2022年07月12日

日常生活に振り回されているとき(不信仰に陥ったとき)─この3つを試してみなさい 《金元弼先生のベスト・アンサー》

お父様直伝、不信仰に陥ったときの3つの秘策



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心が不信仰に陥るときには、
三つのことを試してみなさい。

1.初めてこの道に入った時の
感動の心を思い出しなさい

2.人々にみ言を伝えなさい

3.できないときには、
必ずよく奉仕をしなさい


文鮮明(ムン ソンミョン)



かつて、金元弼(ウォンピル)先生が
日本の食口の質問に答えながら話してくださったみ言です。



祈りの必要性

私たちには立派な服がないかもしれません。
しかし、世の中の人たちの服は、
自分のために着られている服ではありませんか。
自分のために稼いで着た服です。

しかし私たちは、自分が稼いで着た物を
自分のために使わなかったとしたら、
この服とその人たちの服とどういう話し合いをするでしょうか?

一方は自分のためにある物で、
自分のためにある人に着られているのです。
しかしもう一方は、神のために、
人類のために生きる人に着られているのです。

その服に、「幸せですか?」と聞いたら、
前者は「私は幸せではありません」と言い、
後者は「私は幸せです」と言うでしょう。


肉と霊があります。
この肉というのは、一種の土として考えてください。
次に霊、霊人体または心というのは、水として考えてください。

日常生活をすることは、これを振り回すことと同じなのです。
そうすると、この水の色はどうなるでしょうか?
濁った暗いものになるのです。

しかし、私たちが日常生活を終えて、静かな時間をもつとします。

そうしたらこの土がどんどん沈んでいき、
今度は清い水が浮かぶのです。
このきれいな水というのは霊界と同じ構成要素ですから、
霊界と授受作用ができるのです。


私たちが日常生活に振り回されているときには、
静かな時間を取ってお祈りするのです。

そのような心をもっていくとするならば雑念が静まり、
清い心が浮かび上がります。
そうすると何が大切かということが、はっきりと分かるようになるのです。

ですから二千年前のイエス様も「常に祈りなさい」と言われたのです。

また先生も常に祈る時間をもたれました。
ですから私たちも、常にこういう心をもっていかないと
何も分からなくなってしまいます。
私よりも他の人のほうが、もっと幸せなように見えてきます。


このように、他の人が問題ではなく、私が問題なのです。

先生も常に
「心が不信仰に陥るときには、三つのことを試してみなさい」
と言われました。

まず第一に
「初めてこの道に入った時の感動の心を思い出しなさい」と。

二番目は、「人々にみ言を伝えなさい」と。
そうすることによって、自分自身が生き返るからです。

三番目は、
「できないときには、必ずよく奉仕をしなさい」と言われました。


この質疑応答は1987年1月29日の説教
「祝福家庭の使命」の後になされたもの

質問:伝道しなければならないのは分かるのですが、
     周囲を見ると外的に自分よりいい生活をしているし、
     自分のほうがもっと問題をもっているように思えてきます。
     深く考えれば分かるのですが、往々にしてやはり難しいのです。
     どうしたらいいのでしょうか?


今、心が折れるような、
そんな思いの中にあります。。。

何も手につかない、
身の置き場のない気持ちに襲われている
そのような方もおられるかもしれません。

「心が落ちている時ほど、為に生きたらいい」
まだ信仰の幼い時、お世話になった信仰の先輩から、
そんなアドバイスを受けたことがありました。

お父様の三つのアドバイスも、
まさにそのようなことだと思います。

心が落ちているときは、
自分の殻に閉じこんでしまうものです。
そういう時ほど、
外に目を向けることが大事なのだと思います。

よく祈り、み言を求め、精誠をささげていく、
そのような時を過ごしていきたいと思います。




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金元弼先生略歴: 1928年 9月 平壌で出生
   1946年 3月 平壌師範学校卒業 7月入教。弘益大学 西洋絵画科受講
文鮮明師の第一弟子であり、3家庭の長として、36家庭の祝福を受けられた金元弼先生は、韓国・統一教会初代理事長(1963年)、日本・全国祝福家庭総連合会総会長(1991年〜94年)、ノルウェー国家的メシヤ、分捧王(1996年〜)などを歴任。統一教会の草創期から文師のそばで教会の発展に尽力され、2010年4月7日(陽暦)に聖和されました(享年81歳)。


※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

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2022年07月11日

主がかみ砕いて丁寧に教えてくれたみ言を、伝えるために私が来ました 《史吉子先生》



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史吉子先生、『原理によるみ言の証』より
「お父様が探された偉大な新しい真理 (原理) を、
全世界に伝えなさい」後編です。


皆さんは現在、原理を学び、み言を学んでいますが、
私が若かった時、草創期の中でも本当の初期、
それは50数年も前なので、どれほど昔でしょうか?

