
多くの困難があったということですが、
鄭中和先生の語られたごとく、
イエス様の誕生時の蕩減復帰であり、
また、初めての真の子女様の誕生なので、
内外共の試練があったのだと思います。

お母様が忍耐して越えてこられた心情は、
普通の人にはまねをすることができないものでした。

ある責任者の方が、
「お母様のことを批判するなら、
お母様と同じような世界を体験して、
それを乗り越えてから言ってほしい」
そのようなことを話しておられましたが、
本当に知ったら批判はできないでしょう。

現在多くの偉業を成し遂げて
さらにまだ止まることなく
反対する人たちも含め、すべての人たちのために
犠牲の道を行ってくださっている
お母様に、心から感謝申し上げます。

一言付け加えたいと思います。
「神様が願われる真のお母様として成長させる」
とお父様が語られた、とあります。

お父様が育てられたかのような表現ですが、
お母様が真の母として立つために、
お父様ご自身も、助けることができなかった
と、のちにお父様が語られています。

実際には、お母様は、
初臨の創造本然のエバであります。
そのお母様を育て、成長させるというのは、
誰にもできないことであり、
お父様も、祈って見守ってあげるしか
できなかったことでしょう。

お母様の自叙伝にもありますように、
実際には、お母様ご自身が真の母として勝利していく、
そのような使命があったのだ、
そのことは、付け加えさせていただきたいと思います。

続きます。



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2022年06月19日

─祈れないときに─ どこにいても祈祷はできる 非公式版、父の祈り 《金元弼先生》

〜父の日に寄せて〜



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金元弼先生(ウォンピル)のみ言。
今回は、「神に仕える者の祈り」です。


皆さん、人によって静かな所でお祈りができる人もあれば、
動きながら働きながらお祈りをする人もいます。

人によって色々違うだろうと思います。
動きながらお祈りする人もいれば、
目をつむっては何もできないから、
目を開けてお祈りする人もいるのです。

では皆さんの中で、決まった静かな所で
お祈りがよくできる人は手を挙げてください。
大部分ですね。

そういう所ではなかなかお祈りができず、
仕事をしながらの方がよくできる人はいますか。
少ないですね。

また祈り始めたら終わりまで祈りがきちんとできる人と、
途中で切れる人、長い人と短い人がいます。

その次、お祈りがよくできる人と瞑想がよくできる人もいます。
お祈りをするとき、涙が出るときと出ないときと、どっちが多いのですか。


先生(真のお父様)は、御存じのとおり、
ある問題を解決するために、まずお祈りをされます。

先生はすべてを行いながら、
同時にお祈りも兼ねておられるということを分かってほしいと思います。

また、先生は時々過激な運動をしながらお祈りをされると、
お母様からお聞きしました。

お祈りをしようとすると、眠りが来てできないときがあります。
そういうときには、かえって動くことがいいのです。

お祈りといったら、ある所を決めて、
そこでお祈りするのがお祈りだと考えている人がいるかもしれませんけれども、
女の人でしたら、台所で働きながらお祈りすることもできれば、
バスの中でもできるし、どこでもできるのです。


皆さんは、十二時に寝て六時に起きるとしたら、
十二時から六時までぶっ通して寝ます。
十二時に寝て、途中で起きてお祈りするということはなかなかしません。

先生は、「寝る前神様に、
『私にはまだなさなければならない復帰の摂理が多くあるにもかかわらず、
これから休まなければなりません。このような私をお許しください』
とお祈りして休む」とおっしゃいました。

先生はいつでも、「これから寝るんだ」という心では寝られないのです。
また、寝ていても安らかではないのです。
寝ていても、パッと起きてまたお祈りをされます。
そうしていつの間にか寝てしまうのです。

