自己牧会プログラム。
今回は、「出勤する夫と歩く駅までの道で」です。
☆
(女性 50代)
私は毎朝、夫が出勤する時、家から駅までの道を
一緒に歩いて見送っています。
20分ほどの時間を、夫と話したり、
時にはただ黙って一緒に歩くことを楽しんだりしています。
帰りの道では、「人と万物に感謝する」
ワークをしながら、自然と共鳴するよう心掛けています。
この習慣は昨年、良心が教えてくれて始めたものですが、
心の健康にも体の健康にも、とても良いと感謝しています。
☆
最近、夫を送った帰り道、いつものように
道端の花を眺めながら歩いていると、
自転車に乗ったおじさんが、歩道脇に続いている
ツツジの生け垣にポイとごみを投げ入れました。
それでもツツジは、何ごともなかったように
黙って咲いていたのです。
私は、誰にも気付かれなくても、
どんな扱いを受けても、
静かに「ために」存在し続けているこの自然の姿に、
「これが堕落していないということなんだ」
と気付かされ、「自分がない」ことの
気高さと美しさに感動しました。
しばらくして、大切なことに気が付きました。
おじさんが捨てたごみを拾ってあげなかった!
戻って探しましたが、どの辺りだったか
分からなくなってしまい、ツツジの生け垣に
「ごめんね」という思いを送りました。
すると、ツツジから「いいんだよ」という、
許してくれているような感覚が伝わってきたのです。
私は今度、良心からの気付きがあったら、
すぐに実行しようと心に決めました。
☆
すると程なくして、後ろで、
誰かとあいさつしている男性の声が聞こえました。
その男性は、私の横を通り過ぎていく時、
私にもあいさつをしてくれたので、
私もその人の背中にあいさつを返しました。
そのかたの顔は見られませんでしたが、
すがすがしい気持ちになりました。
良心が、「出会う人全てにあいさつをしたらいいよ」
と教えてくれているように感じました。
「これだ」と思い、家に着くまで
出会う人にあいさつをしました。
知らない人でも、兄弟姉妹のように心が
つながるのを感じ、何気ない日々の暮らしの中にある
平和と神様の愛を実感できた、素敵な朝となりました。
私の心の中にいる神様 125
出勤する夫と歩く駅までの道で
(blessed lifeより)
出勤する夫と歩く駅までの道で
(blessed lifeより)
☆
何気ない日常において、
神様とともに会話し、
良心の導かれるままに生活することは、
どんなにか素晴らしいことでしょうか。。。
天の摂理、み旨にまい進することは、
当然重要なことですが、
それとともに、日々の生活において、
神様を喜ばせる良心を中心とした生活は、
どれほど貴いことであるか、と思わされます。
良心の声に耳を傾ける生活、
そのことを常に意識できるようしていきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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