金元弼のみ言。
「先生のような生活をするために」です。
☆
先生のような生活をするために
私が巡回していたときのことでした。
「どうしたら、先生のような生活ができるのだろうか」
という考えで、胸がいっぱいでした。
韓国で、非常に奥深く高い山を
冬に越えなければならなかったことがありました。
誰も人がいないのに、雪が真っ白く降る中を一人で歩いていました。
その時、天は父を象徴し、地は母を象徴するという
原理のみ言を、ふと思い出しました。
私は今この地を踏んでいるから、
お母様の体を踏んでいるのだと考えました。
そう思うと“痛い”のです。
それで、そおっと歩いたのです。
そしたら本当に体を踏んでいるような気持ちがしてくるのです。
一歩を踏む時に、
「私は親のために孝行します、
忠節を尽くします、
貞節を守ります」という心持ちです。
白い雪の上に誓いながら行くのです。
雪の上に字を一つ書いて、また書いて、
忠なら忠を、孝なら孝を足で書きながら歩みます。
このことが、私には非常に強く心に残りました。
☆
韓国には、本当に親孝行な子供がいました。
親がなくなって三年間、毎日のごとく
親の霊魂を慰めるために、墓の所まで行ってお祈りをしたのです。
それで墓まで通った道と祈った場所には、
芝生が生えませんでした。
私たちが神に、真の父母にそのように
心を尽くして侍らないならば、
「私は親にさえもこんなにしたのに、
あなたたちは真の父母と神が分かっていながら、
なぜできなかったのですか」と問われることになるでしょう。
☆
先生は神に侍るに当たり、どのようにされたのでしょうか。
世の中には、国のために忠義を尽くした人たちがたくさんいます。
その人たちが「あなたには及びもしません」
という先生になるために、
どういう道を歩まなければならなかったのでしょうか。
神の国を建設するに当たっても、国のために、
世界のために尽くした以上に、神の国のために、
神の世界をつくるために心を尽くさなければならないのが、
先生の基準なのです。
もしそうしなければ、イエス様、お釈迦様、マホメット、
いろんな聖人あるいは神のために尽くした王様、
忠節を尽くした親孝行者たちに先生は訴えられるのです。
ですから、国のために尽くした最高の人は誰だろうと
いつも考えながら、この国をそれ以上に愛する
という条件をお立てになるのです。
☆
そこで先生が三六〇軒を訪問するに当たって
私に教えてくださったことは、その三六〇軒のために
尽くした人々がおり、先祖たちがいたのだから、
その人たち以上の心で、その区域を愛し
真心を尽くしていかなければならないということでした。
例えば、熱心なイスラム教徒がいるとしましょう。
その人以上に神を愛したとするならば、
イスラム教の先祖の霊たちが
私を助けてくれるということなのです。
平壌開拓から興南解放
第四章 天情と人情
「先生のような生活をするために」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
日常生活の中で、侍る生活の重要性を教えていただきました。
私の一挙手一投足は、何のためにあるのか、
そのことを深く考えさせられます。
自分のために生きる人生より、
ほかのために生きる人生の方が価値があり、
喜びの度合いも変わっていきます。
その究極が神様、真の父母様のためであり、
国と世界のためであるのでしょう。
小さな歩みであったとしても、
どんな心情、どんな思いで歩むのかが、
とても重要であると思うのです。
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posted by ten1ko2 at 07:58
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