先生は、お祈りしているのに寝ているのです。
疲れておられますから、お祈りしようとすると、
霊界は先生を寝かせてあげるというのです。


子供が勉強していて、疲れて机の上で寝ているのを
親が見たらどうしてあげますか。

子供を抱いて、ベッドの上に寝かせてあげます。
そのとき、勉強を熱心にしていて寝てしまった子供を、
ベッドに寝かせる親の心はどんなでしょうか。

「我が子は偉い。
立派になるんだ。
だから私が保護してあげなければいけないなあ」
という心が出てくるのです。

神が先生を寝かせてあげるとき、
その気持ちはそれと同じなのです。


「これから私は眠る」と思って寝る時には、
ぐっすり眠ることができますけれども、
「寝る時間ではない」と思った時には、
とても短い眠りになります。

ですから先生は何回も起きてはお祈りして、
また寝て、起きて、寝てという生活をなさるのです。
それは、「私は寝てはいけない」という心でいっぱいだからです。

ですから先生は寝巻きにすっかり着替えて寝るということがないのです。
上着を脱いで、そのままベッドの上で寝ることがよくあるのです。


私は、最初先生からみ言を聞いて恵みを受けていた時は、
なかなかお祈りができませんでした。
どのようにお祈りしてよいのか分かりませんでした。

ただみ言に感動した時から、
家に帰ったり、学校へ行ったり、教会に行ったりする中で、
いつもみ言が私の心から離れませんでした。

それで歩きながら動きながらお祈りしました。
心情に触れて泣きながら歩きました。
自分の事務所の机で仕事をしながらも、祈ることができました。

しかし大勢の人たちが、教会で徹夜しながらお祈りしていました。
私はどうしてお祈りができないのだろう、と疑ったことがあります。

ある時、「動きながら祈るのも祈りだ」
と言われて、非常に安心しました。


ですから忙しい時には、神は
「お前はトイレに入っても祈るつもりだね。
それでも汚くないよ。
私はお前がこういう所でお祈りするのが気持ちいいんだ」
と言われるのではないかと思います。

私はよくバスの中でお祈りします。
トイレに座ってもよく祈ります。
考える時間があるからです。
歩きながらもよく祈れます。

私自身はいつもこんなことを考えるのです。
バスの中でよく「私の誓い」を宣誓しますけれども、
その時、たくさんの人たちがこのバスを使ったでしょうが、
いったい誰が「私の誓い」を宣誓しただろうかと考えるのです。

ハイドパークに行くとベンチがあります。
このベンチに座って宣誓する時には、
「今までに、ここでこういうお祈りをした人が何人いただろうか」
と考えながらするのです。

そうしたら神が喜んでお祈りを聞いてくれますから、
このベンチも喜んでくれるだろうと考えます。


先生は、時々山に登ると、岩にお座りになってお祈りされます。
するとその岩が本当に喜んでいるのを感ずると言われます。

というのは、たくさんの人たちが山に登ってきて、
たまには自分の上に座ってくれた、
しかし、その人たちは真の人でなかったから喜べなかった、というのです。

万物は真の人に主管されるのを願いますから。
ですから先生が座ってくれたことによって、
岩がこの世に存在して以来、これはどの栄光の日はないというのです。

平壌開拓から興南解放
第四章 天情と人情
「神に仕える者の祈り」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


「神が先生を寝かせてあげる」
この言葉に、神様とお父様の
親子の心情圏の深さを感じさせていただきました。

神様の解放のために寝る間を惜しんで、
真を尽くされたお父様。
そのお父様のお姿に感銘して、
少しでも休ませてあげたい、
神様の親心が伝わってきます。

また、元弼先生も、
どこでも、どんな時にでも、
祈りを捧げられたといいます。

今、私たちにおいては、
もちろん、天心苑祈祷室で祈ることほど、
貴いことはないでしょう。

しかし、どんなところでも
神様に祈りを捧げること自体、
神様は喜ばれるのだと思います。

そうして、祈りが日常茶飯事となり
いつでも、神様とともにある者に
なっていきたいと思うのです。




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