その時は、人も多くありませんでした。
ほんの2~3人、5~6人、多くても10数人でした。

お父様が前本部教会の奥の間で、
何人にもならない人たちを前にして、
夜も昼もずっと語ってくださいました。

そして、そのみ言がとてもおもしろく、
恩恵にあふれていました。

これはまるで私が幼かった時、母方の祖母が
生の栗を噛み砕いて、
私の口にすっと入れてくれたのと同じでした。

その時は汚いとも思わず、その栗を受け取って
おいしく食べました。
丁度、そんな感じでした。


ところが、お父様は心配をされるのです。
なぜか?
原理が難しいからです。

お父様は、「この人たちが
本当に原理がわかるだろうか?」と心配されたのです。

それで生の栗を噛み砕いて食べさせるように、
よく噛んで食べさせようとされたのでした。

その時は人が多くありませんでしたから、
私は疑問に思ったことは、しきりに質問しました。
お父様は、私が度々質問しても、
熱心に教えてくださいました。

そのお陰で、私の話を聞いた人は、
「ああ、難しいと思った原理が、
すごく易しくなるなあ。」と言いました。

また、「お父様にとても近付きがたかったけれど、
お父様が私のすぐ隣りにいらっしゃるみたいだ。
すごくお父様に情が沸きます。」と言います。

私の話を聞きながら、み言を語る者が
ただ私(史会長)一人だと思わないでください。
「お父様が私と共にいらっしゃる!」
と、このように考えてください。


お父様が私にくださった使命が何かと言えば、
「あなたは幼い頃から先生のみ言をたくさん聞いただろう。
だから、霊界に行くまで、
五大洋六大州を巡回しながら、
み言を話してあげなさい。」とおっしゃいました。

それで私が「はい?」と言ったら、
「あなたは、それしかやることがないじゃないか!」
と言われたのです。

そのみ言をみ旨と受け、私は世界平和統一堂の
会長をしながら、世界を巡回し続けています。
お父様はまた、アフリカまで、
み言を伝え続けて行くようにとおっしゃいました。

私がお父様のみ言をたくさん聞きましたが、
これは言うなれば、愛の負債であり、
お父様は負債を返済しなさいと、おっしゃいます。

「私が草創期の頃、あなたたちに昼夜を問わず、
どれほど多くのみ言を語ってあげたか?

今でも世界の人々を集めてたくさん語ってあげたい。
ところが、今は私が忙しいじゃないか?」
とおっしゃいます。

最近は世界の最高指導者に会って教育をされるので、
私たちのような者がお父様の所に行っても、
「来たか?」ともおっしゃることもできない程、
お忙しくなられました。

ですから、「私の代わりに 36 家庭のあなたたちが、
いわゆる先輩と言われるあなたたちが、
先生がしていたことを後輩たちにしてあげなさい。」
と、おっしゃるのです。

それで私がここに来たのです。

史吉子
『原理によるみ言の証』より


お父様のそばで教育を受けて愛された史吉子先生。
本当に羨ましい限りです。

しかし、私たちは、直接的には侍った立場ではないにしろ、
お父様が命を削って勝ち取られたみ言を
一方的に受けた立場であります。
まさに愛を受けた者たちである、ということだと思います。

なので、天の代身であり、真の父母の代身である。。。
そんな心情をもってみ言を語り、伝えていきたいと思います。


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2022年07月10日

監獄を聖地に変えた主の祈り 劣悪な環境下で健康を維持できたワケ 《金元弼先生》



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真のお父様(文鮮明師)は、北の強制収容所においても
70キロの体重を維持されたいいます。

