2022年06月16日

私が主人を駅まで見送る理由、人と自然に感謝する朝の新習慣 《自己牧会プログラム》



220616.jpg


自己牧会プログラム。
今回は、「出勤する夫と歩く駅までの道で」です。


(女性 50代)

私は毎朝、夫が出勤する時、家から駅までの道を
一緒に歩いて見送っています。

20分ほどの時間を、夫と話したり、
時にはただ黙って一緒に歩くことを楽しんだりしています。

帰りの道では、「人と万物に感謝する」
ワークをしながら、自然と共鳴するよう心掛けています。

この習慣は昨年、良心が教えてくれて始めたものですが、
心の健康にも体の健康にも、とても良いと感謝しています。


最近、夫を送った帰り道、いつものように
道端の花を眺めながら歩いていると、
自転車に乗ったおじさんが、歩道脇に続いている
ツツジの生け垣にポイとごみを投げ入れました。

それでもツツジは、何ごともなかったように
黙って咲いていたのです。

私は、誰にも気付かれなくても、
どんな扱いを受けても、
静かに「ために」存在し続けているこの自然の姿に、
「これが堕落していないということなんだ」
と気付かされ、「自分がない」ことの
気高さと美しさに感動しました。

しばらくして、大切なことに気が付きました。
おじさんが捨てたごみを拾ってあげなかった!

戻って探しましたが、どの辺りだったか
分からなくなってしまい、ツツジの生け垣に
「ごめんね」という思いを送りました。

すると、ツツジから「いいんだよ」という、
許してくれているような感覚が伝わってきたのです。

私は今度、良心からの気付きがあったら、
すぐに実行しようと心に決めました。

 
すると程なくして、後ろで、
誰かとあいさつしている男性の声が聞こえました。

その男性は、私の横を通り過ぎていく時、
私にもあいさつをしてくれたので、
私もその人の背中にあいさつを返しました。

そのかたの顔は見られませんでしたが、
すがすがしい気持ちになりました。

良心が、「出会う人全てにあいさつをしたらいいよ」
と教えてくれているように感じました。

「これだ」と思い、家に着くまで
出会う人にあいさつをしました。

知らない人でも、兄弟姉妹のように心が
つながるのを感じ、何気ない日々の暮らしの中にある
平和と神様の愛を実感できた、素敵な朝となりました。

私の心の中にいる神様 125
出勤する夫と歩く駅までの道で
(blessed lifeより)


何気ない日常において、
神様とともに会話し、
良心の導かれるままに生活することは、
どんなにか素晴らしいことでしょうか。。。

天の摂理、み旨にまい進することは、
当然重要なことですが、
それとともに、日々の生活において、
神様を喜ばせる良心を中心とした生活は、
どれほど貴いことであるか、と思わされます。

良心の声に耳を傾ける生活、
そのことを常に意識できるようしていきたいと思います。




220616 (2).jpg


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 09:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする