柴沼先生の誌上礼拝「心の門を開けましょう
〜神氏族メシヤ勝利の道〜」
から紹介します。
☆
「心の門」とは、神様と
一問一答の交流ができる場
一問一答の交流ができる場
(一部省略)
真のお父様は祈祷(1995年7月18日韓国、前本部教会)の中で、
「無知なる民族が心の門を開けて」と言われています。
人間の中には、「心の門」があるというのです。
しかし私たちは、その心の門について、
ほとんど理解できていないのではないでしょうか。
真のお父様が言われる心の門とは、
すなわち神様と一問一答の
交流の場を持つことができるような門です。
堕落する前、アダムとエバは
神様と一問一答していたと言われています。
そのレベルが完全ではなかったとしても、
アダムとエバは神様と自然に交流できる立場にいました。
しかしながら、堕落した結果、その門が閉ざされ、
人間は神様と一問一答をすることが
できなくなってしまいました。
それゆえ私たちは、神様と交流できる
心の門を開いていく生活をしなければなりません。
それが、宗教における信仰生活です。
そして、その門とはどういうものかを
理解できるように導いてくれるのが、
すなわち祈りの生活であるわけです。
祈りの生活は、人間だけにあるものです。
動物には祈りの生活がありません。
アダム とエバが堕落して以来、地球上のどの国においても、
また、 いかなる時代においても、
人間が本然の姿に戻りたいという思いを持ち、
神様を慕いながら
祈りをもって生活している姿を見ることができます。
真のお父様は、祈りとは赤ちゃんがお乳を求めて
叫ぶようなものだという内容のみ言を語られています。
赤ちゃんは、おなかがすけば、
お母さんの前で泣いて、お乳を求めます。
本来、祈りとは叫びなのです。
しかしながら私たち人間は、
叫んで祈るようなことがなかなかできません。
そのため、 自分が不足な者だということが分からないのです。
おなかがすいているということも分かりません。
祈りが必要だということは知っていても、叫ぶような祈り、
赤ちゃんがお乳を求めるように神に叫ぶ、 神に求める、
そういう世界にまでは至っていないという現実があるのです。
☆
本然の姿に帰るために
祈りを深める必要がある
祈りを深める必要がある
真のお父様は、真の人間であられるがゆえに、
心の門が開いています。
イエス様もそうでした。
真のお母様もそうです。
真の父母様は、個人の次元において、
神様と心情的な交流ができるようになるために
祈る必要がありません。
ですから、お父様とお母様は、人のために祈られます。
人々が心の門を開き、神様のもとに
近づけるようにという祈りをしてこられたのです。
☆
真のお父様は、南から北に渡ったということで、
「李承晩のスパイだ!」という汚名を着せられ、
弟子たちから離れて興南収容所に行かれました。
お父様はそこで、苦しい労働の中でも、
弟子たちがどのように生活しているか、
と一日三回は必ず祈られました。
そして、ある弟子が(興南に)訪ねてきたときに、
他の弟子が真のお父様に反逆して
離れていったという話も聞かれました。
それでもお父様は、その反逆した弟子のために、
一日三回、 二年八か月の間、祈り続けられました。
また、興南収容所で働く人たちを神様のもとに導くためにも、
毎日祈られました。
そのような祈りの生活をしながら、
他のために生きる道を歩んでいかれたのが、
真のお父様の生活です。
☆
ところが私たち堕落人間は、
「祈る」ということすらよく分かりません。
’苦しいときの神頼み’、という形で祈る人もいるでしょうが、
本来の祈りの姿は、
どのようなものでなければならないのでしょうか。
堕落した人間は、神から離れ、
神の心情が分からなくなってしまいました。
サタンに主管されることによって、
ために生きる人間から、自分のために
相手を利用する自己中心的な人間になったのです。
しかし、それをおかしいと感じて
叫ぶことはしてきませんでした。
神のもとに帰りたい、 本来の人間の姿に帰りたい、
そういう叫びを私たちはしてきませんでした。
そして、世界がこんなに悲惨であるにもかかわらず、
その世界平和のために、心底、神様の立場に立って、
神様の夢の実現が成されていない現実に
涙を流して祈ったということも、
あまりないのではないでしょうか。
私たちは、本然の姿に帰っていくために、
祈りを深めていく必要があります。
それなくしては、心の門を見ることもできず、
心の門を開いて神様の心情に接することもできません。
ですから私たちは、 教会に入ってから、
祈りの生活というものを訓練されてきました。
世界家庭2021年9月号 柴沼邦彦
誌上礼拝「心の門を開けましょう
〜神氏族メシヤ勝利の道〜」より
誌上礼拝「心の門を開けましょう
〜神氏族メシヤ勝利の道〜」より
☆
心の門が開いている真の父母様。。。
お父様は、「反逆した弟子のために、一日三回、
二年八か月の間、祈り続けられた」と言います。
普通の人間では、そこまですることなど、
決してできないのではないでしょうか。
神様と一つになることができるように、
天運を受けることができるように、
赤ん坊が母の乳を求める懇切な心情で、
寄り頼む祈りを捧げていきたいと思うのです。
この説教は、この後、
柴沼先生自身の証しや、
真の父母様のみ言を交え、
「心の門」を開き、神に通じるためには、
どうしたらいいのかという
解答に導いてくれています。
あと数回で紹介していきますので、
どうぞお楽しみに。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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