金元弼先生のみ言の続き、
「私は神の代身者である」です。


牢屋では、二つのことが禁止されていました。
たばこを吸ってはいけないことと、
起きる時間と寝る時間を絶対に破らないことです。

どこの国でもそれは同じだと思います。
たばこを吸うためには火が必要です。
もし牢屋に火をつけたら囚人が全部逃げて行きますから、
火に一番気をつけるのです。

また、脱出するためには、起床時間前に起きて
工作しなければならないので、時間を厳守させるのです。


そういう中にあって、先生はいつも
刑務所の人たちの目を避けながら、
朝一時間早く起きてそれを怠らなかったというのです。

先生が朝早く起きるということは、非常に大事なことでした。
そしてそれを見付けられたら大変なことになります。
ある人は発見されて、独房に入れられたこともありました。

先生にとって、身体を保つということにも
意味がありますけれども、先生の体は神の実体として
人類を救わなければならない身である
と考えられたのです。

その時、この身は自分個人の身ではなく
天の身であると考え、この身を大事にし、
清らかにしなければならないという
内的意義があったということを、
私たちは考えなければならないと思います。

 
先生のおられた牢屋の中には、
いつも二十名の人たちが収容されていました。

牢屋の中で一番空気の流通の良い場所もありますけれども、
先生はそういう所には行かず、
手洗いのそばに座席を決められたというのです。

というのは、空気の流通の良い所は窓のある所で、
多くの人たちが体の上をまたいで越えていくからです。
天の身をこれらの人たちにさらしたくない、
触れさせたくない、清く保とうと思われたのでした。

外的に見れば汚い所ですが、そういう所を
自ら進んで選んで、そこで二年半という
長い間生活なさったというのです。


先生御自身は天宙復帰の責任を果たさなければならない、
いわば天の代身者であるという、その自覚を忘れなかったのです。
神のみ旨を成就しなければならない、
神の代身者としての身なのでした。

この身は私の体ではない、神の体であるから、
その体は神殿、聖殿であるというのです。

だから先生は、御自身が神の代身者であることを悟った時に、
今一緒に生活している人たちと
区別しなければならない身であるとして対処されたのです。

窓際に眠る位置を定めてしまうと、
数多くの人が出たり入ったりして、
先生の体を越えて通るというのです。

神のみ旨に添わない不義の人々に、
そういう先生の体を越えさせることを許すことはできないのでした。

だから場所は臭い所であっても、
人々は先生の体を越えないのですから、
そこを眠る場所に定められたのでした。

 
皆様は、こういうお話は心の中に
そう強く響かないかもしれませんけれども、
神のみ旨を成就する中で、皆様は
大山という人だったら大山その人ではないのです。
神の代身者であり、先生の分身であるのです。

だから皆様はどこへ行っても、
「私は神の分身である。代身者である」
というプライド、あるいは自覚をもっているなら、
不義をすることはできないのです。

普通の人々と同じような生活はできないというのです。
だから、先生の刑務所での生活を見て学ぶことは、
平素から「私は神の代身者である」
ということを守らねばならない私であるということです。

 
先生は不義なる人と一緒に暮らしても、臭いところであっても、
その身は汚さないというのです。
心情はいうまでもなく、
身さえ汚れることを許さないというのです。

共産党は*べッド(布団)から起き上がっただけで、
「体を動かした」と言うのです。

それで先生は、ベッドから起きないで
「私の誓い」の三番目にある”父母の心情、僕の体で
汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流す”
ということを、ベッドに横になったままで、
足を動かしながら誓いをされたといいます。

ですから一つの場所ばかりでなく、
どういう所でもどんな形でも、お祈りはできるのです。

皆さん、聖地は教会の中ではなく、
すべて外にあるではないですか。
神の心情でお祈りする所は、どこでも聖地になりうるのです。

平壌開拓から興南解放
第四章 天情と人情
「私は神の代身者である」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
誤字脱字は直しています。
文責:ten1ko2

英語ではベッドですが、
実際にはベッドではなく、
床に雑魚寝状態だったと思われます


「私は神の代身者である」
これは、私自身が常日頃意識をして、
歩まなければならないと確信するものです。

また、床に横になったまま
お祈りをされた、真のお父様。。。

もちろん、環境をただすことも重要だと思いますが、
それ以上に、神の息子・娘である、という自覚を持ち、
どんな所でもお祈りをささげる、
そのような姿勢が重要なのだと思います。



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